第16話 絵解き
祝典の朝。
グレイフォードの屋敷で、お母様が、わたしの髪をとかしてくれた。
鏡の中のわたしは、八日前とは、ちがう顔をしていた。
肩の上で切った、短い髪。
ゆうべのことを話すと、お母様は、長いあいだ、黙っていた。
「わたし、五年間、あの方に、ありがとうと言いつづけてきたのね」
わたしは、鏡の中のお母様の手に、自分の手を重ねた。
お母様は、わたしの肩に、そっと手を置いた。
「人の話を、最後まで聞いてらっしゃい。それから、あなたの話も、最後まで、聞いてもらうのよ」
玄関を出ると、黒い上着のクロード様が、馬車の前で待っていた。
「行かせたくない」
「行きます」
「わかっている。だから、言っておく」
灰色の目が、まっすぐに、わたしを見た。
「何があっても、俺は、君の前に立つ。今度は、君がどけと言っても、どかない」
「……どけ、なんて、言いません」
クロード様は、少しだけ、目を見ひらいた。
それから、馬車の扉を、あけてくれた。
◇
予見院の神託の間は、十年で初めて、扉をいっぱいに開けはなっていた。
金色の旗。『予断の制度 十周年』の文字。
いちばん前の、金の椅子に、陛下。
うしろには、着かざった貴族たち。セドリック様と、腕を組んだ、知らない令嬢。
前の台の上に、ゆうべのものが、並べてあった。
父の短剣。銀の小刀。青いしみのハンカチ。
おじさまが、陛下の前に立った。
手首に、白い包帯。
「陛下。ゆうべ、エレノアは、神託どおり、短剣を持って、保護の間に入ってまいりました。副団長と、二人で」
セドリック様が、大きな声で笑った。
「やはりね。わたしは、婚約を破棄しておいて、正解でした」
陛下が、手を上げた。
「グレイフォードの娘。話せ」
わたしは、前に出た。
ひざが、ふるえていた。
うしろで、クロード様が、一歩、近づく気配がした。
◇
絵解きは、三年間、おじさまの仕事だった。
わたしは、描くだけだった。
でも、今日は、わたしが、とく。
父に教わったとおりに。すみっこから。
「はじめに、申し上げます。この国の巫女は、もう、いません」
神託の間が、しんとなった。
「巫女の名前は、セレス・ラングレー。二年前、南の国へ療養に行ったことになっていた、わたしの幼なじみです。五日前の夜、奥の間で、亡くなりました。誰も、抱きしめずに」
うしろのほうで、誰かが、がたんと椅子を鳴らした。
ラングレー伯爵だった。まわりの人たちが、伯爵から、一歩、はなれた。
セレスのお母様は、伯爵のほうを、一度も見なかった。
「院長様は、それを知っていて、『巫女さまご病気』の布告を出されました」
◇
「一枚目は、父の絵です」
九年前の、春の夜の、鏡の池。
「殺す者の顔のない絵は、十年で、この一枚だけです。この神託で捕まった人は、東の下町の酒場で、捕まっています。けさ、九年ぶりに、目をさましました」
ホーン先生にささえられて、やせた男の人が、うなずいた。
「鏡の池なんて、行ったこともねえ」
「顔のない絵は、場所から読むしかありません。読んで、札に書くのは、院長様だけです」
わたしは、九年前の札を、陛下の前に置いた。
「字が、右へ、少しかすれています。左手で書くと、書いたばかりの字の上を、手がこするからです」
◇
「二枚目は、池の底のものです」
クロード様が、小さな布の包みを、ひらいた。
苔のついた、銀のボタン。
「三日前の夜、鏡の池から、父が上がりました。ルイ・ベルナール判事。右手が、これをにぎっていました。九年前の、騎士団の外套のボタンです」
騎士団長が、古い帳面を、ひらいた。
「池の夜の前の日、俺は、外套を一着、院長に貸した。返ってきたとき、ボタンが一つ、とれていた」
◇
「三枚目は、わたしの神託です」
わたしは、自分の描いた絵を、かかげた。
白い部屋。時計塔の十時。おじさまの胸に、沈む短剣。
「神託の中のわたしは、刺していました。でも、ゆうべ、わたしは、刺しませんでした。院長様には、傷ひとつ、ありません」
わたしは、台の上の、銀の小刀を指さした。
「刃を向けたのは、院長様のほうです。保護の間の寝台の下から、見つかりました」
「この手で、手首をつかんだ。左手だった」
クロード様が、言った。
◇
「最後は、父の短剣です」
わたしは、台の上の、ハンカチを、ひろげた。
「五年前、北街道で、父といっしょに消えた短剣です。ゆうべ、院長室の、鍵のかかった引き出しにありました。このハンカチに、つつまれて」
青い、インクのしみ。
神託の間じゅうの目が、おじさまの指先に、向いた。
「五年前、北の町へ行こうと、夫を誘ったのは、院長様でした」
貴族たちのうしろで、お母様が、まっすぐに背をのばして、言った。
「帰ってきたのは、院長様、おひとりでした」
◇
おじさまは、長いあいだ、黙っていた。
それから、さびしそうに、笑った。
「きみは、本当に、いい目をしている。……エドガーと、同じだ」
「ルイは、正しすぎた。もし止めていたら、この九年で、王都では、何十人が殺されていたと思う?」
「だから、殺したんですか。判事様も、父も」
「エドガーなら、わかってくれると思った」
「父は、わかりませんでした。だから、絵のうらに、書いたんです」
わたしは、手をにぎりしめた。
「場所が、ちがう、と」
おじさまは、目を閉じた。
それから、一歩、前へ出て。
台の上の、父の短剣を、つかんだ。




