第27話 好きな理由
「——お父さん…………」
那音は、呆然と立ち尽くす余梁の肩に無言のまま手を置いて思考も身体も固まる。
しかし自分の意識とは別に、黒い感情が過ってしまう。
——このまま恒一が居なくなれば、余梁は人工声帯で生きてくれるかもしれない。
だが、その感情に支配されてしまう前に、意識的に首を振って追い払う。
堂々巡りをしていると、正人が冷静にスマートフォンを拾い上げ通話の続きをする。
「もしもし。——はい、電話変わりました。身内の医者です。——はい、救急隊員の人に聞こえるようにスピーカーにして頂けますか?」
必要事項を伝え通話を終えた。
「うちに搬送してもらうことになった」
二人の方を向き、淡々と告げた。
それを聞いた余梁は、正人に詰め寄る。
「お父さん助かりますか!?」
「無責任な事は言えない。最善は尽くす」
真っ直ぐに余梁の目を見つつ、スマートフォンを返した。
画面には皹が入っていた。
それから十分後、救急車が到着し集中治療室で待ち構えている正人の下へ、ストレッチャーに乗せられた恒一が慌ただしく運ばれていく。
「お父さんっ!!」と余梁が呼び掛けるが、ピクリとも反応がない。
集中治療室の扉が閉まり、ただ祈って待つ事しかできない。自分の無力さと後悔を痛感する時間が始まった。
那音は余梁の肩にソッと手を掛け、扉の前の固い椅子に促す。
並んで椅子に腰を掛けた。
余梁は俯きながら、「お父さん、お父さん」と震える声で連呼している。
那音はその背中に手を当てながら、先程の無意識の黒い感情を恥じた。
それと同時に恒一への怒りが増す。
——なぜこんなに父を慕っているのに。余梁の喉を傷付けたのだ。
「あのー……。白石さんの娘さんですか?」
と作業服姿の真面目そうな中年男性が、椅子に座る二人に声をかけた。
「……え。あ、はい……えっと……」
よそ行きの声と顔を作って対応しようとする余梁の背中を、ポンポンと制して那音が立ち上がり、代わりに返事をする。
「どちら様ですか?」
「先程救急車の中から電話した、白石さんの現場の責任者の紺野です。……私の管理不足で、このような事態を招いてしまい、申し訳ありませんでした」
その場に勢いよく土下座をした。
「ちょ、ちょっとこんなとこで辞めてください」
那音が慌てて土下座を辞めさせる。
余梁はそのやり取りを視界にも入れず、ただ俯いていた。
上げた顔と目を合わせ、再び那音が尋ねる。
「なにがあったんですか?」
「……白石さん、ここ数日体調が悪いのは分かっていたんです。それで休むように言ったんですけど……」
言葉を切り、言いにくい事を吐き出す決心をするように唇を噛む。
那音は無言で待ち、続きを促した。
「——お金が必要だから休めないって……むしろ出勤を増やしてました。さらに……別のバイトも始めたみたいで……」
それを聞いて余梁はハッとして顔を上げて、那音と目を合わせる。
二人は同じ考察を頭に浮かべて、アイコンタクトで確かめ合う。
おそらく、歌えなくなってしまった恒一が、余梁の歌の才能に嫉妬して、喉を壊そうとウイルスに感染させた。しかしそれが予想外の喉頭ガンを引き起こし、治療費のために必死に働いているのだろう。
それから椅子に三人並んで座り、無言でただひたすら祈りながら時を過ごす。
最初こそ紺野は遠慮して床に正座して居たが、那音が説得して椅子に座らせた。
四時間程が経ち、治療室のドアが動くと、開ききる前に余梁は跳ねるように立ち上がる。
そして中から出てきた正人に詰め寄った。
「お父さんは!? 無事ですかっ!?」
「——ひとまずヤマは越えた。だがまだ油断はできない。それに……意識が戻る確率は……限りなくゼロに近い……」
余梁は身体中の全ての骨が溶けたかのように、その場に落ちた。
不安。疑念。祈願。悔悟。恐怖。
張力ギリギリまで張り詰めていた余梁の精神が、ひとまずの安心を得て一気に弛んだ。
那音は駆け寄り、片膝をついて肩と背中に手を添える。
続いて出て来た看護師が二人に声をかけた。
「身内の方ですか?」
「はい、そうですが……」
とまた代わりに那音が答える。
「入院するために必要な荷物を取ってきてもらえますか?」
余梁の様子を窺うと、黙って頷いたので「はい」と返事をした。
二人で荷物を取りに行くために、病院に待機しているタクシーに乗り込み、余梁が住所を伝えて向かう。
余梁は呆然として車の揺れに抗う事もせず、身体を前後左右に揺らしている。
口は半開きで、目線は物体ではなく空白を見つめていた。
那音は慰めようと、手を握る。
だがその手は力が入っておらず、握り返して来ない。ただ那音に委ねているだけ。
無粋かと思ったが一番気になった事を尋ねてみる。
「余梁は……なんでそんなにお父さんの事、好きなの?」
返事はなかった。
数秒間そのまま時が流れ、余梁に変化があった。
大きくため息をついて、言葉を吐き出す。
「なんか。めっちゃ向かい風。だな」
それは那音に伝えるための言葉ではなく、つい漏れてしまった心境。
那音は握った手にギュっと力を込めた。
余梁は再び大きくため息をつき「私ね」と、先の那音の質問に対して語り始める。
「お母さんに全く愛されて無かったんだ。……あの人、お父さんの歌が好きなだけの人だったからさ」
那音は相槌のみ静かに返す。
「……でも、でもお父さんは……。私の事愛してくれてた」
声を震わせながら、父との思い出をつらつらと紡いだ。
いろんな所に連れて行ってくれた。
美味しい物を食べる時は、まず余梁に食べさせてくれて、最後の一口も余梁に与えてくれた。
仕事で遅くなる時は必ず余梁が喜ぶ物を買って来てくれた。
帰ってきたら一番にギューっとしてくれた。
小さな事でも、なんでも、余梁ができたら頭を撫でてくれた。
「もう長いこと、頭撫でてもらってないなぁ」
手を握り返して肩に頭を預ける。
その頭を那音は優しく、優しく撫でた。
愛してくれたから好きになった父に、今は愛を求めている。
追いかける原因となった物が、いつしか追いかける対象になっていた。
これもまた皮肉が効き過ぎている。
「あいつのせいで。盗作したあいつのせいで、お父さん変わっちゃった」
堪えるように目を瞑りながら、静かに怒りを顕にした。
目から雫が溢れるが、それを拭おうともしない。
那音は自分の指を使って、ソッと拭った。
ちょうどその時、
「お待たせしました。こちらでよろしいですか?」
二階建てのアパートに着いた。
『好きな理由』




