第5話 奥の間
【前回までのあらすじ】
七日後に院長を刺す、と神託されて逃げたエレノアは、元薬師のホーン先生の温室にかくまわれた。
巫女は夢の前とうしろも見ていること、未来を見るたびに年をとること、死ぬときに誰かを抱きしめて受けつがせることを知る。
温室には監察官クロードもやってきて、「保護の間の鍵は、団長と俺。だから、俺のことも信じるな」と言い残していった。
今回は、ホーン先生の手伝いに化けて、巫女のいる奥の間へ向かうお話です。
次の日、わたしは、温室の手伝いをした。
花に水をやって、枯れた葉をつんで。
手を動かしていると、少しだけ、頭が静かになった。
――俺のことも、信じるな。
ゆうべ、棚のかげで聞いた、あの人の声を、思い出した。
あの人は、わたしを捕まえに来たのではなかった。
でも、守りに来たとも、言わなかった。
神託の間で、はじめて会ったとき。
わたしは、あの人を、失礼な人だと思った。
今は、どう思えばいいのか、わからなかった。
夕方、ホーン先生が、古い茶色の外套を、わたしの肩にかけた。
「水の日は、わたしと、手伝いが一人。いつもは村の若い衆を連れていくけれど、明日は、あんたが手伝いだよ」
「院長様は」
「保護の間だよ。院長様が出てこられないあいだは、奥の間の外の扉の鍵は、騎士団長があずかっている。団長が、灯りを持って待っているはずだ。中から先は、わたしと手伝いだけで入る。巫女は、寝台のまわりのカーテンの奥にいて、出てこない」
ホーン先生は、わたしのフードを、深く引きおろした。
「団長に、顔を見られたら、おしまいだよ。下を向いて、樽だけ見ておいで」
「はい」
「それから、エレノア」
ホーン先生は、わたしの手を取って、ひっくり返した。
インクのしみのついた指。
拡大鏡を持ちつづけて、少しだけ、たこのできた指。
「カーテンの奥の巫女が、口をきいてくれるとは、かぎらないよ。あそこにいる子は、もう何年も、院長様のほかの誰とも、話していないはずだから」
「それでも、行きます」
「描き手の指だね。……そう言うと思った」
◇
次の日の、夕暮れ。
荷車には、丘の湧き水の樽が、四つ。
ホーン先生が手綱を取って、わたしは、荷台で、樽を押さえていた。
西門は、何も言われずに通れた。
三日に一度の水の荷車は、もう何年も、同じ門を通っているから。
予見院の裏門で、荷車が止まった。
白い外套の若い騎士が、灯りをかかげて、荷台をのぞきこんだ。
「ホーン婆さん。その手伝いは」
「村の娘だよ。いつもの若い衆が、足をくじいてね」
若い騎士は、樽を一つ叩いて、すぐに灯りを下ろした。
「団長が、奥でお待ちだ。早く行け」
◇
奥の間の外の扉の前に、騎士団長が立っていた。
手に、小さな灯り。
がっしりした、大きな体。
わたしは、樽を抱えて、うつむいたまま、ホーン先生のうしろを歩いた。
「ホーン婆さん。新しい手伝いか」
「村の娘ですよ。力だけは、あるんでね」
騎士団長は、灯りを、わたしのほうへ向けた。
フードの奥まで、光が届く前に。
ホーン先生が、樽を一つ、どんと、団長の足もとに置いた。
「団長。早く開けておくれ。年寄りの腰には、樽はこたえる」
騎士団長は、舌打ちをして、外の扉の鍵を開けた。
「院長が保護の間から出られるまでは、俺が鍵番だ。……まったく、エドガーの娘め」
最後のひとことは、ひとりごとみたいに、低かった。
◇
外の扉の中は、短い廊下だった。
まっくらで、つめたい石の廊下。
ろうそくの火が、ゆらゆらとゆれた。
学園の一年生のとき、肝だめしで、旧校舎の地下室に入ったことがある。
まっくらで、わたしは、一歩も動けなくなった。
――エリー、だいじょうぶ。わたしが、うしろにいるから。
セレスが、うしろから、わたしの両肩をつかんで、ぐいぐいと押してくれた。
こわいのは、セレスも同じだったはずなのに。
今は、うしろに、誰もいない。
わたしは、樽を抱えなおして、自分で、前に進んだ。
突きあたりに、もう一つ、木の扉。
ホーン先生が、それを押しあけた。
奥の間。
壁一枚むこうで、三年間、毎日、わたしが絵を描いていた部屋。
思っていたよりも、ずっと、小さな部屋だった。
窓はない。
壁の燭台に、ろうそくが一本。
部屋のまんなかに、石の水がめ。
その奥の寝台を、うすい白いカーテンが、ぐるりと囲んでいた。
寝台のわきの小さな机に、水差しと、銀の鈴。
夢が終わるたびに、神託の間で聞いていた、あの鈴だった。
ホーン先生は、水がめのふたを開けて、樽の水を、ゆっくり注ぎはじめた。
水の音が、部屋じゅうに、ひびいた。
それから、わたしのほうを見ないまま、小さくあごをしゃくった。
――行きな。
わたしは、樽を置いて、カーテンのすきまに、手をかけた。
◇
寝台の上に、小さな、おばあさんが座っていた。
髪は、真っ白。
ほおは、こけて、しわだらけ。
寝間着からのぞく腕は、枯れ枝のように細かった。
この人が、わたしの頭に、夢を流してきた人。
わたしが、おじさまを刺すところを、見た人。
わたしは、ひざをついた。
「勝手に入って、ごめんなさい。わたし、エレノア・グレイフォードと申します。どうしても、うかがいたいことがあって――」
おばあさんは、わたしを、じっと見ていた。
にごった、うすい色の目。
でも、その目の奥で、何かが、ゆれていた。
「知ってる」
かすれた、小さな声だった。
「今日は、ホーン先生の足音が、二人ぶんだった。……三日前から、来てくれる気がして、ずっと、待ってたの」
おばあさんの口のはしが、ほんの少しだけ、上がった。
その笑い方を、わたしは、知っていた。
学園の廊下で。舞踏会の帰り道で。
うしろから抱きついてくる前に、いつも、こんなふうに、笑う子がいた。
「……髪、切っちゃったんだね」
おばあさんは、ふるえる手を、わたしのほうへのばした。
「似合ってるよ。――エリー」
誰も顔を見たことのない、神託の巫女。
その人だけが、わたしを「エリー」と呼びました。
次回、最後の神託。
☆何個でもいいので、つけてください!




