第25話 すごーくわがままなヒロイン
那音は、診察室に入る余梁の後ろ姿を見送り、真後ろにある硬めのソファに落ちるように座った。
両手をだらりとソファに預け、スライドドアを見つめたまま、口を半開きで浅い呼吸を繰り返す。
そのままの姿勢で、銅像のように固まっていたが、徐々に顔面に変化が訪れる。
口をへの字に結び、目は何かを堪えるように硬く閉じた。
さらに鼻で音を立てながら呼吸をしつつ、肩を上下させた。
やがて、硬く閉じたはずの目から、雫が零れる。
それと同時に勢いよく立ち上がり、早歩きでトイレに駆け込んだ。
個室に入ってズボンを降ろさずに、大便器に腰をかける。
「う、ううぅぅ…………余梁……。ズっズっ。ぅぅぅぅうぁぅ……。余梁…………」
前屈みになり、両手で顔を覆って感情を溢れさせた。
再び銅像になると、人感センサーが反応しなくなりトイレの電気が消える。
真っ暗な個室に、那音の嗚咽だけが響いた。
頭の中を余梁に支配され、答えの出ない堂々巡りを繰り返す。
その中で遊園地での指切りを思い出した。
『ゆーびきーりげーんまーん、――この先も私の傍にいてね』
「――すぅ……はぁ……」深呼吸をして
「傍にいる俺が暗い顔じゃいかんな」
両手で挟むように、自分の頬を叩いて気合いを入れる。
「よし」と言って立ち上がると、人感センサーが反応して電気がついた。
そのまま便器を振り返り、便も尿も出していないが『大』のスイッチを押して水を流し、その水の行方をジッと見つめる。
自分の陰気な感情――悲しみや悔しさ、恐怖や絶望、疑念や怒りを一緒に水に流すように。
そしてもう一度自分の頬に気合いを入れて、診察室前のソファに戻った。
ご褒美の約束を果たすために、スマートフォンを取り出して焼肉屋を検索して過ごすことにする。
なかなか条件に合う店が見つからず――そもそも高校生だけで深夜に行くことの問題もあるが。
「ご褒美は明日の夜ご飯にさせてもらおうかな」
と呟くと同時にスライドドアがゆっくり開いて、余梁が出てきた。
那音は立ち上がり、
「あれ? もう終わったの?」
「ううん。内視鏡と……生検? ってやつだけ。今からCTだってさ」
「生検? って?」
「なんかね、組織を採取して調べるんだってさ」
「なるほどね。お疲れ様」
と言って余梁の頭に手を伸ばして、優しく撫でる。
言われる前にやった方が喜ばれる事を那音は理解した。
頭を撫でられて満足げに頬を上げて、那音の目を見つめる。
那音の目が赤く充血して、まつ毛が束になっていることに気づいたが、それには言及しない。
そして、無言で那音の頭に手を伸ばして撫でた。
「よし、よーし。那音くん、いい子だね」
那音は何も言えなくなり、下唇を強く噛む。溢れそうになるものを必死で堪えた。
「……子ども扱い、しないで」
「子どもじゃないよ。那音くんはヒーローでしょ。あのマンガみたいな!」
「俺が憧れてるのは、そのヒーローじゃなくて脇役の方だよ。ヒーローを奮い立たせる脇役」
お互いに頭を撫で合いながら柔らかく言葉を交わす。
余梁は目を鋭くして、ニヤリと口角を上げながら伝える。
「その脇役も、ある意味ヒーローでしょ! 不特定多数を救うんじゃなくて、たった1人にとってのヒーローもかっこいいよ――那音くんにぴったり!」
那音は下唇を噛んだまま、先ほどとは別の物を堪えるが、すぐ堪えきれなくなり、歯を見せて笑った。
「俺、ヒーローになる。余梁にとっての」
「へへへ、じゃあ私は救われてあげるっ」
同じように歯を見せて笑いながら余梁が続ける
「でもね、このヒロインはすごーくわがままなの。喉も、命も、お父さんの事も。全部救ってね」
真剣に向き合ってくれる那音に対して、遠慮や配慮は逆に失礼だと思った余梁は、微笑みながら首を傾けて本音をぶつける。
那音は力強く頷き、2人同時に頭から手を離した。
「じゃ、CT行ってくるね。荷物置いてっていい?」
「もちろん。頑張ってな」
カバンを預けて余梁は歩き出した。
その背中を見えなくなるまで目で追う。
自分が救う。救うべき。救わなきゃいけない。
――いや、救いたい人。
再びソファに腰を降ろして、さっきの言葉を反芻する。
『たった1人にとってのヒーロー』
まさに那音が憧れた脇役を的確に捉えた言葉。
1人でにやけながら頷いた。
しばらく、そのままでいると預かったカバンから振動音が聞こえてくる。
だが探ることはできないので無視をした。
しかし、鳴り止んだと思ったらまたすぐに鳴る。
気になって仕方がない那音だが、カバンに耳を当てるまでに留めた。
「もうすぐ、戻ってくるだろう」
予想通り、それから5分ほどで余梁は戻ってきた。
今もカバンの中の振動音は断続的に鳴り続けている。
「なんかカバン中でスマホかな? めっちゃバイブしてたよ」
「え、なんだろ」
といいながらカバンを受け取りスマートフォンを取り出す。
「――なにこれ……。知らない番号から着信17件も来てる。……わ、またかかってきた」
不審な着信を目にして驚いていると、また同じ番号から着信が来た。
「こんな時間に何件も……。怪しいよな……。ちょっと考えたいから一旦無視しよう」
「うん。わかった」
着信画面のまま放置してしばらく待つ。そして、目を見合わせて2人同時にため息をつく。
「とりあえず検査お疲れ様。どうだった?」
「那音くんのお父さん、大急ぎで結果出してくれるって。でも1時間ぐらいはかかるから待っててって」
「そっか、一旦座ろうか」
と余梁の手を握りソファへ促す。
「さっきの電話は……心当たりある?」
「全然ないよ」
「じゃあ次かかってきたら、まず俺が出てみるわ」
「わかった。ありがと」
といって肩を寄せ合う。
どんな検査をしたのか、正人の対応がどうだったのか、などを聞きながら待ち時間を過ごす。
そんな話も尽きた頃、余梁は先ほど見た、那音の泣いた後のような目を思い出して口を開く。
「ね、那音くん。もう0時過ぎたから暗い話。吐き出してもいいよ」
握った手に力を込めながら言った。
那音は同じ力で握り返して
「ふっ、俺はヒーローだぞ」
「へへへー。そうでしたっ!」
鼻を鳴らしながら答える那音に、満面の笑みで肯定した。
その後、あんなに鳴っていたスマートフォンが、ピタっと鳴らなくなっていることに気付いて、逆に不審感が増す。
しかし目の前のスライドドアがゆっくりと開き、それどころではなくなった。
「検査の結果が出た。余梁さんが良ければ2人で聞くか?」
那音が委ねる視線を向けると
「はい。2人で聞きます」
即答した。
同時に立ち上がり、ゴクリと音を立てて唾を飲み込む。
そして診察室に入った。
最初の医者の診断が間違いでありますように。
正人の技術で声帯を残すことができますように。
人工声帯だとバレないレベルで余梁の声が作れますように。
那音は僅かな望みを心の中で唱え続けた。
さらに
どうしようも無いなら……声帯を摘出する道を選んで欲しい。生きて欲しい。
余梁には伝えられない望みも自分の中だけで唱えた。
【すごーくわがままなヒロイン】
余梁が言った『あのマンガ』でピンと来ない方
3話と6話で登場していますので、是非読み返してみてください。
那音が歌手を目指すキッカケです。




