表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/49

ありがとう

     ◆◇◆



「シュン! また、こんな点数とって……。ちょっとは柳を見習いなさい!」

 家に帰宅した直後、そんな声が耳に届いた。

「あんたは柳ほど勉強できないんだから、部活なんかやってる場合じゃないでしょ!」

 慌てて靴を脱ぎ、リビングへと向かう。

 ドアを開けながら、叫んだ。

「ストップ! やめて!」

 そこにいた二人、母親と、一つ下の弟のシュンがこちらを向いた。

 母親の手には小テストと思しき紙切れが握られていた。

「柳……お帰りなさい」

「ただいま……どうしたの?」

 なんとなく事情を察しながらも、尋ねる。

 母親は「聞いて聞いて」と言うように、声を張り上げて説明する。

「シュンが小テストで悪い点数を取ってきたのよ! ほら、見て」

 ばっと突きつけられた小テストは、四十点満点中、二十五点だった。一応、半分以上ではあるが、手放しで褒められる点数ではない。しかし、言うほど悪い点数でもない。

「去年のことだから、ようく覚えているわ! 柳はこのくらいのテスト、満点を取ってきたわよ。部活もあるだろうに、すごいなって感心したものよ? なのに、シュンは……」

 母親は、ぶつぶつとシュンの悪口を言い続ける。

 隣でシュンは縮こまっていた。

 月野家ではもうお馴染みの風景だ。

「――柳はどう思う?」

 途中から聞いていなかったが、なにを聞かれたのかは容易に想像できた。

 細くため息をついてから答える。

「どう思うもなにも、わたしはこのくらい構わないって思うよ。シュンは勉強していないわけじゃない。ただ、ちょっと要領が悪いだけ。努力はしてるよ。きっといつか、成績は伸びるし、わたしより上をいくかもしれない」

「そう思う? そうなら文句ないけどね。でも、柳と違って、部活でも勉強でも良い成績を残せていないのよこの子は。シュンが良い結果を出すためには、どっちかを――」

「お母さん。それ以上は、子どもに言うべき言葉じゃないよ」

 わたしは、でき得る限り、目に力をこめて、母親を睨みつける。

「シュンは勉強でも部活でも一生懸命努力してる。私と同じ、陸上部なんだから、見てれば分かる。それに、シュンは部活が忙しいからとか、勉強が忙しいからとか、そういう言い訳をしたことは一度もないはずだよ。どっちもやりたいなら、やればいいと思う。強制的にやめさせて、どちらかに専念させたとしても、後悔が残る。それで成績が伸びるとは到底思えないよ。違うかな?」

「……」

 睨み合う。

 母の気持ちが分からないわけじゃない。子どもの将来を心配してのことだろう。勉学か、部活か、どっちかで良い成績を残せていれば、後々、それはプラス材料になる。三年生で、受験も近くなってきているから、余計に分かる。

 しかも、わたしが要領よく、上手くやれてしまっているために、シュンはいつも比較されて、心配される。わたしよりもできないから、母は心配になるのだ。

 そんな気持ちを否定するつもりはない。

 高校三年にもなれば、そんな親の機微にもある程度は気遣えるようになる。

 でも、だからこそ、守る。

 親のそんな気持ちが、弟のしたいことを妨害しているようにしか見えないから。

 大して頑張っていないのに、上手くできてしまうせいで、弟に迷惑をかけているから。


 お姉ちゃんとして、シュンにしてあげられることはこのくらいしか、ないから。


「……」

 随分長い間、睨み合ったが、

「……いいわ。柳を信じておく」

 折れたのは、母親だった。

「でも、シュン、どっちも頑張りたいなら、もっとちゃんと頑張りなさい。いいわね?」

「……はい」

 シュンが小さく頷いたことを確認して、母親はキッチンへと歩いていく。

「ごめんね」

「……なんで姉ちゃんが謝るんだよ」

 悔しそうな表情のシュンに、もう一度だけ、ごめんと言って、私は自室へと向かう。

 母親は小学校の教師だ。

 昔からしつけに厳しく、なにごとにも手を抜かない性格だった。単身赴任で家を留守にすることが多い父親の代わりに、女手一つでわたしたち兄弟を育ててくれた。

 でも、わたしはそれをキツイと感じたことは一度だってなかったし、今だってない。わたし自身は普通に生活しているだけで、母の期待に添える結果が残せている。

 でも、弟たちは……。

「ただいま」

「あ、お姉ちゃん、おかえり」

 自室へ入ると、三つ下の妹、ひじりに出迎えられる。部屋は別々に分かれているのだけど、よく勉強を教えて欲しいと入っていることがあるのだ。

「またなにか教えて欲しいとこでもあるの?」

「あ、うん。そうなの」

 聖も、今年は受験だ。

 わたしは推薦を受けられることがほぼ確定しているが、聖はそんなことはない。他者に認められるほどの成績を、残せていないのだ。

「どこ?」

 鞄を置いて、既に椅子に座って待っている聖の横に並ぶ。

「えっとね」

 聖の話を聞きながら、どうしても考えてしまう。

 弟たちに頼られるのは、悪い気はしない。むしろ、お姉ちゃんとして、頑張りたいと思っている。

 だけど、最近は庇うことが増えてきている気がする。

「お姉ちゃん? どうかした?」

「あ、ううん。なんでもない」

 無意識に疲れた表情でもしてしまっていただろうか。

 慌てて笑顔を作り、教える。

「その問題の答えは、まずこの公式を使って――」

 口を動かしながら、心に埃が積もるのを感じた。

 今の状況を、少しだけ重い、と感じなくもない。

 クラスでは頼られる存在として見られ、部活でも部長として皆をまとめている。そして、そんな一日を過ごして、やっとのことで帰ってくると、また、お姉ちゃんとして前に立たなくてはならない。

 強制されたことじゃない。

 自分には関係ないと思っても良いのかもしれない。

「ありがと! やっぱりお姉ちゃんって、凄いね~」

 けれど、どうしても、こうして笑顔を向けられ、頼られると断れないのだ。

 ありがとうと言ってもらえるのが、心地良いのだ。

 自分がやらなくては、と思ってしまう。

 ありがとうと連呼する妹見送って、

「やれやれ……」

 やっと、気が抜ける。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ