第17話 選ぶ手
神託の間に、悲鳴が上がった。
貴族たちが、いっせいに、うしろへ下がる。
騎士たちが、剣の柄に手をかける。
クロード様が、わたしの前に、さっと出た。
「下がっていろ」
おじさまは、父の短剣を、くるりと持ちかえた。
刃を、自分の胸のほうへ。柄を、わたしのほうへ。
「エレノア。刺しなさい」
おじさまの声は、かすれていた。
「そうすれば、神託は、外れなかったことになる。この十年は、正しかったことになる。……私が守りたかったのは、それだけなんだよ」
◇
――何があっても、俺は、君の前に立つ。
クロード様の背中は、少しも、動かなかった。
だから、わたしは、うしろに隠れるのをやめた。
クロード様の、となりに出た。
それから、クロード様の手を、ぎゅっと、にぎった。
左手だった。
インクのしみのある、あたたかい手。
「……エレノア」
「どかなくていいです。でも、となりにいさせてください」
クロード様は、何も言わなかった。
ただ、にぎった手に、力がこもった。
わたしは、おじさまと、向かいあった。
◇
「おじさま。神託の中のわたしは、おじさまを、刺していました」
わたしは、言った。
「でも、ゆうべ、わたしは、刺しませんでした。十時の鐘が鳴っているあいだに、わかったんです」
一歩、前に出た。
クロード様も、いっしょに、一歩、前に出た。
「人は、選べます。最後の最後まで」
もう一歩。
「眠りの塔の百十二人も、もしかしたら、自分で、刃を下ろせたかもしれない。でも、誰も、その人たちに、選ばせなかった。話を聞かなかった。わたしも、です」
さしだされた柄が、わたしたちの、手のひら一つぶん手前にあった。
「判事様は、選べませんでした。父も。セレスも」
声が、ふるえた。
「でも、おじさまは、今、選べます」
◇
神託の間が、静まりかえった。
誰も、息をしていないみたいだった。
おじさまの目が、わたしの短い髪を見ていた。
それから、わたしの顔を。
それから、つながれた、わたしたちの手を。
「……エドガーに、そっくりだね」
おじさまは、小さく笑った。
「言い出したら、聞かない顔だ」
短剣が、おじさまの手から、すべり落ちた。
からん、と、石の床が鳴った。
ゆうべ、保護の間で聞いたのと、同じ音だった。
おじさまは、そのまま、床に、ひざをついた。
◇
騎士団長が、おじさまの腕を取った。
おじさまは、さからわなかった。
「ゴドウィン・ハーロウ」
陛下の声が、神託の間に、ひびいた。
「そなたを、ルイ・ベルナール判事殺し、エドガー・グレイフォード公殺しのかどで、捕らえる。ただし、眠りの塔へは送らぬ」
陛下は、ゆっくりと立ちあがった。
「法院で、裁く。証人を呼び、そなたの言い分も聞いたうえでな。……人は、まだ起きていない罪では、裁かれぬ。今日から、この国は、そうする」
連れていかれる前に、おじさまは、一度だけ、ふり返った。
「エレノア。セレスのことは……すまなかった」
わたしは、何も言わなかった。
許したわけじゃない。
たぶん、これからも、ずっと、許さない。
でも、短剣を落としてくれたことは、忘れないと思う。
騎士団長が、おじさまを連れて、神託の間を出ていった。
九年前、話を聞かなかった人が、今は、黙って、聞く顔をしていた。
貴族たちのうしろで、お母様が、ハンカチで目をおさえていた。
そのとなりで、ホーン先生が、九年眠っていた男の人の肩を、ぽん、とたたいた。
男の人は、何が起きたのか、まだよくわからない顔で、それでも、陛下に、深く頭を下げていた。
◇
「エ、エレノア!」
金色の髪の人が、人ごみをかきわけて、駆けよってきた。
セドリック様だった。
「ぼ、ぼくは、ずっと、君を信じていたんだ! 婚約破棄は、父上が勝手に――そうだ、無実とわかったなら、もう一度、婚約を――」
わたしは、セドリック様を見た。
ふしぎなくらい、何も感じなかった。
「セドリック様。人殺しになる娘とは、結婚できない。そう布告なさったのは、あなたです。わたしの話を、一度も、聞かずに」
「そ、それは……」
「それから、セレスのことです。あの子は、あなたのことが好きでした。二年間、壁一枚むこうで、この王都の人殺しを、毎日、見ていました。あなたが、ほかのご令嬢とお茶をしているあいだも」
セドリック様は、口を開けたまま、固まった。
うしろにいた令嬢が、ぱちんと扇を閉じた。
「わたくし、人の話を聞かない方とは、お茶をしない主義ですの」
令嬢は、それだけ言って、神託の間を出ていった。
あちこちで、くすくすと、笑い声がもれた。
今度は、セドリック様が、笑われる番だった。
◇
わたしは、床に、座りこんだ。
足に、力が入らなかった。
クロード様が、となりに、ひざをついた。
まだ、わたしの手を、はなしていなかった。
「終わったな」
「……はい。わたし、刺しませんでした」
「見ていた。いちばん近くで」
クロード様は、つないだままの手を、少しだけ持ちあげて、見た。
「どかなくていいと言ったのに、前に出てきたときは、心臓が止まるかと思った」
「クロード様だって、いっしょに、前に出ました」
「君ひとりを、前に出せるか」
クロード様は、ため息をついた。
それから、ほんの少しだけ、笑った。
「……言い出したら、聞かない人だな」
「よく、言われます。父にも、おじさまにも」
壁一枚むこうの奥の間は、しずかだった。
もう、誰も、そこで眠ってはいなかった。
☆ください




