Film.016 キューブ
──2年半後──
『ご主人さま、朝……起きるの』
鈴のような透きとおった、どこか幻じみた声が聞こえてきた。
デイヴィッドはここ2年程、毎朝耳元で囁かれるこの声によって心地よい眠りから起こされていた。
「ふぁ〜あ……メチャ眠い、あと50分だけ」
『め、徹夜するご主人さまがわるいの……』
濃い青色の髪にコバルトブルーの瞳、明らかにヒトの身長ではない少女が再び眠りに入ろうとするデイヴィッドの銀髪を引っ張り起こそうとした。
確かに昨日は徹夜したが、それは独学で勉強してたから悪くはないとデイヴィッドは心の中で弁明した。むしろ勤勉だと褒められてもいいくらいだとさえ思う。
しかしデイヴィッドにも朝食を作っているリネラ リーバスタビオに対する罪悪感はあったし、さらには髪が地味に痛くてしぶしぶではあるが起きることにした。
デイヴィッドはゆっくりと上体を起こし眠気まなこを擦るとデイヴィッドの顔の横で宙に浮いている少女へと挨拶をした。
「あー……ナギサおはよ。今何時?」
『おはようなのご主人さま、今は6時なの』
デイヴィッドは毎朝、ナギサに起こされるとリネラの作った朝食を食べた。
朝食は基本的に【鳳龍】オリンクルシャとリネラ、シグレナリア フォーの全員で食べることになっていた。ちなみにナギサの食事はデイヴィッドの魔力だ。
その後は9時まで筋トレや体力づくりの運動をした。
それから午後までシグレナリアに勉強を教わった。
デイヴィッドが今習っていたのは神語と錬金術基礎だ。
デイヴィッドはすでに大亜語を覚えていた。
大亜語の文法や発音は比較的日本語に近く、大亜出身のシグレナリアとリネラにもらった大亜語文法書のおかげで比較的すぐに覚えれた。
ただ逆に神語はどうも苦手らしかった。
デイヴィッドからすれば神語はフランス語を覚えるくらいの難易度に感じられた。つまりは相当難しかった。
発音しづらく、時制の数や主語に対応するど動詞の種類は多く例外ばかり。
そんなわけで神語の習得は難航していた。
錬金術基礎とは読んで字のごとく錬金術の基礎のことだ。
錬金術はこの世界にとっての科学で物質を分離、融合、変型、変質、そして創造させることを目的とした学問だ。
デイヴィッドが錬金術に興味をいだいた理由。
それは魔導具を造りたかったからだ。
鳳龍の大宮殿には機械種という、魔法と剣のファンタジー世界には似つかわしくないハイテク魔物がウヨウヨしていた。
この機械種は元々、魔導具の研究途中に出来たモノでようするにデイヴィッドは鳳龍の大宮殿の魔物に影響を受けた。おもしろそうだと思ったのだ。
そして錬金術は魔導工学という魔導具製作と研究をする学問を学ぶ際に必須の項目になってくる。
だから将来、魔導具の研究者になりたいと思っているデイヴィッドは錬金術基礎を今のうちから学んでいたのだ。
午後からは魔法の修行……という名目のお遊びをした。
デイヴィッドの魔力量はもはや自身でも把握していないぐらいで、ナギサの見立てではオリンクルシャの4分の3くらいあった。
そのため魔力量をこれ以上増やす必要性を感じなかったデイヴィッドは、1年前から午後はずっと魔力操作の修行や新しい魔法を模索したりしていた。
修行の成果として一般的に中級と呼ばれるクラスの魔法は大抵使えるようになっていた。それも無詠唱でだ。
その中にはデイヴィッドが新たに作り出した魔法も多くあった。
最近デイヴィッドがことあるごとに使っている〈浮遊〉と名付けた新魔法は、安直な名前からも察せれる通り対象を空中に浮かせる魔法だ。
反重力と風の魔法を組み合わせ試しにと使ったところ思いのほか簡単にできてしまいデイヴィッド自身驚いた。
この日もデイヴィッドは〈浮遊〉を使い空を飛んだり、空中に浮かべた複数の球をビリヤードよろしく弾いて遊んでいた。
そうこうして魔法を使ってると夜になる。
夕食も朝食と同じくオリンクルシャ達の3人プラスナギサと一緒に食べた。
その後は日によって様々だ。
リネラと遊んだりシグレナリアと魔法の練習したり、昨日みたいに勉強してることもあった。
つまりたわいもないことばかりをして過ごすわけで、この日もデイヴィッドはオリンクルシャとボードゲームをして過ごした。
勝敗はオリンクルシャの全敗だった。
夜はいつも9時くらいに眠るがこの日は7時に眠りに落ちた。
身体が3歳児であるデイヴィッドは睡魔に抗うすべがないのだ。
そんなふうに、デイヴィッドは今日もいつも通りの日常を過ごしたのだった。
◆
──某時刻 鳳龍の大宮殿、141階層──
音を殺し、気配を断つ。
小さいな影がランプに照らされた廊下を素早く駆け抜けていった。
シグレナリアは暗殺者のごとく存在を悟られないよう密かに動きその部屋に入った。
部屋はランプのわずかな光によってボンヤリと輪郭を浮き出させていた。
10平方メートル程の広さを持つこの部屋は、しかし雑然と置かれた奇妙な数々のせいで狭苦しく感じられる。
それでも扉から入ってすぐはマシな方で、特に壁に沿って置かれた本棚とデスク、ベッドの辺りは片づいていた。
しかし反比例するように奥へ視線をやればやる程、うず高く積み上げられたそれらが目についた。
とにかくシグレナリアに重要だったのは手前の方。
昨日の徹夜が響いたのか、いつもより数時間は早く眠りにはおちたデイヴィッドこそ、シグレナリアの目的だった。
デイヴィッドは3歳になった時、オリンクルシャに頼んでこの子供部屋を手に入れた。
それ以降睡眠は常にこの部屋でとっていた。
シグレナリアは掛け布団から覗くデイヴィッドの穏やかな寝顔を見つけた。
その寝顔を見てシグレナリアは口角をだらしなく吊り上げて恍惚とした表情を浮かべる。
シグレナリアにとってデイヴィッドの寝顔はたまらなかった。まさに天使だと思った。
シグレナリアはデイヴィッドに勉強を教えているとその聡明さに毎度驚かされいた。
前世が大学生だということなど露ほど知らないシグレナリアには、デイヴィッドは大人びて見えたのだ。
しかしそんな普段の様子と打って変わって、寝ている時のデイヴィッドは歳相応の純粋無垢な子供で、シグレナリアはその寝顔を見ていると庇護欲が掻き立てられ、まだ幼いデイヴィッドを守らなければという使命感に駆りたてられた。
そしてその感情はシグレナリアの中で心地よいものだった。
やがてシグレナリアはデイヴィッドの寝顔を見ることがマイブームになっていた。
しかしこの趣味には危険が伴った。
なぜならデイヴィッドは寝顔を見られるのが嫌いだったからだ。
大抵の人が自分の寝顔を見られることにいい気分を感じないよう、デイヴィッドも恥ずかしかったのだ。
ようするに、もしもシグレナリアの趣味がバレた場合シグレナリアはこの部屋の出入りを禁止されてしまう。
そうなればシグレナリアは日々何を楽しみにすればいいのか見当もつかなかった。
シグレナリアはデイヴィッドのベッドまで足音を殺して歩く。
デイヴィッドの顔の横に、身体を丸めてタオルに包まれたナギサがスヤスヤと眠っているのが見えた。
本来精霊種に睡眠は必要ないが、ナギサはデイヴィッドと一緒に眠るのが大好きだった。
普段も別次元にはあまり行かず、この次元に留まっているのもナギサくらいなものだ。
ナギサがこれ程ヒトと仲良くしているところを、シグレナリアは初めて見た。
しかしシグレナリアはそれも無理はないだろうとナギサの心情に深く共感していた。
シグレナリアはデイヴィッドの寝顔をよく見ようとベッドに近づこうとして、足元にあった何かを踏みつけた。
さいわい転びはしなかったが角張ったソレを不意に踏んだ足裏は耐え難いほど痛く、シグレナリアは思わずしゃがみこんで右足をかばった。
そうしてシグレナリアはじゃっかん涙目になりながら自身の足裏を殺しにきた犯人を発見した。
それは表面に平行と垂直に溝のはいったカラフルな立方体だった。
デイヴィッドの部屋は不思議なもので溢れていた。全てデイヴィッドが錬金術基礎で得た知識から作った試作品だ。
シグレナリアにはどれもこれも見たことがないモノで、シグレナリアが踏みつけた立方体も初めて見たものだった。
錬金術は4大元素体系の地属性に分類される魔法体系だが魔法陣が必要になる。
厳密には魔法陣がなくとも魔法で同じ結果を導くことは出来る。
しかし精密さを求められる錬金術で魔法陣という鍵がなければ大抵は劣悪な結果になるし、魔法陣を使わないことは愚行にも程があった。
デイヴィッドはまだ基礎の基礎、物質の形状を変型させる魔法陣しか習得していなかった。
だからこの部屋にあるモノは全て変型の技術と知識だけでつくったということだ。
シグレナリアは立方体を掲げて改めて観察した。
1つの面が縦横3×3の合計9つの正方形で構成されていた。面によって正方形の色が違い、面はどうやら様々な種類の金属を使用することで違いを出しているらしく、色は赤色、青色、黄色、緑色、橙色、白色の6色だった。
一体これはどういうモノなのか。
何かの小物入れに似てると、シグレナリアそう考えなんとなしに蓋を開ける容量で少し力を入れた。
瞬間、立方体は崩壊した。
「ひゃッ──⁈」
思わぬ出来事に驚きの声が漏れた。
慌ててデイヴィッドを見るシグレナリア。
今のでデイヴィッドを起こしたならシグレナリアにとってマズイことになる。
シグレナリアの侵入にデイヴィッドが気づいたならばシグレナリアは出禁、今後デイヴィッドの寝顔を見ることはできなくなる。
そんなシグレナリアの内心の焦りとは正反対に、デイヴィッドは規則正しい寝息を繰り返していた。
どうやら大丈夫だったようで、シグレナリアは軽く息を吐き出し、右手に掴んだモノを見て再び声を上げそうになった。
デイヴィッドを起こしたのではという焦りから忘れていたがデイヴィッドが作った箱を壊してしまったことを思い出したからだ。
シグレナリアは目を泳がせながらどうしようかと解決策を探った。
しかしよくよく見ると、この箱はそういう仕様なのだということがわかりシグレナリアは安堵した。
シグレナリアは正方形の列に沿ってねじれることに気づき、試しに右1列を回しみた。
次に真ん中の列も回し、最後に左側も回すと3列の色が全て別々の色になった。
シグレナリアはカラフルで綺麗だなと思いながら、一体どういう用途があるのかと疑問に思った。
他に何か仕掛けがあるのかもイジっていると、どうやら縦方向だけではなく横方向の列も回転することが分かった。
シグレナリアは不思議に思いしばらくの間無心でカシャカシャと無秩序に箱をねじっていた。
「……結局これはなんだったのでしょうか?」
シグレナリアはこれが箱でないと結論を出したことで、この立方体をキューブと呼ぶことにした。
シグレナリアはキューブの目的を考えた。
しばらく考え、結局答えはわからず諦めたシグレナリアはキューブを元あった場所に戻そうと思った。
そこでシグレナリアは初めて自分が犯した過ちに気が付いた。
「あれ? おかしいですね。戻……せません」
シグレナリアは手元のキューブを見つめながら冷や汗があふれ出るのが自分でもわかった。シグレナリアはコトの深刻さを把握した。
シグレナリアは、キューブを元の面が揃った状態に戻すことが出来なくなっていた。
後のことを考えずにその場のノリでカシャカシャと回しすぎ、自分がどう回したのか手順を忘れていた。
これは非常にマズかった。
もしこれを戻せなければデイヴィッドは必ず不審に思うはずだ。
そこからシグレナリアの趣味が露見することは必至。
「ああっ、どうすれば⁈」
シグレナリアはかつてない程の焦りからうまく思考できず、キューブを元に戻そうにもみるみる泥沼にハマっていった。
言い訳を考えようにも狭まった思考から思い浮かぶのは愚策のみ。
もう2度とデイヴィッドの寝顔を見れないと、そう思うとシグレナリアの胸は締め付けられるような想いがした。
シグレナリアの脳内を苦し紛れな言い訳と現実的でないキューブの戻し方が渦巻いていると、突然声をかけられた。
『……シグレナリア様……どうしたの?』
そしてそれはシグレナリアにとって神の声にも等しかった。
「ナギサちゃん! 大変なんです、助けてください‼︎」
『……大変? わかったの、助けるの』
「ホントですか⁈ ありがとうございます!」
そうしてシグレナリアは無事、ナギサのおかげでキューブを元に戻しシグレナリアが部屋にいた証拠はなくなった。
次の日。デイヴィッドはいつもどおり勉強しており、シグレナリアは昨夜の件がバレていないことに心底安心した。
そして昼食の時間になり勉強を終えようとしたその時、デイヴィッドが唐突にシグレナリアへとあることを告げた。
「そうそうシグレ。今日はシグレにプレゼントあるんだ。シグレが喜ぶかどうか分かんないんけど」
「え、プレゼントですか? 勿論喜びますよ! 坊ちゃんから頂くものならなんでも!」
なぜいきなりプレゼントを貰えるのかはわからなかったが、シグレナリアは嬉しさのあまり柄にもなくピョンピョンと飛び跳ね喜んんだ。
その様子はデイヴィッドにも喜びすぎだと苦笑い混じりに言われてしまいまうほどだった。
シグレナリアは頬を朱色にそめて恥ずかしがるが、突然のプレゼントに喜ばないでいることはできなかった。
シグレナリアが待ちきれずソワソワとデイヴィッドを見ているとデイヴィッドはポケットからなにやら小さな立方体のモノを取り出した。
その瞬間、シグレナリアの心臓は跳ね上がり、浮かべていた笑顔は凍りついた。
そのある種見慣れた物体。一面に9つの正方形を持つ色鮮やかなキューブ。
数秒間、固まったように動かずキューブを見続けたシグレナリアは思考停止した頭のまま、ぎこちないうごきでデイヴィッドを見た。
デイヴィッドの表情は満面の笑みで、普段ならその表情は愛くるしさと純粋さの塊であるはずがその時ばかりは邪悪で恐ろしく、まるで獲物を狙う蛇のように感じられた。
もちろんシグレナリアはネズミの気分だ。
「あ、あの……坊ちゃん……これは?」
「気に入った? ほら、シグレには1歳の時ナギサ譲ってくれたし、勉強とか教えてもらってるから感謝してるんだ、そのお礼。
そうそう。ナギサって言えばシグレはナギサのこと、無口だって言ってたけど、最近は結構しゃべるようなってるんだよね。例えば昨日の夜の話とか」
シグレナリアはナギサへの口止めを忘れていたことを思い出した。
そしてシグレナリアは2度とナギサに助けは求めないと誓った。




