疑惑
結局、どこからも死体は出て来なかった。もちろん、目撃者の女も見つからない。あのあとすぐに応援にやってきたもう一台のパトロールカーの警官たちも加え、くぼ地どころか公園内を隅々まで探したが、死体のしの字も出て来なかった。
そろそろ通勤時間も最初のピークを迎えていて、公園の外はオフィス街へ向かう車と人が格段に増えていた。また公園内を犬連れで散歩する人もいる。
公園の真ん中で大の男が5人も集まっていると――しかもそのうちの4人は制服警官ときては――人々の注目を集めるのは必至だった。まるで軽装のレニーが何かの犯人で、制服警官に取調べを受けているように見えなくもない。みな好奇心に満ちたまなざしで、公園の中から外から男たちの方をちらちらと見ていた。
だが、今は人の視線にかまっている暇はなかった。公園のさきほどのベンチのそばで、5人はそれぞれの成果を報告しあった。もちろん、何もないのだから、成果はみな一様にゼロである。
もしかして、死体は持ち去られ、女は殺人犯人に拉致されたのではないのか、という意見もあった。だが、女が死体を見たといって駆けてきた時から姿を消すまで、わずか5分しか経っていない。本当に犯人がいたとして、死体を隠し、女をトイレから連れ去る時間的余裕はほとんどないといってよい。
女が騒いでいる間にレニーの目を逃れ、死体を担いでくぼ地から逃げる時間はあったかもしれない。
くぼ地は殆ど公園の端にあった。1ヤードも離れていないところに公園の外側の柵がある。高さは3フィートほどでちょっと身軽な大人ならたやすく越えることが出来る。
力がある人間が死体を担いで柵をよじ登ることができれば、柵の外側はすぐ道路になっている。だが、その必要があったのだろうか。外に出たところには、バスの停留所もある、監視カメラも複数ついている。そんな危険は犯すはずがない。
「死体はそれでもいいぜ。でも、目撃者の女はどうする? 騒がれるのを覚悟で連れ去るよりか、ほっといた方が害は少ないと思うけどな」
「ま、自分ならとっとと逃げたいとこだわな」
「どうだ? クラウン?」
後から来た警官ふたりとリードの意味ありげな視線に、レニーは、はーっと深いため息をついた。レニーは両手をあげて降参の仕草をする。
「オーケー、オーケー。どうやら、おれがまんまとかつがれたってことでいいようだな。もうこれで充分だ。忙しいのにほんとうにすまなかった。なにもなかったってことで終わってくれ。緊急通報用の報告書は、責任もっておれがあげとく」
「まぁいいさ。気分転換に散歩したと思えば」
「空振りなんてよくあることさ。死体があるよりないほうが全然いいんだ」
「ちょうど事件もなかったしな。気にするな」
みな口々に明るくそういうと、3人のベテラン警官はうなずきあい、レニーの謝罪を寛容に受け入れた。新人は眉を少し寄せているが、無言で軽くうなずく。それからお互い陽気に手を振りながら、それぞれのパトロールカーへと戻っていった。
そして、ひとり納得が行かないのは、ほかならぬレニー本人だけだった。
「んで? どうなったんだ?」
車の助手席でボリス・ブリントン刑事ことBBが眉を上げて相棒の顔を見やった。レニーは、ずっと渋い顔で警察車両のダッジ・チャージャーのハンドルを握っている。
これから、別の「本当の殺人事件」の聞き込みに行くところだった。
「んで、もなにも……。それで終わりだよ。一応、ボスには話してあるし、刑事課と行方不明課とおれんちの近くの分署と、ついでに鑑識課にも話は通しておいた」
レニーが前を見据えたまま、肩を小さくすくめた。
「何もない、誰もいない、なんも届けが出ていない。ボスいわく、おまえたちゃそんなにヒマじゃないだろう、逃げた死体にかまうな、とさ」
「なるほど、なるほど」
相槌を打ちながら、BBが分厚い下唇をぐいっとひっぱった。これはBBが何か考えているときの癖だった。
レニーが派手にため息をついた。
「おれのまぬけさ加減が、あちこちに宣伝されただけだな。ほーんと嬉しいよ」
「そりゃぁとんだ災難だったよな。だけどな、レニー。物事にゃみんな何か理由がある、ってのがおれのじいさんの口癖でな」
レニーがちらっと横目でBBを見る。
「その女、いったい何が目的だったんだ?」
レニーは、左にウィンカーを出しながら、端正な顔をきゅっとしかめた。交差点を曲がると、市街地が途切れ、そこからは少しずつ緑の多い風景に変わっていく。
「それなんだよな。いったい彼女が何をしたかったのか、よくわからないんだよ。おれをからかうだけにしちゃ、あの娘はずいぶん真剣に見えた。第一、リードが言うようにナンパだったとしても、逃げ出すんじゃ意味がないだろ?」
BBが分厚い唇に薄い笑みを浮かべた。
「確かに、ナンパだったらな、死体を持ち出さなくてもよさげなもんだ。変態に追いかけられたっていう方がずっとマシだ。死体じゃ……」
いいよどむBBの後をレニーが続けた。
「インパクトが強すぎる。あとで気のせいだったとも言えないし。それに、あの突然の取り乱し方もおかしかったし、塗りたくってるっていうファンデーションも変だし」
「ファンデーション?」
BBの左の眉があがった。
「ああ、ミセスロシェットがいうには、彼女は分厚くメイクしてたって。だから顔色が悪く見えるんだってね」
BBが唇を引っ張る。
「でもな、ジョギングスーツだったんだよな。ジョギングのときに厚塗りメイクするか?」
「そう、だからよけいにおかしい。日焼け止めにしてもね。というよりも、ミセスロシェットのいうのを鵜呑みにするなら、顔色を悪く見せたかったのかもしれないけど」
「顔色を悪く見せたい? なんで? お前さんの同情を買うためか?」
レニーは小さくうなずいた。
「かもね。なぁ、どうしたらいいと思う? BB」
ふん、とBBは鼻を鳴らして少しだけ考え込んだ。
「そうだな、どうせ納得はいってないんだろ? 明日もう一度現場へ行って、何もわからなきゃ捨てておけってとこだな。本物の事件なら、どうせこのまますみゃしないさ」
遠くに目的地の目印が見えてきて、レニーはため息をついた。
「そうだよな。捨てておくしかないよな」
実際のところ、この話はもうじき終わらせなくてはならなかった。
レニーたちもそんなにヒマではない。8時間ごとの交代時間はあるが、その時間通りに終われることはめったになかった。一日のうち12時間かそれ以上、レニーたちの時間は殺人事件のために使われているといってもよかった。
「まぁ、何かあったら電話をよこせ、レニー。今度はおれが付き合ってやるぜ」
BBの言葉に、ずっと渋い顔だったレニーの顔にかすかに笑みが浮かんだ。
「ああ、わかった。今度は間違いなくそうするよ」
あれから3週間、何事もなく過ぎた。季節はすでに寒い早春から暖かな春真っ盛りへと移り変わっている。
相変わらずレニーは毎朝ジョギングに出かけているが、あれ以来事件は何も起きていない。時々ミセスロシェットに行き会うことはあったが、ごく普通の朝の挨拶だけを交わしていた。
また、深夜勤務との交替時にリードとその相棒を見かけることはあったが、リードが意味ありげな笑顔でウィンクをよこすくらいで、特に情報も進展もなかった。殺人課でも最初のうちこそ同僚のラッドやベケット警部が、レニーをからかうための絶好のネタにしていたが、すぐに飽きられ忘れ去られていった。そして、何よりレニー自身、あれは事件ではなかったんだと思い始めていた。
「ハーイ! クラウン刑事」
ローリーズダイナーのランチ袋を持って、署の階段を一段飛ばしで駆け昇ってきたレニーに誰かが声をかけた。
顔を上げると、3階の踊り場の手すりから身体を乗り出すようにして、黒髪をポニーテールに結った女性が、にこにこしながら手を振っている。
CSI(犯罪現場捜査班:Crime Scene Investigation)捜査官のフェリス・カブリーニだった。レニーはまぶしげに目を細めた。
相変わらず彼女は美人だ。
「やあ! カブリーニ捜査官。市警にいるのは珍しいね」
CSIのラボは2ブロックほど離れた所にある。現場ではよく会うが、あまり本署では会う機会がない。
「フェリスよ、クラウン刑事。みんなそう呼ぶの。仕事のついでよ。ファイルの送付だけじゃ納得できない人がいるの」
彼女は身軽く二階の踊り場に下りてくると、レニーの前でにっこり笑った。
カーキのミリタリー風のシャツ、同じ色のカーゴパンツに黒いジャケットといういたって色気のない服装だが、スタイルのよさは隠せていない。
レニーもとっておきの笑顔を浮かべた。
「オーケィ、フェリス。じゃあおれはレニーだ」
「そう? じゃあ、レニー。これ見た?」
フェリス・カブリーニは、手に持っていた新聞をレニーの目の前に掲げて見せた。レニーは受け取ると、とりあえず一面を眺めた。カラーの水着の美女が載っている。カラフルでタブロイド誌のように見えるが、新聞名は見慣れないものだ。
「いいや、ないな。地方版?」
「ううん。学生が出してる大学新聞よ」
フェリスは隣の市にある州立大学の名前をあげた。3千人ほど学生がいる大学で、レベル的にはわりと上位の部類に入る。
「なるほど? どうりで見たことないはずだな」
一見したところ、そこらの手作りのフリーペーパーでは太刀打ちできないほど良く出来ている。
「その15面にね、街のミステリーっていうコーナーがあるの」
「ふぅん?」
一面のミスキャンパスの写真に気を取られているレニーが、気のない返事を返す。
「最初読んだとき、あなたが記事提供したのかと思っちゃったわ」
「え? おれ?」
思いがけないフェリスの言葉に、驚いたレニーが顔を上げた。フェリスがいたずらっぽい顔で笑った。
「噂で聞いたの。あなたの周りで不可思議な死体行方不明事件があったって」
ううっ、とレニーがうめく。どこまで間抜けな噂が広まってるんだ。
「……その件か」
「すごく関係あると思うの、その新聞」
渋い顔のレニーが驚いて目を見開くと、フェリスはまたにっこりと笑顔を浮かべた。
「読めばわかるわ。それ、あなたのために持ってきたんだから、ちゃんと読んでね」
じゃあね、と笑みを浮かべたままフェリスが手を振って階段を降りていく。だが、すでにレニーはその魅力的な後姿も見ずに、ランチの紙袋を口にくわえると真剣な顔で新聞を開いていた。




