第14話 十時の鐘
保護の間は、絵のとおりだった。
白い壁の、小さな部屋。
寝台が一つ。椅子が一つ。机が一つ。
高い窓の外に、時計塔。文字盤の横に、鳩小屋。
寝台の横の壁に、小さな字が、いくつも、ひっかいてあった。
『ぶじに、朝が来た。ありがとう、巫女さま』
『柳橋の、パン屋より』
ここで、ひと晩をすごして、生きて帰った人たちの字だった。
おじさまは、この字を、七日間、毎晩、見ていたのだろうか。
おじさまは、扉を閉めて、小さな銀の鍵を、長衣のポケットにしまった。
「合い鍵だよ。この部屋の鍵をつくらせたのは、私だからね。団長も、副団長も、知らない」
それから、わたしの手の短剣を見た。
「やはり、見つけたね。インク壺の下は、エドガーも、知っていたから」
おじさまは、少しも、おどろいていなかった。
「セレスの夢で、きみが、その短剣を持ってくるのを見た。だから、引き出しの鍵は、そのままにしておいたんだよ」
◇
「……どうして」
声が、ふるえた。
「九年前、ベルナール判事が、この制度を止めようとした。陛下も、迷っておられた」
おじさまは、窓の外の時計塔を見た。
「私は、止められたくなかった。この制度は、十年で、何百人も救ったんだよ、エレノア。……だから、団長に外套を借りて、顔を布でかくして、判事を、鏡の池に沈めた」
「判事は、正しい人だったよ。まだ起きていない罪で、人を眠らせてはいけない、とね」
おじさまは、少しだけ、目をふせた。
「正しい人は、ときどき、たくさんの人を、死なせる」
「父の絵に、顔がなかったのは」
「私が、することだったからね。顔がなければ、場所から読むしかない。読むのは、私だけだ。私は、あの絵を、東の下町と読んだ。酒場で、よく刃物をふりまわす男の名前を、札に書いた」
右へかすれた、九年前の札。
引き出しの中で、五年間、短剣の下にあった札。
「五年前、エドガーが、眠りの塔のあの男の顔を見て、私に聞きに来た。場所が、ちがうのはなぜだ、と。……北の町への旅に、誘ったのは、私だ。城壁の外なら、巫女には、見えない」
「短剣は」
「捨てられなかった。あいつの、ものだから」
おじさまは、少しだけ、笑った。
「そして、七日前。きみが、同じ字を持ってきた。その日の夕方に、あの夢だ。……セレスに、二度、見なおさせた。巫女だけが、夢の前とうしろを見る。きみが、どう来るのか、知りたかった。何度見ても、きみは、ここへ来た」
――院長様に――。
院長様に、気をつけて。
セレスは、そう言いたかったのだ。
二年間、壁一枚むこうで、ひとりで夢を見て。
ただ一人、話ができた相手が、この人だった。
それでも、セレスは、最後に、わたしに、それを伝えようとした。
◇
「さあ、エレノア」
おじさまは、両手を、ひろげた。
「神託は、外れない。きみは、私を刺す。そのために、ここへ来たんだろう」
胸の奥が、熱くなった。
父の背中。
北街道から、帰ってこなかった父。
「ちゃんと、食べているかい」と笑った、この人の顔。
五年間、母に、ありがとうと言わせつづけた、この人の顔。
時計塔の鐘が、ひとつ、鳴った。
十時。
わたしは、短剣を、ふり上げていた。
三枚目の絵と、同じだった。
白い壁。時計塔の十時。灰色の長衣の胸。
鐘が、ふたつ、みっつ。
――未来が、ゆれてた。決まってないんだよ、エリー。まだ。
刃が、宙で、止まった。
ふるえて、ゆれて。
刺したら、わたしは、この人と同じになる。
話を聞かずに、決めつけて、人を眠らせてきた、三年間のわたしとも、同じになる。
父は、絵のうらに、書いただけだった。
『場所が、ちがう』と。
刺さずに、たずねに行った。
五枚目の絵と、同じだった。
「……わたしは、まだ、選べます」
わたしは、手をひらいた。
短剣が、床に落ちた。
からん、と、石の床が鳴った。
◇
おじさまの顔から、笑みが消えた。
「そうか。……残念だ」
おじさまの左手が、長衣の袖の中に、すべりこんだ。
出てきたのは、紙を切りそろえる、銀の小刀だった。
「神託どおり、殺しに来た娘から、身を守った。誰も、私を疑わない」
小刀が、上がった。
わたしは、おじさまの手首を、両手でつかんだ。
力では、かなわない。
刃が、わたしの胸のほうへ、少しずつ、押されてくる。
銀の刃先が、灰色の服の胸に、ふれた。
布が、ぷつりと、小さく、裂けた。
「眠りの塔の者は、いつか、目をさます。ホーンの薬でね。……でも、死んだ者は、もう、何も言わない」
おじさまの目に、涙が、たまっていた。
「ゆるしてくれ、エレノア」
――その言葉。
四枚目の絵の、黒い袖の人と、同じ言葉。
でも、今、それを言っているのは、灰色の袖の、この人だった。
◇
そのとき。
らせん階段を、駆けあがってくる足音がした。
一段とばしの、乱暴な足音。
扉が、壁にぶつかるほど、はげしく開いた。
黒い上着。白い外套は、着ていない。
ぜいぜいと、肩で息をしている。
窓の下の石だたみを、走ってきた人。
「――エレノア!」
あの人の左手が、おじさまの左の手首を、つかんだ。
ひねりあげる。
小刀が、すべり落ちた。
わたしは、そのまま、床に、すわりこんだ。
「……クロード様」
はじめて、その名前で、呼んだ。
あの人は、おじさまの腕を押さえたまま、ふり返った。
灰色の目が、わたしの顔と、胸と、手を、たしかめるように、見た。
「けがは」
「ありません」
あの人の肩から、力が、ぬけた。
その一瞬に、おじさまは、足もとの小刀を、寝台の下へ、けりこんだ。
それから、大きく息を吸った。
「誰か! 誰か来てくれ!」
おじさまの声が、らせん階段に、ひびきわたった。
「エレノアが、神託どおり、私を刺しに来た! 副団長も、ぐるだ!」
床の上で、父の短剣が、わたしのひざのすぐそばに、光っていた。
神託の十時。エレノアは、刺さないことを選びました。
けれど、院長は、叫びます。
次回、壁一枚。
マジで☆何個でもいいので、つけてください!




