第34話 また自動ドア?
参加者全員の自己PRが終わり、会場の空気が一段階重くなる。これからオーディションで最も重要な、歌唱審査が始まるからだ。
「続きまして、歌唱審査に移ります。では相馬さんからお願いします」
進行役は淡々と進めて、蹴人に振った。
蹴人はゆっくり呼吸をして緊張を抑えている
自分に言い聞かせるように、一度だけ小さく頷き、「はい、お願いします」と、座ったままで歌う姿勢をつくる。
左手はパーで腹に当て、右手はマイクを持っているかのように軽く握り口元に近づけた。
程無くして課題曲のイントロが流れる。
蹴人は大きくと息を吸い込み、そして歌い始めた。
歌が聞こえた瞬間、那音は眉間にシワを寄せた。進行役が間違えてオフボーカル音源ではなく、原曲を流してしまったと思ったからだ。
しかし、メロディと歌の聞こえてくる方向が違うので、すぐに錯覚だと気づいた。
そして歌の聞こえてくる方に視線を向けると、紛もなく蹴人の口から発せられていた。
明らかに天才だ。天才にもいろいろな種類がいるが、蹴人は自分の発したい歌声をそのまま歌える天才。
だからCDやテレビで聞いた歌を、そのままに近いクオリティで歌える。
那音は自分には無い才能を、再び目の当たりにして、両手で自分の太ももを強く握った。
五人いる審査員の反応は様々だが、皆が好印象を抱いているのは、火を見るよりも明らかだ。
中には手元のメモに分かりやすく、花丸を書いている者もいる。
それを見て蹴人は頬を上げ、原曲のように整った歌声のまま、アレンジを加えていく。
徐々に気持ちの込もった歌になっていくのを、聞いている全員が感じた。
歌い終わり、力強い拍手が響く。
蹴人は肩で息をしながら「ありがとうございました」と震える声で言った。
その様子を見て真ん中の審査員が口を開く。
「どうして泣いているのですか?」
歌い終えた蹴人の頬を雫が伝っていた。
「……すみません。ちょっとサッカーの事思い出してしまいました」
「それは別に悪いことじゃないから、謝る必要はないよ。素晴らしい歌をありがとう」
課題曲は、まさに『夢を諦めるな』というメッセージが込められた曲。それが自分の現状とサッカーへの想いと重なってしまった。
蹴人は軽く自分の頬を叩き、黙って会釈をして応じた。
二人目が歌い始める。
緊張でガチガチになっている様子で、一音目から外してしまった。
その後もなんとか修正しようとして逆に外れて、力を出しきれないまま終わる。
審査員は一度もメモをする事なく、弱々しくまばらな拍手を送った。
三人目は出だしを順調に歌い始める。
審査員たちは頷きながら、集中して聞く姿勢をつくった。
しかし、Bメロを間違えて二番の歌詞で歌ってしまう。
正面の審査員が首を傾げているのを見て、ミスに気づいた。
その後、パニックになり指定された一番の歌詞を、ど忘れしたままぐちゃぐちゃになってしまう。
ついに途中で歌えなくなってしまい、メロディだけが流れる時間を経て、曲が終わる。
審査員は、先よりもさらに弱々しく、音がほとんどなっていない形だけの拍手を送った。
「では、続いて風間さんお願いします」
「はい」
堂々と返事をして、那音が立ち上がる。前の二人を見て、同じミスをしないように何度も自分に言い聞かせている。
(大丈夫、大丈夫。音程外さない、歌詞間違えない)
今の那音には、張力ギリギリまで引き伸ばされた糸のような危うさがあった。
曲が始まり、大きく息を吸い込み歌い始める。
——外れた。
(どうしよう……)
なんとか修正しようとするも、逆に大きく外れてしまいAメロを台無しにしてしまう。
二人目と同じミスを繰り返した。
Bメロで挽回しようと、自分を落ち着かせるため、ゆっくりと息を吸い込む。
しかし三人目に引っ張られてしまったのか、歌詞を間違えてしまう。
(やばい。どうしよう、どうしよう)
那音はすぐにミスに気付くも、パニックになり修正ができず、歌うのを止めてしまった。
部屋にいる全員が、先の三人目と同じで、この後はメロディだけが流れるだろうと思った。
那音自身も頭が回らず、思考が止まってしまう。
その時、那音は自分の身体の一部に宿る熱を顕著に感じた。
喉が熱い。余梁に口づけをしてもらった喉が熱い。
那音を決して諦めさせない、決して折れない梁のようなおまじない。
那音は強く唇を噛んで勢いよく振り返ると、カバン中からバナナを一房取り出した。
前の三本が果肉を失い、皮だけだらりと垂れたバナナの房を抱えて、歌う姿勢を作る。
しかし審査員のうち三人は既に興味が薄れて、ペンを置いて腕を組んで見ている。
残りの二人は先の自己PRで持った興味から、僅かに期待を残してくれていた。
那音は喉に感じる熱をそのまま歌に乗せて届けるように、サビからタイミングを合わせて歌い直す。
夢中だった。いろんな雑念を振り払って、一番歌を届けたい、救いたい相手の事で頭を満たす。
——余梁。那音のオーディションが上手くいく事を、信じて手術に臨んでいる余梁を裏切らないために。
サビの歌声を聴くと、審査員の反応が変わった。
慌ててペンを持ち直す者。目も口も開いたままジーッと見つめる者。皆が那音を別人のように見始める。
そのままの熱量で歌い切り、バナナを抱えたまま深々と頭を下げた。
一拍置いて、激しい拍手に包まれる。認められた拍手。
親友に手を叩きながら夢を笑われて、拍手がトラウマだった那音はもういない。
自分の歌に自信を持ち、胸を張って夢を語る那音が、大きな失敗をしながらも、なんとか歌い切り、そして認められた。
その時、一番大きな拍手が真横から聞こえてくる。
姿勢を向けると、加藤が目を見開いて思いっきり拍手をしていた。
拍手が鳴り止み、真ん中の審査員が口を開く。
「どうしてバナナを?」
「このバナナが教えてくれたんです。誰も俺の歌を聴いてくれないって思ってた俺に。俺の歌を聴いて、応援してくれる人は沢山いるんだって」
口の端を上げて話す那音に、審査員は困惑したように首を傾げ、それでもなんとか理解しようと、こめかみに指を当てた。
「あっ、すみません。えっと……激励でもらったおまじないです」
ニッコリと歯を見せて、バナナを撫でながら補足した。
「では最後に加藤さん、どうぞ」
「はいっス」
入室や自己PRからの態度や、課題曲を知らなかった事などから真剣さを感じられず、審査員のほとんどが加藤に興味を失くしていて、蹴人にするか那音にするかを悩んでいた。
跳ねるように立ち上がり、ソッと息を吸い込み歌い始める。
——圧倒的だった。まるで別物だった。
興味の対象から外していた審査員たちを、無理やり自分の歌に引き込み、ガッチリと離さない。
蹴人は、夢に破れて自分の別の才能に賭けて勝負をしている。
那音は、憧れを大切に育てて才能を越えるための努力をしてきた。
だが、加藤我歌の歌は、そんな二人の歌の前に入るような枕詞など必要としない。
単純に『加藤我歌の歌は圧倒的に上手い』、ただそれだけ。
どうやら加藤のそれは、この世界では夢への扉を自動ドアに変えるパスポートになるらしい。
那音は嘆息を漏らす。
そして歌い終わった後、受験者の中で唯一拍手がなかった。
審査員たちは絶句していた。
『また自動ドア?』




