第2話 七日後のわたし
【前回までのあらすじ】
巫女の夢を、何十枚もの絵に描きなぐる「描き手」の公爵令嬢エレノア。
父の友人の院長「おじさま」に、亡き父が描いた九年前の絵の、気になる点を相談した。
その夕方、おじさまと王の監察官クロードと三人でいた神託の間に流れこんできたのは、七日後に、おじさまを刺す自分の姿だった。
今回は、自分の描いた絵の、すみっこを見る、エレノアのお話です。
絵は、ひと息で、消えた。
描かずに、いられるだろうか。
一瞬、そう思った。
でも、おじさまも、監察官様も、同じものを見た。隠しても、意味がない。
それに、夢は、ひと息で消える。描かなければ、どこなのかも、いつなのかも、わからないまま、七日後が来る。
わたしは、ふるえる手で、ペンをにぎった。
白い壁。高い窓。時計塔。
灰色の長衣。おじさまの、見ひらいた目。
短剣。
そして、短剣をにぎる、わたしの手。わたしの顔。
何枚も、何枚も。
描きおわったとき、床には、三十枚あまりの紙が散らばっていた。どの紙も、汗でしめっていた。
奥の間で、ちりん、と、鈴が鳴った。
「……今のは、君か」
監察官様が、低い声で言った。
「わたしです」
自分の声が、ひどく遠く聞こえた。
監察官様は、床の絵を、一枚だけ拾いあげた。
短剣をにぎる、わたしの手の絵だった。
それから、上着の内ポケットから、黒い手帳を出して、何かを書きつけた。
左手で。
指の腹に、黒いインクのしみが、ついていた。
「君は、今、自分が誰を刺したのか、わかっているのか」
「……おじさま、です」
口に出したとたん、ひざが、がくがくとふるえた。
◇
――よく見なさい、エレノア。こわいときほど、すみっこを見るんだ。
小さいころ、父は、わたしを膝にのせて、古い絵を、一枚ずつ見せてくれた。
窓の外の、遠い鐘楼。テーブルの下の、犬のしっぽ。
すみっこを見れば、絵は、いつ、どこなのか、教えてくれる。
窓の外の時計塔。
文字盤の横に、鳩小屋が、くっついている。
これは、予見院の時計塔だ。
この角度で見えるのは、西の塔のいちばん上の部屋だけ。
保護の間。
殺されるはずの人を、守るための部屋。
その中で、わたしは、おじさまを刺す。
それから、短剣の柄。
盾と、二羽のつばめ。
グレイフォード家の紋だった。
父が、いつも腰に下げていた短剣。
五年前、父が、王都の外の北街道で、盗賊に殺されたとき、いっしょに消えた短剣だった。
城壁の外だったから、巫女には、見えなかった。
父の亡骸を、北街道から連れて帰ってくれたのは、おじさまだった。
最後に、絵の中の、わたし。
髪が、短かった。
肩の上で、ざんばらに切ってある。
服も、ちがった。灰色の、くたびれた木綿の服。
今のわたしは、腰まである髪に、青い絹のドレスだ。
――七日のあいだに、わたしは、こうなる。
◇
おじさまは、ずっと、壁に手をついていた。
顔が、紙のように、白かった。
自分が刺されるところを、自分の頭で、見たのだ。
それから、おじさまは、ゆっくりと、床の絵を拾いあつめた。
いつもと同じように、拡大鏡で、一枚ずつ。
手は、もう、ふるえていなかった。
「殺す者、エレノア・グレイフォード。殺される者、ゴドウィン・ハーロウ。場所は、保護の間。七日後の夜、十時」
おじさまは、白い札に、それを書いた。
字が、少しだけ、右へかすれた。
「おじさま。わたし、そんなこと――」
「わかっているよ。きみが、そんなことをするはずがない」
おじさまは、悲しそうに、笑った。
「でも、神託は、外れない。……決まりどおりに、しなければならない。私は、今夜から、保護の間に入る。きみは、眠りの塔へ」
それから、ほんの少しだけ、声を低くした。
「エレノア。父の絵のことは、誰かに、話したかい」
「……いいえ。おじさまだけです」
「そうか」
◇
そのとき、神託の間の扉が、乱暴に開いた。
白い外套の騎士たち。
その先頭に、がっしりした体の、騎士団長。
十年前、父とおじさまと、この人の三人で、この制度をつくったのだと、聞いている。
騎士団長は、札を読んで、わたしを見下ろした。
「エドガーの娘が、院長を、だと?」
「団長。決まりどおりに、たのむ」
おじさまの声は、静かだった。
「わかっています、院長。……お連れしろ。眠りの塔だ」
騎士たちの手が、わたしのほうへ、のびてきた。
眠りの塔。
甘い眠り香をかがされて、二度と、目をさまさない人たち。
わたしの描いた絵で、四十二人が、あそこへ運ばれた。
◇
わたしは、騎士の手を、ふりはらった。
神託の間の、裏口へ。
三年間、毎朝、かまどの薪が運びこまれるのを見ていた。
裏口の先に、せまい薪の通路がある。
「待て!」
騎士団長の怒鳴り声が、うしろで、ひびいた。
小さな木の戸を、肩で押しあけると、外は、夕暮れだった。
洗濯場の裏の坂を、駆けおりる。
坂の途中で、一度だけ、ふり返った。
裏口の戸のところに、白い外套の人が立っていた。
監察官様だった。
追いかけてくるでもなく、誰かを呼ぶでもなく。
ただ、腕を組んで、わたしを、じっと見ていた。
左の腰ではなく、右の腰に、剣を下げて。
左ききの人の、下げ方だった。
わたしは、前を向いて、走った。
◇
夕焼けの丘の上に、予見院の白い建物が、黒くしずんで見えた。
西の塔のいちばん上の窓に、灯りが、ひとつ、ともった。
おじさまが、保護の間に入ったのだ。
三年で、四十二の夢。
わたしは、その人たちの顔を、一度も、まともに見なかった。
何を言おうとしていたのかも、聞かなかった。
神託は外れないのだから、聞く必要なんてない、と思っていた。
今、その神託が、わたしを指さしている。
なぜ、わたしが、おじさまを。
いちばん、やさしくしてくれた人を。
父が亡くなった冬、わたしが、ごはんを食べられなくなったとき。
おじさまは、毎日、予見院の帰りに、屋敷へ寄ってくれた。
「ちゃんと、食べているかい」と、焼き菓子の包みを、テーブルに置いて。
描き手にならないかと、声をかけてくれたのも、おじさまだった。
短剣だって、持っていない。
五年前に、父といっしょに、消えたのに。
答えは、一つも、出なかった。
次回、追われる令嬢。
☆何個でもいいので、つけてください!




