第21話 ドラマチックなわがまま⑤
那音の足は前に進まない。まるで地上に立った瞬間、地面に固定されたように。
そんな那音の背中を余梁がポンっと叩く。
「那音くんっ! 笑顔で別れよっ」
「わ、別れ……?」
那音が振り返ると、余梁は微笑みを作っていた。
その顔のまま、優しく、ゆっくりと言葉を吐き出していく。
「だって、歌の練習の邪魔になっちゃう。それに、私がこの先弱っていく姿……見られたくないよ……」
那音はゴクリと唾を飲み込み、言葉を返せない。
「那音くんの思い出の中で。私は、めっちゃ可愛い余梁ちゃんのままで居たいの」
舌を出して、クシャっとした笑顔で余梁が言う。
那音は眉間にシワを寄せ、言葉を絞り出そうとしている。――だが出ない。
「もうっ! 私の思い出の中の那音くんも、そんな顔じゃ嫌だよ」
「……」
すると余梁は「あっ」と、カバンを漁り
「この顔してよ」
写真を取り出して那音に見せた。
ジェットコースターの時の写真。顔中の穴を全て広げた那音が写っている。
それを見て、楽しかった遊園地が遠い昔のように思える。もはや伝聞された情報のようにさえ感じてしまう。
「あははー。この那音くんの顔、最高だよね! 私口に吸い込まれるかと思ったもんっ」
「……」
「――ねぇ……。笑ってよ。……笑って、よ……」
次第に声が震えていく。下唇を噛んで感情を抑えている。
どうか泣かないで。
那音は悲壮の目をしたまま、無理に口角を上げて歪な顔を作った。
「――余梁……」
その後が続かない。
それを見た余梁は深呼吸をして自分を落ち着かせ、柔らかい目をした。
「ねぇ、最後に。ギューってしていいよ。特別だよ」
と両腕を那音の方へ伸ばす。
だが那音は固まってしまう。
緊張が原因ではない。ただ『最後』という言葉の響きに咄嗟に身体が動かなかった。
ほんの数秒の硬直だが、余梁の手は降りてしまう。
「もうっ……。那音くんはやっぱり那音くんだね」
「……ご、ごめん」
口を尖らせ、ジト目で言う余梁の真意はわからないが、謝意を口にする。
「まっ、そんなとこも好きだったぜっ」
と歯を見せて笑う。
那音はまた、その過去形の響きが引っかかる。
そして、余梁は軽く嘆息をつき、少しの満足を宿した顔で
「じゃあ、私。もう負担になりたくないし。行くね。わがまま言って、ごめんね。最後に楽しい、思い出ができて。よかった! 春に、那音くんに。出会えて……私は。……幸せ……でした。……今までありがと」
震えを抑えながら伝える。
そして那音の前に足を進めて、ゆっくり振り返り
「泊まった日の指切り、忘れないでね」
――ゆーびきーりげーんまーん、私がどこに行っても那音くんの歌届けてねっ
「どこに行くかわかんないけどねっ! 天国なのかなぁ。もしかしたら異世界とか、かもね」
舌を出しておどけた顔で言う。今日何度も見た顔。
「この想いを胸に。那音くんの歌は世界中のみんなに届くのだ!」
ジワっと余梁の目から涙が溢れる。
それを隠すように勢いよく那音に背を向けて、「じゃね」と言って、ゆっくりと向かい風の方へ歩いていく。
離れて行く背中をジッと見つめ続ける。
それしかできない。動かない。
ゆっくり、だが確実に去っていってしまう。
なぜ、さっき何も言えなかった。
なぜ、抱き締めてあげられなかった。
なぜ、笑顔を作れない。
なぜ、脚も腕も動かない。――こんなにも感情は動いてるのに。
動け。動け。動け。動け。動け。
余梁は追いかけて来て欲しいのだろうか?
追いかけて行ってどうする?解決できるのか?
救ってあげられるのか?
余梁の本心はどれだ?俺はどうするべきだ?
追いかけろ。追いかけろ。追いかけろ。追いかけろ。追いかけろ。
追いかけなきゃ絶対に後悔する。
余梁がどうして欲しいか、考えても無駄。
それなら、余梁に何をしてあげたいかを考えろ。
余梁。余梁。余梁。余梁。余梁。余梁。余梁。余梁。余梁。余梁。
――わかった。いや、わかっていた。
『好きだ』
自分の中での葛藤にケリを付けて、大切な気持ちを胸に張り付けた。
そんな時、ジッと見つめていた後ろ姿の変化に気づいた。
肩が上がっている。小刻みに震えている。歩幅が小さくなっている。
那音は考える間もなく、飛び出した。向かい風の方へ。
歌の道への負担、そんな事は全く那音の頭にはない。
ただ一つ。頭の中に棲みついているのは
『余梁』
脇目も振らず、駆け出した。
すぐに声が届く距離になり
「余梁ーーーっ!」力の限り叫び、呼び止めた。
足を止めた余梁には、すぐに追い付いた。
背中の震えがより一層顕著に見える。
息を切らしながら、余梁の前に立ち、顔を窺うと、ぐちゃぐちゃの泣き顔だった。
零れる涙を拭いもせず。
「……ぅぅぅぅうぁあ、ああ……ズっ……ズっ……ぅぅぅぅうぁ」
那音を見てさらに溢れた。
「……おいか、けて、ズっ……ズっ。追いかけて。ズっ。来てくれ。た。……よか、った」
ぐちゃぐちゃの顔の口角が少し上がった。
那音は息を乱したまま、余梁を包むように手を回す。
ぎこちなく、余梁の身体に触れないように。
余梁はみるみるうちに下唇を前に出し、再びジト目を作って、那音の目を見る。
そして、勢いよく那音の胸に飛び込み、締め付けるように抱きついた。
そのまま、胸に泣き顔を埋めながら
「もうっ!」と言った。
那音に見えないように埋めた顔は、頬が上がっていた。
『ドラマチックなわがまま⑤』




