第26話 努力の証明と誰かの悪意
診察室に入ると、正人は椅子に座り深いため息を吐き出す。
ため息が室内に充満したように不穏な空気が漂った。
余梁は正人の向かいの椅子に座り、その後ろに那音が肩に手を置きながら立つ。
そして、無言のまま正人の言葉を待った。
「医者として、ハッキリ言う」
俯きながらそう言うと、覚悟を決めたように、余梁の目を見て
「――全摘出するしかない」
と告げた。
余梁は自分の膝の上で拳をギュッと閉じ、無言で呼吸だけが荒くなる。
それを見た那音は膝立ちになり、その拳を優しくほどくように下から包み、繋いだ。
「もう少し早く見つかれば、他にも考えれたかもしれないが……」
悔しそうに正人が言葉を溢した。
「滑舌が悪くなったり、食べ物を飲み込みづらくなったりしたんじゃないかな……?」
2人はハッとした。あの時に病院に行っていれば……
だが、たらればを言っても仕方がない。
そして正人の方を向き、
「余梁の声を人工声帯で作るのは?」
「技術的には、ほぼ可能だ。但し……」
正人の言葉を聞き、2人とも身体が弾むように反応した。しかし条件を付けるための接続詞が続き、その後に続く言葉を待つ。
2人の反応を見て、野暮な言い方をしてしまったと反省しながら
「――作ってる間、ガンの進行は待ってくれない」
可能性の命綱がまた1つ切れた。
余梁は繋いでいない方の手で、自分の喉を優しく撫でる。
タイミングを見計らいながら、正人は説明を続けた。
「余梁さんも聞いてると思うが……。那音に使う予定だった人工声帯なら、もう少しで完成する」
それを聞いて、余梁は自分の意見を主張するための決意を固めかねる。
汲み取った那音が頭を撫でて、代わりに主張する。
「親父、その話は一旦置いといてくれ」
「今すぐ決めろ、とは言わないが。……正直、他に道はないぞ」
「余梁は自分の声のまま生きなきゃいけないんだ」
「あのな、医者として言うが、助けられる命を助けない選択肢はない」
事前に2人で相談をして、余梁の父の疑惑については他言しないことにした。
その説明不足もあって無理解を示した正人は、徐々に勢いを増す。
「他に選択肢がない以上、あとは余梁さんの覚悟待ちだ」
敢えて、情を入れず、淡々と告げた。
那音は顔全部を使って感情を抑えながら震える声で
「――お、俺たちは。その選択肢は選べない……」
と答えた。
正人は勢いよく立ち上がり、那音の両肩を掴んだ。
そして先ほどとは真逆に激情を吐き出す。
「これは父親として言うぞ」
と前置きをして、目が鋭くなり
「――お前は余梁さんが生きる道を説得しなきゃいけないだろ!」
「わかってる。わかってるってば!」
怒気を込めた言葉に対して、同じ熱量で那音が応える。
そして正人の胸を手で押して、遠ざけるように制した。
だが当然、事情を知らない正人の主張は止まらない。
「俺も歌手を目指していたから、喉が命よりも大事に思える気持ちはわかる。――仕事柄、喉を失って生きていく道が選べなかった人も……実際に何人かは見てきた」
悔しさを顔に滲ませ、声が段々震えていく。
「そして……残された人達の悲しむ姿も見てきた」
2人はそれぞれお互いを頭に浮かべながら黙って聞く。
正人は何度目かの覚悟を吸い込んで、言いにくい言葉を吐き出した。
「君が死んだら、残された那音は立ち直れないぞ」
「親父! そういう脅しみたいな言い方辞めろよ」
那音は手を繋いだまま立ち上がり、唾を飛ばす。
「お前がこんぐらいガムシャラに説得しろよ!」
勢いよく那音の胸ぐらを掴みながら唾を飛ばした。
その流れで繋いだ手は離れた。
「お、お父さん……落ち着いてください」
余梁も立ち上がり、那音から離すように正人の肩を引いた。
意外なほどすんなり離れて、柔らかい言葉を口にする。
「大きな声を出してしまってすまない」
謝意を示した正人はそのまま続ける
「さっきのは脅しみたいに言ってしまったが……君のお父さん、恒一さんも悲し……」
言い終わる前に、今度は那音が肩に掴みかかり言葉を遮る。
「それは絶対言わないでくれ!」
ただ事じゃない目をした那音と、俯く余梁の表情をみて、勘が鋭い正人は察した。
「わかった。一旦保留でいい。但し時間が無いのは変わらない。3日で答えを出せない場合は事情を全て話せ」
「わかった」
その条件に納得し、最初のポジションに戻る。
「なぁ……こんな年齢でも、その……喉頭ガンって、なるものなのか?」
「極めて少ない」
那音の質問に白衣を正しながら答える。
そして「だが」と説明を続けた。
「余梁さんの場合は2つの原因がある」
再び2人は沈黙して説明を聞く姿勢を作る。
「まず1つは、歌の練習で酷使し過ぎた事」
「そんなこと!?」
那音は思わず口にする。
「そんなことって思うよな。もちろん、これだけが原因でガンになることは、ほぼ無い」
と言って説明を続ける。
正人の説明では、余梁の小さい頃からの過剰な練習の結果、喉は慢性的に炎症を起こしていたみたいだ。
余梁は自分の歌を『天才』と評される事を、ひどく嫌っていた。
自分の歌は努力の成果だと認められたい余梁の望みは、ガンの一因になることで証明された。
皮肉が効きすぎている。
「もう1つの原因は?」
敢えて大きなリアクションをせずに、那音が続きを促す。
「余梁さんの喉は……」
と言ってから数秒溜めてから、
「――HPVに感染している」
「えいちぴーぶい?」
「ヒトパピローマウイルスの事だ。通常は粘膜の接触で感染するのだが……」
那音の目を見て意を決して尋ねた。
「ごめん。答えにくいと思うが……2人は、もうキスはしたのか?」
「俺たち付き合ってないから!」
「そうか……まぁそれは2人のペースでいいが、粘膜の接触は気をつけてくれ」
1つ心配事が剥がれた正人は胸を撫で下ろす。
「あ、あの……間接チューは……大丈夫ですか?」
「それはよっぽど大丈夫だ」
自分の感染の事より先に、那音に移していない事を確認して同じように胸を撫で下ろした。
それと同時に那音には、場違いな心配事が増えた。
――他の誰かと粘膜の接触をしたのか?
確かめるための質問をしようと口を開くが、先に余梁が主張する。
「私、粘膜の接触なんて誰ともしてません」
それは感染経路への疑問と同時に、那音に弁明するように。
「だとすると、考えられる可能性はただ1つ……」
3人とも同時にゴクリと唾を飲み込む。
「――誰かの悪意だ」
「……親父、俺も余梁も覚悟をしてるから具体的に言ってくれ」
「そうだな。わかった」
正人の説明は、余梁に対して悪意を持った誰かが、裏ルートからHPVを手に入れて、私物などを経由して感染させるしか可能性がないということ。
2.3回似たような事例があったらしい。
那音と余梁は説明を聞きながら、身体ごと地面に沈み込むような感覚に陥る。
疑いたくない疑念が、疑うしか無くなっていくようで。
2人ともすっかり口の中が乾いていた。
その時、余梁のカバンから振動音が鳴る。
「あ、すみません……」
「親父、これさっきから何度もかかってきてて怪しいんだ。出てもいいか?」
「出た方がいい。緊急の用事かもしれないぞ」
許可を得て、余梁はカバンからスマートフォンを取り出す。
「俺が出るよ」
と那音が手を差し出した。
「ありがと。でも自分で出るよ。変なのだったらすぐ切るし」
余梁は申し出を断り、電話に出る。
「――もしもし?」
「――――え? そうですけど。はい、白石余梁です。――え?」
スマートフォンをその場に落としてしまう。
「どうした?」
余梁は口をポッカリ開けて、空白に目を向けたまま、
「お父さん、倒れた、って。意識不明。救急車で運ばれてるって」
呆然として言った。
『努力の証明と他人の悪意』




