第7話 最後の絵
【前回までのあらすじ】
奥の間の巫女は、二年前に南へ療養に行ったはずの幼なじみ、セレスだった。
セレスは、エレノアの夢の「前」と「うしろ」を話し、最後にもう一度だけ未来を見た。短剣は宙で止まり、窓の下を、黒い上着の人が走ってくる。
「エリーには、あげない」。セレスは誰も抱きしめずに亡くなり、この国から、神託がなくなった。
今回は、残された夢を、絵にするお話です。
荷車が、予見院の坂を下りはじめたとき。
うしろで、鐘が鳴りだした。
ごおん、ごおん、と、いつまでも。
ホーン先生は、手綱をにぎったまま、ふり返らなかった。
◇
温室に戻ると、ホーン先生は、わたしの話を、最後まで、黙って聞いていた。
セレスのこと。白い髪のこと。
のばしかけて、自分の胸の前でにぎりしめた、あの手のこと。
「……まだ、十八だったんだね」
ホーン先生は、それだけ言って、長いあいだ、目を閉じていた。
わたしは、そのとき、やっと、泣いた。
声を、ころすことも、できなかった。
二年間。
壁一枚むこうで、セレスは、ひとりで、年をとっていった。
わたしは、その壁のこちらで、セレスの夢を描いて、ほめられて、うれしくなって、家に帰っていた。
南の国から、手紙が来ないのを、さびしいと思っていた。
自分のほうから、さがしに行こうとは、一度も、思わなかった。
ホーン先生は、何も言わずに、わたしの背中を、とん、とん、と叩いてくれた。
◇
鐘は、夜中まで、鳴りつづけていた。
丘の下の町でも、きっと、みんなが、窓をあけて、予見院のほうを見ている。
巫女さまに、何かあったのだろうか、と。
巫女の名前を知っている人は、町に、一人もいない。
セレス・ラングレー。
わたしの、たった一人の幼なじみ。
わたしは、その名前を、声に出して、三回、言った。
誰かが、ちゃんと、呼んであげなければいけない気がした。
◇
「エレノア。巫女がいなくなれば、神託は止まる。祝典の前に、十年の神託が止まるんだ」
ホーン先生は、窓の外の、まっくらな丘を見た。
「でも、あんたの神託は、もう出てしまった。七日後の夜の札は、消えないよ」
「……はい」
「それに、もう、誰も、前もうしろも見なおせない。セレスが見たものは、あんたの頭の中にしか、残っていない」
わたしは、顔を上げた。
「先生。紙を、ください」
◇
その夜、わたしは、温室の作業台で、絵を描いた。
神託の間で見た、ひと息のぶん。
セレスが話してくれた、前と、うしろ。
セレスが最後に見せてくれた、ゆれる短剣。
描きなぐるのではなく、一枚ずつ、ゆっくりと。
三年間で、はじめて、自分の頭で考えながら、描いた。
一枚目。
石の廊下。白い扉の前に、灰色の服の、髪の短い娘が、立っている。
ずいぶん、長いこと。
二枚目。
扉が、内側から、ひらいている。
『入りなさい、エレノア』。セレスの聞いた声を、絵のすみに、字で書いた。
三枚目。
白い部屋。時計塔の十時。
短剣が、おじさまの胸に、沈んでいる。
四枚目。
倒れたおじさまのそば。
黒い袖の左手が、わたしの手首をつかんでいる。
指に、インクのしみ。
『ゆるしてくれ、エレノア』。
五枚目。
同じ部屋。同じ十時。
でも、短剣は、宙で止まっている。
窓の下の石だたみを、黒い上着の、背の高い人が、走ってくる。
顔は、描けなかった。セレスも、顔までは、見ていなかった。
描きおわったとき、窓の外が、白みはじめていた。
◇
ホーン先生が、作業台のうしろから、五枚の絵を、のぞきこんだ。
「三枚目と、五枚目が、ちがうね」
「はい。セレスは、決まってない、と言っていました」
「四枚目の、この左手は」
わたしは、絵の中の指を、見つめた。
左手。黒っぽい、インクのしみ。
黒い袖。
神託の間で、手帳に、左手で書きつけていた、あの人の指。
裏口で、腕を組んで、わたしを見のがした、あの人。
保護の間の鍵を、持っている、あの人。
「監察官様は、左ききです。手帳を、いつも左手で書いていて、指に、インクが」
ホーン先生は、首を横にふった。
「インクなら、騎士は、みんなつけているよ。毎日、見回りの帳面を書くからね」
「でも、この人は、わたしが刺したあと、わたしの手首をつかんで、あやまっています。まるで、わたしに、そうさせたのが、自分だったみたいに」
「エレノア」
ホーン先生は、わたしの肩に、手を置いた。
「あんたが読んでいた本の、最初のページに、わたしは、何と書いた」
わたしは、うつむいた。
『絵解きは、決めつけたときに、終わる。』
父も、同じことを言っていた。
こわいときほど、すみっこを見るんだ、と。
「すみっこまで、見えたかい」
「……いいえ。顔は、描けませんでした」
「じゃあ、まだ、決めつけるんじゃない」
◇
「夜が明けたら、ここを出なさい。わたしの古い知りあいが、下町で、パン屋をやっている。そこの屋根裏なら、しばらく、かくれていられる」
「先生は」
「わたしは、水を運んできた、ただのばあさんさ」
ホーン先生は、五枚の絵を、油紙につつんで、わたしの肩かけの下に入れてくれた。
「それから。セレスの、最後の言葉」
「院長様に、です。そこで、とぎれました」
「院長様に、何を言いたかったんだろうね」
わたしは、答えられなかった。
院長様に、守ってもらって。
院長様に、ごめんなさいって伝えて。
院長様に――。
どれも、セレスの声で、言えそうな気がした。
どれも、少しずつ、ちがう気がした。
セレスは、二年間、院長様のほかの誰とも、話していなかった。
いちばん近くにいたのは、おじさまだった。
◇
下町へ向かう坂の途中で、わたしは、一度だけ、丘をふり返った。
あと、四日。
三枚目の未来と、五枚目の未来。
そのどちらに、わたしは、近づいているのだろう。
もう誰も、七日後を見ることはできません。
残ったのは、エレノアが描いた、五枚の絵だけです。
次回、白い外套の部屋。
☆何個でもいいので、つけてください!




