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木に登る豚

百八十度全域に目を配り、耳を澄ませているけどエリート・オークらしき姿は見えない。  

どうやら振り切ったか、追ってきていないかどちらかのようだ。

 空を見上げると、木々の隙間から差し込む日の光がまぶしい。僕は手をかざした。

 そこで違和感に気づく。手をかざす前に日光が遮られたのだ。

鳥かな?

 そう思ったけど、その影は見る見るうちに大きくなってくる。

 僕は何が起こっているのか、瞬時に理解した。

 咄嗟に地面を転がって、その場を離れた。

 刹那の後、僕が立っていた地面に青い化け物が轟音を立てて降り立った。

 地面の草や折れた枝が吹き飛び、はるか離れた位置にぱらぱらと音を立てて舞い落ちる。

「……エリート・オーク」

 グレーテルはロッドを構えて、エリート・オークを睨みつけている。その手がぶるぶると震えていた。

 エリート・オークはオークより体が一回り大きく、その分持っている剣もオークより巨大だ。身長は二メートルくらい。腕は丸太のように太く、筋肉と血管が浮き出ている。執事さんが文字通りに一矢報いたのか、左目に赤い矢羽の矢が突き刺さっていた。

 僕は素早く剣を抜いたが、切っ先が震えるのを押さえきれない。足がすくむ。

 こうして対峙すると、絶望的なまでの力の差がわかってしまう。

「爺やの仇っ!」

 だが、いつの間にか弓矢を取り出したフランチェスカが矢を番え、エリート・オークの右目に向けて矢を放った。

 エリート・オークはその巨体からは想像もできないほど軽々とした身のこなしで矢をかわすと、近くの木の枝に飛び移って猿のようにするすると昇っていく。矢はむなしく木の幹に突き刺さって音を立てた。

 顔はほぼブタなので想像できなかったが、エリート・オークは高所から攻撃できるらしい。馬車の幌に空いていた大穴も、ああやって樹上から襲撃したのだろう。

「……オーク類が、木に昇るなんて」

 グレーテルは目を見開いていた。

「本当は昇らないの?」

「……木登りするブタがいる?」

 それは、いないよね。あいつが特殊なのか。

「……ああいう、本来の特徴から外れた行動をとるモンスターを『奇行種』って呼ぶ。奇行種は本来の縄張りから外れることが多い」

 進撃のオークか。人以外襲わないとか、そんな特徴ないよね。

グレーテルの震えがいつの間にか止まっていた。

「……探究心が刺激される。面白くなってきた」

 目から恐怖が消えていた。

 なんというか、学者の目だ。こんなときだというのに目を輝かせて、カブトムシを始めて見た子供のようにわくわくしている。

 死ぬかもしれないのに、気楽だなあ。

 でもそれを見ていると、僕もやれそうな気がしてきた。足のすくみが少しだけおさまっている。

 ブルってるより、今の方が力を出せそうだ。


 フランチェスカは新たな矢をすでに番えていた。矢筒もないところから見ると、どうやら彼女もアイテムボックス持ちらしい。

 弓を引く姿は弓道の師範のように凛々しく、貴族の子女らしく気品がある。

 弓は西洋の弓らしく、和弓と違って弓の下の方を握らずに中央部を握っている。弓には植物の蔦と花のような細かな絵が彫られ、随所に金の細工が施されていた。平民が持てる弓ではないだろう。

「この、女の敵、ですわ!」

 フランチェスカが矢羽から右手を離すと、使い手の手元を離れた矢は樹上のエリート・オークに一直線に飛んでいく。

 具体的には、エリート・オークの股間に。

 毛皮で作ったような腰巻一枚しか履いていないので、急所の位置がはっきりとわかる。

 だけどあの素早さだ。きっと外れるだろう。

 僕はどちらに逃げられてもいいように、剣を握っていない方の手に魔力を込めてファイアアローの準備をする。グレーテルもロッドを構えて油断なくエリート・オークの方を見ていた。

 ぶすっ。

「え」

「……え」

「ざまあみろ、ですわ!」

 フランチェスカが射た矢は狙いたがわずエリート・オークの股間に突きささっていた。

 僕の股間もきゅっと引き締まるのを感じた。エリート・オークは樹上から落下する。

 ……ように見えた。

 だが綺麗に着地したエリート・オークからは血の一滴も流れていない。矢は腰巻に刺さっただけだった。

 腰巻に刺さった矢を邪魔そうに引っこ抜き、ブオオオ、と咆哮する。

 字面はブタの鳴き声だが実際に聞くと未知の獣の声だ。

 聞く獲物すべての足をすくませて、動けなくして捕える、そのための声。空気どころか空までもが震えるような咆哮。

「そ、そんな」

 それまで強気だったフランチェスカが急に顔を青くして、震え始める。

 エリート・オークが牙の覗く口を歪ませて、刃渡りが一・五メートルはある大剣を振りかぶって、フランチェスカ狙って突っ込んできた。

 僕とグレーテルはエリート・オークの進撃を邪魔するようにフランチェスカの前に立ち、ファイアアローとアイスジャベリンをエリート・オークに向かって放つ。

だがエリート・オークは避けることもなく真っ直ぐ向かってくる。皮膚に僕らの魔法が命中するや否や、空気に溶けて消えるように霧散してしまった。

「な、なんだあれ?」

「……エリート・オークや、その他Cランク以上のモンスターの皮膚には弱い魔力を霧散させる効果があるものが多い。私も霧散するのをこの目で見るのは初めて」

グレーテルが丁寧に解説してくれるが、草むらを一瞬で灰に変えるファイアアローも、雑魚オークたちを一瞬で串刺しにしたアイスジャベリンも、何の効果もなかったことには変わりない。

これって、かなりやばい状況じゃないだろうか。

「グレーテル! なにか策があるんだよね!」

 初めはグレーテルもブルってたから心配したけど、あいつが奇行種と知ってから妙に落ち着いている。きっと奇行種ならではの弱点か何かがあるに違いない。

「……そんなものはない」

「じゃあなんで落ち着いていられるの!」

 あと数歩でエリート・オークの間合いに入るんだぞ。

 グレーテルは、僕の目を見て言った。

 敵を目の前にして、敵以外を見るなんて……

「……あなたを信じてる」

 今まで見たことがないほど、綺麗な笑顔だった。



「……あなたは自分の弱さを自覚して、それに立ち向かっていける人。そういう人は才能あふれた初めから強い人よりずっと強い。だからあなたを全力でサポートするだけ」

 エリート・オークが刀身が大人の胴体ほどもある巨大剣をグレーテルに向かって振りおろす。オークとは比べ物にならない速度と轟音。

 だがグレーテルは冷静にロッドを振った。

「……アイスペイリング」

 格子状の氷の柵がエリート・オークと僕たちの間に出現する。

 エリート・オークは柵にぶつかって動きを止めた。大剣を氷の柵に振り下ろすと柵が何本か折れるが、その度にグレーテルがロッドを振って柵を修復する。

柵は長篠の戦で武田の騎馬勢を止めたとも言われるし、単純な突進には有効だろう。同じ質量の氷を創造するなら、突進に対してなら氷の壁よりも分厚くて頑丈なものが作れる。あいつには飛び道具がないから柵の隙間から攻撃されることもない。ジャンプするにも柵の高さは二メートルほどで、さっき見たあいつのジャンプ力じゃ到底無理だ。

 これでこいつが諦めて去ってくれれば……

エリート・オークは歩みを止め、大剣を地面に突き刺して両手をフリ―にする。

 何をする気だ?

 エリート・オークは柵を両手で握る。丸太のように太い腕の筋肉が隆起し、血管が浮いた。

 そのままブモ、と一声あげると柵を地面から引き抜いて無造作に放り投げてしまった。

「……嘘」

 グレーテルは桜色の唇を開き、呆然としていた。

 絶望的な戦力差の中、僕は悟った。こいつは僕たちを脅威と認識していない。

 なかなか追いつかれなかったのも、真面目に追って来なかっただけだ。

奴にとっては僕たちの一撃など、蚊の一撃に等しい。フランチェスカの矢を初めの一撃だけ避けたのは、執事さんの矢で一度深手を負ったからだろう。二度目に避けなかったのは、一度見てもう避ける必要はないと判断したからだ。

 もう僕たちとエリート・オークを隔てる物は何もない。

 僕やグレーテルの攻撃じゃ、あいつは反応すらしない。気を反らすことすらできない。

 八方ふさがりだ。


『死ぬ』


 さっき感じた直観が、再び沸き起こる。

 お父さんやお母さんの顔、呉羽の笑顔が思い浮かんできた。ああ、これが走馬灯というやつか。

 エリート・オークが僕に向かって大剣を振りかぶるのが、動画をスロー再生しているように見えた。



「っく……」

 だけど同時に、こめかみに鋭い痛みを感じた。今までに感じたことがないような、脳の奥まで鋭い針を差し込まれるような痛み。

 新たな魔法を閃いた。

 魔法の名前、射程距離、発動に必要な条件、消費する魔力、そして威力、それらすべてが一度に頭に浮かぶ。

 威力はすさまじい。おそらくこいつでも倒せるだろう。

 だが発動条件が厳しすぎる。

こいつには当てられない。少しでも足止めできれば別だけど、僕らの魔法に抵抗力を持つこいつには意味がない魔法だ。

 僕はエリート・オークの大剣が振り下ろされるのを見ながら、目を閉じた。


「シャドウ・アレスト」


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