消えた死体と目撃者
くぼ地は、規則正しい散歩道からは少しはずれたところにある。監視カメラがいくつかついていて、レニーはいつもは意識していない設置場所を確認しながら進む。この公園は古いため、監視カメラは外側にはわんさとあるが、内側を細かくはカバーできていない。
ミセスロシェットと女がいるベンチから、さほど遠くはないのだが、あちこちに低木の茂みがあって向こうからくぼ地そのものはよく見えない。カメラもくぼ地へいたる小道はカバーしているが、くぼ地自体は死角になっているようだ。
公園が出来た当初、このくぼ地は池になる予定だった。小魚を放し、アヒルなどを飼うはずだったという。だが、どうやらその場所の水はけがよすぎたらしい。いくら水を入れても、一週間も経つと水量は半分ほどに落ちてしまう。底をコンクリートで固め、自然の池でなくす方法もあったのだろうが、公園の管理者は、そこに水をためることを諦めてしまった。
そのため、そこは池の形をとどめたまま、水ではなく木の葉を底に敷き詰めた単なるくぼ地になっていた。公園自体は低い鉄の柵とエリカなどの低木が囲んでいる。公園自体が道路より少しだけ高い位置にあるために、そのくぼ地を柵の外からのぞくことは出来ない。
だが、今レニーがいるとこからであれば、くぼ地の向こう半分は見える。何もない。落ち葉が降り積もっているだけだ。
手前の方にあるのだろうか。レニーは駆け足でくぼ地のふちへ辿り着くと、中をのぞきこんだ。何もなかった。
いつもと同じ。木の葉が敷き詰められただけの単なるくぼ地だ。不自然に盛り上がっている箇所もない。およそ縦12ヤード(約11m)、横が6ヤード(約5.5m)ほどの細長いそこには何も変わったものは見えない。
ただ、一番外側の道路に近い部分の木の葉の霜が一部乱れているように見える。もしかしたら、その部分に何かあったのかもしれないと思わせるが、それも猫が通っただけではないという保証はまったくない。
そして、いくら落ち葉が大量に降り積もっているからといって、人の身体がすっぽりと覆われるほど深くはないこともレニーは知っている。子供達がこの近くでよく野球をして遊んでいるのだが、ボールがしばしばこのくぼ地の中に飛び込んでしまうのだ。外野の子供たちはそのボールを取りによく中へ入っている。またつい最近、ちょうどそばを通ったレニーが、くぼ地の中へ入ってボールを拾ってやったこともあった。落ち葉はせいぜい一冬分、2インチほどの厚みしかない。それ以上は腐って土に還るか、あるいは夏場にボランティアによって肥料にするために袋詰めにされて片付けられてしまう。人が隠れるほどの深さでは決してないのだ。
レニーは顔をしかめた。
もう一度回りを丁寧に見回す。くぼ地の底に下りるのはたやすいが、それは後にしたかった。もし本当に死体がどこかにあるなら、現場を不用意に荒らすわけにはいかない。だが、どこにも何も目をひくものはなかった。
レニーは、女を連れて来ようとベンチを振り向いた。彼女が、どこで何を見たのかをはっきりさせなければならない。だが、二人で座っているはずのベンチには老婦人の姿しかなかった。ピンク色のジョギングスーツ姿はどこにも見えない。
「まさか?」
レニーはすぐにベンチへ取って返した。
あわてたレニーがベンチに辿り着くのとほぼ同じ頃、公園の入り口にパトロールカーが一台止まった。中から見覚えのある警官が二人降りてくるのが見えた。それへ軽く手を振ってから、レニーは老婦人に向き直った。
「さっきのあの彼女は、どうしました?」
ミセスロシェットは厳しい顔のレニーにも動ぜず、ひざの上の犬を大事そうになでた。
「あのお嬢さんならね、お手洗いに駆け込んでいきましたよ。気分が悪いと言ってね」
ミセスロシェットは、骨ばった手で公園の入り口とは反対側にある灰色の小さな建物を指差した。
「ああ、なるほど」
いささか疑わしげにレニーがうなずいた。
「でもね、ちょっと変よね」
老婦人は小鳥のように首をかしげた。
「え?」
レニーがどういう意味か聞き返そうとしたとき、顔なじみのパトロール警官のリードとその若い相棒がやってきた。
「よう、クラウン。何かあったって?」
リードが気さくに声をかけてきた。
リードはひょろりと痩せて背の高い中年男だが、名前を知らない彼の若い相棒はがっしりとして四角く、いかにも警察官といった風情だ。
「やあ、リード。朝っぱらから悪いな」
「どういたしまして。おれたち夜勤組は、まだ仕事のお時間さ」
レニーは迷った。まず何をすべきなのか。
それから心を決め、リードに手をあげて、
「ちょうどいい。二人とも悪いけどここで待っててくれ。すぐ戻る」
と言い置くと、あっけに取られている二人の警官を残しトイレに向かって駆け出した。
この公園には、南の端と東の端に二箇所、同じような手洗い施設があった。こちらは南の端、ちょうど入り口の真向かい、公園の真ん中あたりになる。そこは有料のものではなく、無料で誰でも入れるタイプだった。正面から向かって右に男性用、左に女用のマークがついた目隠し用の灰色の壁が見えている。壁の真ん中はT字型にさえぎられていて男性用から女用に直接行くことはできない。
レニーは迷わず女用のほうへ踏み込んだ。中は意外なほど清潔で、乾いていた。
淡いピンクとベージュのタイルが交互に張られた壁には、小さな手洗いが3つ取り付けられていて個室も3つあった。個室のドアは、3つとも内側に開いていて中に人の気配はない。
念のために個室をひとつひとつ覗き込み、一番奥にある掃除用具入れのロッカーまでもレニーは開いてみた。だが、何もない、誰もいない。窓はふたつあるが、鉄格子がはまっている。
そこまで確認してからレニーは外へ出ると、そのまま表を廻って男性用に入った。タイルの色と使われている便器は違うが、基本的には同じような作りで線対称になっている。手前に男性用の小便器が3つならび奥には個室がふたつある。こちらも人の気配はまったくない。
「逃げられた」
レニーはため息をついた。厳しい顔でトイレから出てきたレニーに、リードが眉をあげて見せた。
「腹でも壊したっていうわけじゃなさそうだな、おい」
うーん、とレニーはうなった。
簡単にいきさつを説明するが、真面目に話せば話すほど何ともまぬけに聞こえる。案の定、リードは話を聞くとにやにや笑った。
「死体はなかった。目撃者も消えたってか? おいおい、そいつは新手のナンパじゃないのか? お前さんの気を引きたかっただけだろう? 」
「ナンパ? 」
今度はレニーの眉があがり、口元がへの字に曲がった。
「ナンパなら、本人がいなくなったら意味ないじゃないですか」
リードの隣で相棒が(ホーナーと名乗った)真面目な顔でつっこむが、リードは笑いを顔に貼りつけたままだ。
「おおかた、クラウンが刑事だって知らなかっただけだろよ。わかった時点でやばいと思って逃げた、ってわけだ。なんたってクラウンは署内で一、二を争うモテ男だからな。声もかけたくなるだろよ」
リードの言葉にレニーが渋い顔をした。確かに女はレニーが刑事だと知ったとき、びっくりしていた。
「念のためにもう一度、公園内を探してみてほしい。もしかしたら別の場所に移動しているかもしれないし」
「動く死体か?」
再びリードの口元がゆがんだが、レニーの鋭い目ににらまれて笑い出すのはこらえたようだ。
「ナンパならいいさ。おれがまぬけ扱いされりゃそれですむ。だが本当に死体があったら洒落にもならないぜ」
リードは軽く肩をすくめてみせた。
「確かにな。一応おれたちも一廻りしてみるさ。お前さんは今ボディカメラもつけてないし、やめとけや」
「ああ、そうしてくれ。頼むよ」
レニーがうなずく。
「ねぇ、ちょっと」
突然、思ってもいない声がかかり、はっと3人がベンチを振り向いた。
老婦人がさっきと同じく犬をひざに乗せたまま、まだベンチに座っている。
レニーはふっと肩の力を抜いた。大またにベンチのそばに戻る。
「ああ、すみません、ミセスロシェット。先ほどはありがとうございました。お帰りになるならお送りしますから、少しだけ待っていていただけますか」
かがみこんだレニーが丁寧な口調でそう申し出ると、老婦人はにっこり笑った。
「あら、その申し出は魅力的ね、ありがとう。でもね、私が言いたいのはそんなことじゃないのよ、クラウン刑事」
レニーが目をしばたたく。
「あのお嬢さん、あの濃いメイク、かなり不自然だったわね」
「メイク?」
「ええ、あのお嬢さん、ごってりとファンデーションを塗ってたわ。顔色が悪く見えたかもしれないけど、そのせいよ」
「ええと」
何と答えてよいのか、レニーが言葉に詰まる。
ミセスロシェットは、無邪気な笑みを浮かべてレニーの顔を見上げている。
「男の方にはわからないかもしれないわねぇ。あんなふうにね、ファンデーションだけ塗って口紅を塗らないと、顔色が悪く見えるものなの。なぜあのお嬢さんは、あんなに濃い化粧をしていたのかしら。不思議だわ」
レニーの眉間にしわが寄った。
彼女の言うことが本当だったら、何かひっかかる。だが、それがいったい何の意味を持つのかがわからない。
レニーが考え込んでいると、じれたようにリードが声をかけてきた。
「よう、なんでもいいや、クラウン。ここにいろよ。おれたちゃこれから公園を一廻りする。何かあったら連絡くれ」
レニーは腰を伸ばしてリードの方を振り向くと、手をあげた。
「ああ、悪いな、頼むよ」
リードとその相棒は軽くうなずくと、二人で公園の奥へと消えていった。
「私は送ってくれなくて結構よ、クラウン刑事。ミッシーが一緒ですからね」
言うだけ言って満足したのか、ミセスロシェットは白い犬をひざの上からゆっくりと草の上におろして自分も立ち上がった。
「ミセスロシェット」
レニーが何も言えずにいると、ミセスロシェットはスカートの埃をぽんぽんと叩いてにっこり笑った。
「それじゃあね、クラウンさん。また明日」
そういうとミセスロシェットは背筋を伸ばし、いつもの散歩コースへ犬のミッシーとともに戻っていく。
あとには苦虫を噛み潰したような顔のレニーだけが残された。




