第11話 向かい風と追い風
余梁は、門をくぐりながら
「おじゃましまーす」と言い、
芝生の香りをたっぷり吸い込みながら歩き、玄関に入るときにも
「おじゃましまーす」と言う。
出会ってから4ヵ月、毎日繰り返している流れで二人は中へ入る。
「夜ご飯ってもう食べた?」
廊下を歩き、前を向いたまま那音が尋ねる。
「まだ食べてない……けど、うーん、あんまり食欲ないかもー」
若干うつむき、お腹に手を当てながら余梁が答える。
「そっかー、家政婦さん作ってくれてるから、一緒に食べよっか」
「ありがと。食べれそうなの頂くね」
と会話をしながら食堂を通り過ぎ、洗面所へ向かう。
「はい、どうぞ」と那音がうがい薬を差し出す。
「いつもありがと。助かります」
いつもの流れを繰り返す。
「喉の調子、良くならないね。やっぱ病院行ったほうがいいんじゃない?」
「うーん……そうだなー。じゃあ那音くんが診て」
と大きな口を開け、無邪気な顔を那音に向ける。
整った歯並び、薄ピンクの舌を目にして、那音は顔を赤らめながら目を逸らす。
「じゃ、じゃあご飯行こっか」
口腔内には言及できず、照れ隠しで発言をし、食堂へ先導する。
食堂へ着くと、那音は冷蔵庫へ向かう。
「余梁、ちょっと来て。いろいろ作ってくれてるから、選びなよ」
と那音が呼ぶと、余梁は駆け足で向かう。
「わぁー! すごいね」
と目を輝かせて余梁が言う。
冷蔵庫の中には、野菜を中心とした常備菜が八種類と、メインのおかずとしてロールキャベツ、さらにスープまで用意されていて、横の炊飯器にはご飯が保温されていた。
「好きなの食べていいよ」
「うー……迷うなぁ。じゃあ私はスープとポテトサラダ……あとロールキャベツを一つだけ、お願いします……」
余梁は、心なしか悔しそうな表情を浮かべ注文をする。
「オッケー、足りなかったらおかわりしなよ」
「うん、ありがと」
話しながら準備をし、それぞれの食べる分をテーブルへ運び、息を合わせて
「「いただきます」」
と同時に手を合わせて食べ始める。
余梁はまず、スープを口に運び、
「わぁーこのスープめちゃくちゃうんまい」
「あー、ナスのポタージュかな、美味しいよね」
「ナス!? ポタージュにするんだ!すげー」
スープへの感想を発し、そのままの口で
「ねぇ、那音くん、オーディションって……どんな感じだったの……?」
「……いつも通りだよ。いつも通り天才が勝ってった」
「そっか……また、練習がんばろうね」
オーディションの話になった途端、目を背ける那音の目を、真っ直ぐ見つめながら余梁が笑いかける。
「今、その話はいいよ……」
と、那音は強引に話題を逸らす。
沈黙が二人の間を支配した。
余梁は次にポテトサラダを口に運ぶ。
目を瞑りながら、よく咀嚼するに連れ、次第に笑みが溢れて、沈黙を破る。
「わぁ……これもおいしっ」
口元に手を当てながら発する。
嬉しそうな余梁を目にして、那音は得意気な顔を作り、
「それいつも作り置きしてくれてるから、今度カラオケのオーダーでも頼めるよ」
「えー! そうなんだ、今度絶対頼む! 毎日食べたい」
次々と口に運び、よく噛み、水で流すように飲み込む。
口の中を空にした余梁が続けて、強引に言葉を届けようとする。
「ねぇ、那音くん。君の歌は絶対みんなに届くからね。だから……」
「届かなかったんだよ……」
言い終わる前に、那音が強い言葉を挟む。
余梁は咄嗟に言葉を返せず逡巡する。
那音は膝の上で拳を震わせながら続ける
「……届かな……かったんだ。絶対に俺より努力も想いも小さいやつらに。俺の全力は届かなかったんだ」
余梁は那音の言葉を全身で受け止め、自分を落ち着かせるように深い呼吸をしながら、ナイフでロールキャベツの包まれている肉を露にさせる。
そして、小さく「よしっ」と発し、先と同じように水で流し込むと、意を決したように心の内を伝え始める。
「那音くん。落ち込んでるのなんて似合わないよ。初めて会った日から、ずっと一生懸命だったじゃん! あのマンガの脇役みたいな歌を届けてくれるんじゃないの!?」
「もう……その話辞めてくれよ。……俺の全力は誰にも届かなかったんだから……」
那音の自信は既にボロボロ。公園のベンチで張った根は抜けないまま。
「私には届いたよ! 大好きなお父さんの曲、それを歌ってる那音くん、どっちも私の心に棲みついてる。余韻が消えないの。責任取ってよ。勝手に諦めないで!」
いつもより強引な譲らない余梁の視線に対して、那音は両肘をテーブルに付き、目を覆って心の内を曝け出す。
「じゃあどうすればいいんだよ……? どんだけ練習しても、届かないじゃんか。遅刻してくるようなやつにも、サッカーの片手間でやってるやつにも負けたんだぞ? 才能があるやつとはスタートラインが違うどころか、そもそもやってるレースが違うんだよ。車のレースに、俺は走って挑んでるようなもんじゃん、勝てるわけないじゃん。せめて俺の必死に頑張ってる姿を見て応援してくれたり、追い風が吹いてくれるならまだわかるさ。頑張る甲斐がある。視聴者票すら俺の味方せずに、結局上手いやつに入れ直したんだぞ? なんでこんな頑張ってるのに。さらに向かい風かよ。ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな。期待させやがって。遅れてきて『やっぱいいや』で帰るなら最初から来んな。サッカーやりたいんならグランド行けよ。自動ドアみたいに優勝しやがって。……どうせ届かないなら…………期待させないでくれよ……あと5秒で……俺の優勝だったじゃんか……やっと届いたと思ったのに……」
最後の声は震えていた。覆った手から雫が零れた。
那音の荒い呼吸の音だけが部屋を支配している。
落ち着くのを見計らって、余梁が優しい口を開く。
「ねぇ、那音くん。こっち向いて」
微笑みながら那音に促し反応を待つ。
那音は大きく呼吸をした後、ゆっくりと目を拭いながら顔を上げた。
「那音くん、君が向かい風だって思っているのは、背中で受けたら追い風だよ?」
那音は一瞬ハッとしたが、屁理屈のような疑問をぶつける。
「いや……背中で受けたら夢と逆向き……」
「地球は丸いじゃん! 逆向きでも歩き続ければ夢にたどり着けるよ!」
再びハッとし、腑に落ちているが、那音の根っこに棲みついた喉の問題が、那音を素直にさせない。
「そ、そうだけど……さ……俺、時間がなくて……そもそも親父との約束で三月に喉の手術だし……てかもういいかなって……」
「えっ……お父さんと話し合ったんじゃないの? もういいかなってどういう意味?」
「親父とは話す時間が作れなかった。もう努力じゃ天才に勝てないってわかったから、俺も天才の喉にしてもらおうかなって」
再び目を覆って那音が呟く。
それを聞いた余梁は勢いよく立ち上がり、テーブルに手を置き主張する。
「ダメだよっ。辞めてよ。そんなの嫌だよ! 那音くんの声のままでいてよ。お願い。お願い……」
さっきまでの整った説得はもはや面影がない。
那音は言葉が返せず、必死の余梁が続ける。
「那音くんの歌が大好きなの。お願い、お願いします。……私がダメになったら、那音くんの歌で支えて欲しいの。私がどこに行っても届くように那音くんに歌い続けて欲しいの。…………私が……もし……いつか……死んじゃう時は……最期に那音くんの歌が聞きたい」
前のめりになり、目から雫を落としながら主張する。
那音はとても顔を伏せたままではいられなくなる。
「……どうして、そんなに……?」
「――だって世界一かっこいいお父さんと同じものを感じたもん。私が憧れた魔法の歌。聞いてる人を感動で幸せにする魔法の歌」
余梁は、潤んだ目のまま、少しの得意気な表情を作りながら続ける。
「那音くんの歌は果てしないの。魔法の歌が歌える人はみんなに届けなくちゃ。風を背中で受けて、追い風に変えながら。遠回りでもさ、届く人から届けて行こうよ。そしたらさ……那音くんの歌はみんなに届くよ!」
余梁の想いを全身で受け止めた。
唇を噛みしめながら、ゆっくり頷き呼吸と心拍を落ち着かせて口を開く。
「余梁……ありがとう。……でも親父、話す時間作ってくれないから……話しても絶対聞かないし……」
「もう! グダグダ言わないの。じゃあ次のオーディション、絶対受かるようにもっと練習するよ。それがもしダメでも、私が一緒に那音くんのお父さんに怒鳴り込んでやる」
「あはは、頼もしいな。ありがとう。わかったもう一回頑張ってみる」
根っこが抜けたように那音が立ち上がった。
「もう一回じゃない。絶対諦めないの!」
顔を見合せ、余梁の方から、
「じゃあ、んっ」といって小指を出して約束を促す。
「えー」と言いながら、それに合わせて小指を絡ませる。
そして、那音の顔を見ながら、より一層真剣な顔を作って余梁が誓いを述べる。
「ゆーびきーりげーんまーん、――――私がどこに行っても那音くんの歌届けてねっ」
『向かい風と追い風』




