第12話 誘惑の蜜を拭う約束
手分けして夕食の片付けを行いながら、那音は、頭に引っかかっている疑問を口にする。
「ねぇ、余梁……さっきの『どこに行っても』って……どっか行っちゃうの?」
「んー、そんなことはないよ。もしもの話だよ」
余梁は歯切れの悪い返事をしつつ、
「さっ、片付け終わったし、豪邸を満喫するぞー」
と無邪気な顔で腰を屈めて上目遣いだ。
時計は22時を指しており、住み込みの家政婦は既に寝ている。
那音の胸は、昼とは違う原因で高鳴り、事務的な言葉を早口で発する。
「えっと……寝る部屋は、俺と別の部屋いくらでもあるからね。お風呂は脱衣所から鍵締めれるから安心してね。あとは……着替えって……持ってないよね?」
「なんか急にめっちゃ早口だけど……もしかして変なこと考えてない?」
ニヤニヤとした顔で余梁が聞く。
「えっ……いや、いやいや、考えてないよ」
「私……那音くんの歌は大好きって言ったけど……身体は許してないよ?」
「だ、だから考えてないってば」
自身の肩を抱くように手を交差させた余梁の、からかう発言にペースを掴まれ、那音は頬を紅潮させ否定する。
「あははー、わかってるよ、冗談。寝間着だけ貸してね」
ドキドキしているだけの那音の心など、お見通しという表情で笑顔を咲かせている。
それはいちいち胸にチクっと刺さる。
自分を落ち着かせるために、先に余梁を風呂へ促す。
「じゃあ、寝間着はおれの体操服使って。タオルとかドライヤーはこれ使ってね」
「ありがと! せっかくだから、ちょっとゆっくり目に入らせて」
「もちろんいいよ、あのボタン押したらジャグジー出るからね。のぼせないようにね」
顔の前でお願いします、と手を合わせる余梁に目を合わせられないまま説明を終え、
「じゃあ、ごゆっくり」と脱衣所を後にする。
思春期ど真ん中。今まで歌一直線だった那音にとって、ある種オーディションよりも緊張するシチュエーション。
今のうちにしっかり落ち着かせ、この先は緊張しないようにと、自分に言い聞かせる。
聞きたいことがある。探りたいことがある。
さっきは躱されたが、やはり『どこかへ行ってしまう』発言が気になる。
公園での涙の訳はなんだろう。
以前聞いたお父さんとのその後の事。
せっかくの機会なので、余梁の事をさらに知りたいと那音は思った。
那音の歌う理由の中で、余梁の存在がどんどん大きくなっていた。
散々頭の中でシミュレーションを繰り返していると
「那音くーん。お待たせ、ジャグジー最高だった」
落ち着け、落ち着け、落ち着け、何度も自分に言い聞かせてから、声のする方に視線を向ける。
そして、自分の体操服を着ている余梁を視界にいれても平常心で…………無理だった。
背筋をピンと伸ばして、さらに頬が紅潮しているのが自分でもわかる。
緊張を隠そうと苦し紛れに言葉を放り出す。
「あ……あぁ……よ、よく似合ってるね」
「いやいや、体操服似合ってるってなに?」
「ま、まぁ……俺も風呂行ってくるわ……なんか冷蔵庫にあるの飲んでいいからね」
と視線をそらし、逃げるように風呂場へ向かう。
風呂場では余計な事を考えないようにリラックスに徹した。
水風呂に浸かり、身も心も冷やし、落ち着かせた。
脱衣所を出る前に小さく「よしっ」と気合いを入れ、待たせている余梁の元へ向かう。
リビングに入る直前、中から話し声が聞こえてくる。
「本当にお願いします。チャンスを与えてあげてください。お願いします」
「いや、だからこれは俺と那音の話だから、君にどれだけ言われても……」
勢いよくドアを開け、二人の会話に那音が割り込む。
「親父っ! 今日は帰らないんじゃなかったの?」
「少し時間が空いたから寄っただけだ。それよりお前……女連れ込んで……彼女か?」
「ち、違う。その子は……友達、親とケンカしたっていうから……ウチに来ただけ」
「はい。先ほども挨拶しましたが、白石余梁です。那音くんの友達です。那音くんの喉を奪わないでください。お願いします」
余梁は堂々とした態度で要求する。
「奪うってなぁ……これは俺と那音の約束で、夢を叶える手段なんだよ。なぁ那音?」
「う……いや、う、う……」
正人は肩をすくめながら、那音へ同意を求め、那音は曖昧な返事をする。
「もう! 那音くん、ちゃんとハッキリ伝えなきゃダメじゃん」
歌う理由――自分の体操服を着て、これでもかと頬を膨ませている余梁を視界に入れ、自分の胸にエンジンを掛ける。
その勢いのまま
「親父、ごめん。小さい頃約束したままちゃんと話せなかったけど……俺、自分の声のまま歌手になりたい」
11年越しに本心を伝えられた。
正人は目を点にして言葉をぶつける。
「は……? 今さら何言ってるんだよ……どれだけ時間とお金使ってると思ってるんだ」
「ごめん、ほんとにごめん。もっと早く言うべきだった」
「そもそも、お前の歌じゃ歌手になれないだろ? それでいいのか?」
「いや、俺はなるよ。俺の歌が大好きって言ってくれる子がいるんだ」
余梁に一瞥をくれてから、毅然とした態度で那音が言う。
「ダメだ。なにが気に入らないんだ? 『生まれつき才能を与えられた天才』がいるんなら、『後から与えられた天才』がいてもいいだろ」
聞く耳を持たない正人の主張に、那音は少し納得してしまう。
天才に対しての劣等感や嫉妬が溢れそうな那音に、その主張は蜜だ。
言葉を返せない那音の小指が暖かな物に包まれ、その持ち主を見ると、「約束を忘れるな」と目で言われた。
小指のぬくもりを糧に、誘惑の蜜を拭い主張を繰り返す。
「俺は、自分の声で歌手になる。チャンスをください」
「努力で天才に勝てるなら、俺は諦めてねぇよ。だから……」
「じゃあ那音くんの歌、聞いてみてください! 」
頑なな正人の言葉を遮り、余梁がこの場で一番強い主張を挙げる。
「……そんなことしても変わらんぞ。まぁそれで満足するなら一曲だけ聞いてやる」
と背中を向け、急かすようにカラオケルームへと先導する。
小指が握られたまま、目を瞑り、運命に抗う歌を準備する。
深い呼吸をしていると、
「やったね、聞いてくれるって! 大チャンス! 頑張れ、頑張れ!」
余梁は、那音の背中を叩きながら激励を送る。
体操服姿で激励ってなんだか似合ってるな、と思ったが口には出さない。
落ち着きを宿し、準備が整った。
『誘惑の蜜を拭う約束』




