第6話 最後の神託
【前回までのあらすじ】
ホーン先生の手伝いに化けて、エレノアは、巫女のいる奥の間へ入った。
カーテンの奥の寝台にいたのは、真っ白な髪の、小さなおばあさん。
その人は、エレノアを、幼なじみのセレスだけが使う呼び名で「エリー」と呼んだ。
今回は、壁一枚むこうにいた幼なじみの、最後の神託のお話です。
「……セレス?」
声が、かすれた。
白い髪。しわだらけの手。
でも、その手を取ると、指の形を、覚えていた。
学園の試験の前の夜に、ふたりで手をつないで、星に願いをかけた指。
「どうして……南の国に、療養に行ったって……」
「うそだよ。ぜんぶ」
セレスは、少しだけ笑った。
「二年前、うちが、借金で、つぶれそうになったの。お父様の、かけ事。……借金は、予見院が、寄付で消してくれた。そのかわり、娘を、って」
「伯爵様が、セレスを……」
「うん。売られちゃった。死にかけてた先代の巫女様が、わたしを、ぎゅっと抱きしめて、そのまま、息をひきとった。それで、わたしが、巫女になった」
セレスは、自分の手を、ぼんやりと見た。
「それから、二年。一つ見るたびに、少しずつ、年をとった。……ね。おばあちゃんみたいでしょ」
わたしは、首を横に振った。
声が、出なかった。
この二年。
わたしの頭に流れてきた夢は、全部、この子の夢だった。
壁一枚、むこうで。
◇
「エリー。時間が、ないの」
カーテンの向こうで、ホーン先生が、ゆっくり、水を注いでいる音がした。
樽は、四つ。全部注ぎおわるまでが、わたしたちの時間だった。
「あなたの夢、わたしも見た。あの夜、三回も」
「三回?」
「あのあと、院長様が、ここへいらしたの。もう一度、見てくれ、って。それから、もう一度。……二回とも、まっ青な顔をしてた。なのに、二回目のあと、ほっとした顔で、帰っていったの。自分が刺される夢を見て、ほっとする人なんて、いる?」
セレスは、わたしの手を、にぎりなおした。
「わたしは、前と、うしろも、見た。……エリーは、扉の前で、長いこと、立ってた。それから、扉が、中から、ひらいたの。『入りなさい、エレノア』って、声がした」
中から。
おじさまの、声で。
「刺したあとは、黒い袖の手が、エリーの手首を、つかんでた。左手。指に、インクのしみ。……その人が、言ってた。『ゆるしてくれ、エレノア』って」
左手。インクのしみ。
神託の間で、手帳に、左手で書きつけていた人を、思い出した。
二つ目の樽の水が、注ぎおわる音がした。
◇
「エリー。最後に、もう一回だけ、見るね。あなたが逃げたから、未来が変わったかもしれない」
「だめ。セレス、そんなことをしたら――」
「いいの。どうせ、もう、もたないの。わかるんだ」
セレスは、目を閉じた。
すうっと、寝息が、ひとつ。
頭のうしろが、つめたくなった。
――白い壁。時計塔の針は、十時。
短剣をふり上げた、わたし。
その刃が、宙で、止まっていた。
ふるえて、ゆれて、下りてこない。
そして、窓の下。
時計塔の下の石だたみを、黒い上着の、背の高い人が、走ってくる。
ひと息で、絵は消えた。
寝台のわきの銀の鈴が、ちりん、と、鳴った。
セレスが、ゆっくり、目をあけた。
髪から、最後に残っていた、うすい金色が、ぬけていた。
「……未来が、ゆれてた。決まってないんだよ、エリー。まだ」
「セレス。わたし、どうして、おじさまを刺すの」
セレスは、少しだけ、首を横に振った。
「わたしに見えるのは、前と、うしろの、ほんの少しだけ。どうして、までは、見えないの」
それから、わたしの指を、きゅっと、にぎった。
「でも、エリーが、理由もなく、人を刺すはずない。それだけは、夢を見なくても、わかる」
◇
三つ目の樽。
「エリー。お母様に、会うことがあったら」
セレスの声が、少しだけ、ふるえた。
「南から、手紙を書けなくて、ごめんね、って。……お母様、きっと、毎月、手紙をくれてたと思うの。一通も、ここには、届かなかったけど」
「……うん。必ず、伝える」
「行って、エリー。ホーン先生が、待ってる」
カーテンのむこうで、ホーン先生が、四つ目の樽のふたを、あける音がした。
わたしは、立ちあがった。
カーテンに、手をかけた。
うしろで、寝台が、きしんだ。
細い腕が、わたしの背中のほうへ、のびてくる気配がした。
学園の廊下で。舞踏会の帰り道で。いつも、そうだったように。
でも、腕は、届かなかった。
ふり返ると、セレスは、のばした両手を、自分の胸の前で、ぎゅっと、にぎりしめていた。
「……あげない」
「セレス?」
「わたしが死んでも、巫女は、受けつがれる。……抱きしめたら、ね」
セレスは、わらった。
しわだらけのほおに、ちゃんと、えくぼができた。
「エリーには、あげない。こんなもの。……セドリック先輩には負けたけど、これは、わたしの勝ち」
「セレス……」
「いい人かどうかは、自分で見て。エリーの、得意なやり方で。すみっこまで」
それから、セレスは、ささやいた。
「ごめんね、エリー。……院長様に――」
そこで、言葉が、とぎれた。
にぎりしめた手から、ふっと、力がぬけた。
セレスは、誰も抱きしめないまま、寝台に、しずかに、横たわっていた。
◇
ホーン先生が、ひしゃくを持ったまま、こちらを見た。
それから、全部、わかったように、目を閉じた。
わたしは、セレスの白い髪を、指で、一度だけ、なでた。
壁一枚むこうの神託の間に、もう、夢は流れない。
この国で、七日後を見る人は、もう、誰もいない。
「顔を上げるんじゃないよ」
ホーン先生が、低い声で言った。
外の扉の前で、騎士団長が、灯りを持って待っていた。
「巫女は、静かか」
「よく、眠っておいでだよ」
院長様に――。
セレスは、最後に、何を言おうとしたのだろう。
神託の巫女は、幼なじみのセレスでした。
誰も抱きしめずに、最後の神託と、とぎれた言葉を残して。
次回、最後の絵。
☆何個でもいいので、つけてください!




