第13話 扉の前
【前回までのあらすじ】
七日目の朝、エレノアは、セレスの母にことづけを届け、自分の母に会った。
母は何気なく話した。五年前、父を北の町への旅に誘ったのは院長で、帰ってきたのは院長ひとりだった、と。
騎士たちに見つかったエレノアは、からっぽのはずの院長室へ向かった。
今回は、神託の夜の、十時の前のお話です。
薪の通路は、七日前と同じ、かまどの煙のにおいがした。
神託の間を、通りぬける。
机の上に、描きかけの紙が、そのまま残っていた。
奥の間の壁の向こうは、しんとしていた。
四日前まで、あの壁のむこうに、セレスがいた。
わたしは、壁に、そっと、手のひらを当てた。
つめたかった。
「行ってくるね、セレス」
返事は、なかった。
院長室の扉は、鍵がかかっていなかった。
七日間、主のいない部屋は、インクと、古い紙のにおいがした。
◇
ろうそくを一本だけ、ともした。
いつもの机。いつもの拡大鏡。
十年分の絵の箱。
わたしは、箱の一つをあけた。
三年分の、わたしの絵。どの絵のすみにも、おじさまの、右へかすれた字で、日付と、札の番号が書いてあった。
小さいころ、父といっしょに、この部屋で遊んだ。
おじさまは、机のいちばん下の引き出しにだけ、鍵をかけていた。
その鍵は、いつも、インク壺の下にあった。
父とわたしだけが知っている、ないしょの場所だった。
「ここは、おじさまの、ひみつの引き出しだよ」と、父が笑っていた。
インク壺を、持ちあげた。
小さな鍵が、あった。
手が、ふるえた。
開けなければ、わたしは、明日も、おじさまを、おじさまと呼べる。
開けたら。
◇
引き出しの中には、白いハンカチの包みが、一つ。
ハンカチには、うすい青のしみが、点々とついていた。
おじさまの指の、インクの色。
包みを、ひらいた。
短剣だった。
盾と、二羽のつばめ。
父が、いつも腰に下げていた短剣。
五年前、北街道で、父といっしょに、消えた短剣。
その下に、古い札が、一枚。
『殺す者、東の下町の――』
九年前の日付。
字が、すこしだけ、右へかすれていた。
九年前、東の下町で捕まった男の人の、札。
眠りの塔に送られた人の札は、全部、騎士団の札箱に、しまわれるはずだった。
どうして、この一枚だけが、ここにあるのだろう。
捨てられなかったのだ。
父の短剣と、同じように。
◇
わたしは、短剣を、にぎっていた。
いつ、にぎったのか、わからなかった。
窓のガラスに、わたしが映っていた。
肩の上で切った、短い髪。
灰色の、くたびれた木綿の服。
右手に、父の短剣。
あの絵の中の娘が、そこにいた。
髪を切ったのは、逃げるためだった。
服を着がえたのも、逃げるためだった。
逃げて、逃げて、わたしは、この部屋にたどりついた。
――ああ。
だから、だったのだ。
七日前のわたしには、おじさまを刺す理由が、なかった。
七日かけて、わたしは、それを、見つけてしまった。
父を、北街道へ誘った人。
父の亡骸を、連れて帰ってきた人。
その人の引き出しに、父の短剣が、五年間、眠っていた。
「ちゃんと、食べているかい」
あの声を、五年間、わたしは、うれしいと思って、聞いていた。
胸の奥が、熱くなった。
熱くて、つめたくて、何も考えられなくなった。
短剣の柄の、二羽のつばめが、手のひらに、くいこんでいた。
時計塔の鐘が、九時半を打った。
ここで、ハンカチを元にもどして、逃げることもできた。
陛下の監察官に、とどけることもできた。
でも、わたしの足は、西の塔のほうへ、向いていた。
◇
西の塔には、階段が二つある。
表の、広いらせん階段。
それから、掃除番の人が使う、裏の、細い階段。
三年間、神託の間の窓から、毎朝、掃除番のおばさんが、ほうきを持って、裏の戸に入っていくのを見ていた。
わたしは、裏の戸を、押した。
細い階段は、まっくらだった。
一段ずつ、手さぐりで、のぼった。
石の段は、すりへって、まんなかが、へこんでいた。
十年分の、掃除番のおばさんの足あと。
上のほうから、声が聞こえてきた。
「――団長。窓の下に、副団長が来ている。どうしても、きみに会わせろと、騒いでいるようだ」
おじさまの声だった。
扉の内側からの、くぐもった声。
「院長。私は、ここを動かんと――」
「行ってやってくれ。鍵は、きみが持っていきなさい。私は、中から開けない。約束しよう」
しばらく、だまっていた。
それから、鎧の音が、表の階段を、下りていった。
副団長が、騒いでいる。
あの人が、下に、いる。
ゆうべ、「さわらないで」と言った、あの人が。
何のために、と、考えかけて、やめた。
◇
裏の階段のいちばん上は、保護の間の前の、石の廊下に出た。
白い扉。
その前に、わたしは、立った。
扉の下のすきまから、細い灯りが、もれていた。
――エリーは、扉の前で、長いこと、立ってた。
セレスの声。
わたしは、本当に、長いこと、立っていた。
短剣をにぎった手が、ふるえていた。
刺したいのか。
聞きたいのか。
自分でも、わからなかった。
おじさまに、聞きたかった。
どうして、父の短剣が、あなたの引き出しにあったのですか、と。
おじさまに、言わせたかった。
ちがうんだ、エレノア、と。いつもの、やさしい声で。
一枚目の絵と、同じだった。
わたしは、セレスの最後の夢を、思い出そうとした。
宙で止まって、ゆれていた、短剣。
あれも、わたしの手だった。
時計塔の鐘は、まだ、鳴らない。
九時、五十九分。
扉のむこうで、足音がした。
鍵穴に、鍵がさしこまれる音。
外からではなく、内側から。
かちり。
扉が、ゆっくりと、ひらいた。
灰色の長衣の、おじさまが、立っていた。
いつもの、やさしい顔で。
「入りなさい、エレノア。……来ると、思っていたよ」
七日かけて、彼女は、あの絵の中の娘になりました。
扉は、内側から、ひらきます。
次回、十時の鐘。
☆何個でもいいので、つけてください!




