第15話 壁一枚
白い外套の騎士たちが、らせん階段を、駆けあがってきた。
騎士たちが見たのは、こういうものだった。
床に落ちた、父の短剣。
そのすぐそばに、すわりこんだ、灰色の服の、髪の短い娘。
手首を押さえて、壁にもたれる、院長。
そして、その前に立つ、黒い上着の副団長。
絵と、同じ娘だった。
「神託どおりだ」
騎士の一人が、つぶやいた。
「エレノアは、短剣を持って、入ってきた。副団長が、私を、押さえつけた」
おじさまは、ふるえる声で言った。
「ちがいます!」
わたしは、叫んだ。
でも、騎士たちの目は、わたしではなく、院長を見ていた。
十年間、神託の絵を読みといて、札に書いてきた人を。
「二人を、捕らえよ」
騎士たちの手が、わたしの両腕を、うしろへ、ねじりあげた。
クロード様は、抵抗しなかった。
ただ、つれていかれるわたしの背中に、一度だけ、言った。
「エレノア。何も、しゃべるな。陛下が来るまで」
◇
予見院の、地下の牢。
石の小部屋が、二つ、並んでいた。
わたしは、右の部屋。
クロード様は、左の部屋。
あいだには、石の壁が、一枚だけ。
「……クロード様」
わたしは、壁に、手を当てた。
「ここにいる」
壁のむこうから、声がした。
すぐ、近くだった。
神託の間と、奥の間みたいだ、と思った。
セレスも、二年間、こうやって、壁のむこうの、わたしの気配を、聞いていたのだろうか。
◇
「どうして、来てくれたんですか」
「団長に、九年前の外套のことを話しに行った。塔の下で、話していたら、団長が言った。院長が、俺が騒いでいると言って、自分を下へ行かせた、と」
クロード様の声は、低かった。
「騒いでなど、いなかった。……それで、院長が、上に、ひとりだとわかった。表の階段は、騎士がふさいでいた。だから、時計塔の下をまわって、走った」
窓の下の、石だたみ。
「白い外套は」
「とちゅうで、脱ぎすてた。着ていたら、君が、こわがると思った」
わたしは、何も言えなくなった。
「……セレスが、最後の夢で、見ていたんです。十時に、黒い上着の人が、走ってくるのを。でも、もう一つの夢では、黒い袖の左手が、刺したあとのわたしの手首を、つかんでいました。『ゆるしてくれ、エレノア』って」
壁のむこうで、あの人は、しばらく、だまっていた。
「たぶん、それも、俺だ」
「え?」
「間にあわなかった俺だ。君に、あの部屋へ行こう、などと言って。君が刺してしまったあとに、着いた俺だ。……あやまるに、決まっている」
わたしは、壁に、ひたいを当てた。
「ゆうべ、さわらないで、と言って、ごめんなさい」
「……あれは、こたえた」
「ごめんなさい」
「巫女どのは、何と言っていた」
「いい人かどうかは、自分で見て、って。すみっこまで」
「……手きびしいな」
あの人の声が、ほんの少しだけ、笑っていた。
「階段を走りながら、君に、何て言おうか、考えていた。もう一度、手をさわってもいいか、と聞こうと思っていた」
石の壁は、つめたかった。
でも、その向こうに、あの人の手があるような気がした。
「……いいです」
「何が」
「さわっても。ここを出たら」
壁のむこうで、長い、息をはく音がした。
それから、ぼそりと、声がした。
「……今のは、聞かなかったことにしないでくれ」
「しません」
わたしは、壁にもたれて、はじめて、少しだけ、眠った。
◇
夜中。
牢の前に、灯りが一つ、近づいてきた。
騎士団長だった。
手に、ぶあつい、古い帳面を持っていた。
「九年前の春だ」
騎士団長は、灯りを近づけて、帳面を開いた。
「鏡の池の夜の、前の日。俺は、外套を一着、貸した。祭りの行列で着たいと、院長にたのまれてな。……返ってきたとき、袖のボタンが、一つ、とれていた」
騎士団長の声は、低く、ふるえていた。
「名前を書かなかったのは、俺だ。友だちに貸すのに、帳面に名前などいるか、と」
それから、灯りを、わたしに向けた。
「エドガーの娘。お前は、刺したのか」
「刺していません」
わたしは、まっすぐに、団長を見た。
「短剣は、院長室の引き出しにありました。青いインクのついた、ハンカチにつつまれて」
騎士団長は、長いあいだ、だまっていた。
「院長には、傷ひとつない。それから、保護の間の寝台の下から、これが出た」
団長が見せたのは、紙を切りそろえる、銀の小刀だった。
「院長の机のものだ。十年、毎日、見ていた」
わたしが刺していないことも、刃を向けたのが誰かも。
団長は、もう、わかっているようだった。
騎士団長は、胸の鶴の紋章を、指でつかんだ。
「九年前、俺は、話を聞かなかった。お前の親父のときも。……今夜は、聞く」
◇
明け方。
騎士団長は、もう一度、来た。
「陛下の使いが、着いた。副団長の手紙が、ゆうべ、陛下のもとに届いていたそうだ。今日の祝典で、陛下が、じきじきに、お前の話を聞くと、おおせだ」
鉄格子の鍵が、かちりと、回った。
となりの牢の扉も、ひらいた。
クロード様が、出てきた。
ひと晩で、目の下が、黒くなっていた。
あの人は、何も言わずに、手を、わたしのほうへ、さしだした。
左手だった。
わたしは、その手を、にぎった。
石の壁より、ずっと、あたたかかった。
「それから」
騎士団長が、言った。
「眠りの塔の、九年前の男が、夜明けに、目をさました。ホーン婆さんが、ついている」




