第10話 眠りの塔
【前回までのあらすじ】
夜の鏡の池で、クロードは、九年前に消えた父、ルイ・ベルナール判事のことを話した。
エレノアの父が描いた九年前の絵をたよりに、二人は池の底から判事の骨を見つける。
その手がにぎっていたのは、九年前の、騎士団の白い外套のボタンだった。
今回は、眠りの塔での、お話です。
夜明け前。
判事様の骨は、ゆうべのうちに、ホーン先生の温室へ運んだ。
白い布でつつんで、紫の花の棚の下に。
監察官様は、そのそばで、ひと晩じゅう、陛下への手紙を書いていた。左手で。
わたしは、監察官様の予備の白い外套を着て、予見院の裏の坂をのぼった。
「下を向いて、俺のうしろを歩け。眠りの塔の番は、副団長の顔しか見ない」
眠りの塔は、予見院のいちばん裏にある、丸い石の塔だった。
三年間、毎日、神託の間の窓から、見えていた塔。
一度も、中に入ったことはなかった。
◇
扉をあけると、甘いにおいがした。
眠り香。
らせん階段にそって、小さな部屋が、ずらりと並んでいた。
どの部屋にも、寝台が一つ。
どの寝台にも、人が一人。
みんな、目を閉じて、しずかに、息をしていた。
「百十二人だ」
監察官様が、言った。
わたしは、一つめの部屋の前で、足を止めた。
寝台の名札に、名前と、日付。
三年前の、秋の日付。
わたしが、はじめて、一人で描いた絵の日だった。
若い男の人だった。
頬に、そばかすがあった。
寝台のわきに、誰かが置いていった、しおれた野の花。
「……この人の、顔を、はじめて見ました」
声が、ふるえた。
「わたし、絵の中では、この人の、背中しか描いていないんです」
◇
わたしは、一部屋ずつ、のぞいていった。
四十二人。
おじいさん。若い娘さん。
大きな手の、職人のような人。
寝台が、少し小さすぎる、背の高い人。
わたしの描いた夢の数だけ、ここに、寝顔があった。
刺そうとした人。
突き落とそうとした人。
最後まで、迷っていたのかもしれない人。
誰の話も、わたしは、聞かなかった。
寝台のわきに、花が置いてある部屋は、ほんの少しだった。
ほとんどの部屋には、何もなかった。
誰も、会いに来ない人たち。
わたしも、その、会いに来なかった一人だった。
ひざが、がくりと、折れそうになった。
監察官様の手が、わたしのひじを、うしろから、ささえた。
「全部、終わったら」
あの人は、低い声で言った。
「一人ずつ、起こしに来よう。話を聞きに。それから、あやまりに」
わたしは、うなずくことしか、できなかった。
◇
塔のいちばん下の部屋に、やせこけた男の人が、眠っていた。
名札の日付は、九年前の春。
『東の下町にて捕らう』
父の絵の神託で、捕まった人だった。
ホーン先生が、階段の下のかげから、出てきた。
ゆうべのうちに、監察官様が、たのんでいたのだ。
ホーン先生は、小さな瓶のふたを開けて、男の人の鼻の下に、そっと近づけた。
「眠り香を、つくったのは、わたしだからね。目を覚まさせる薬も、つくれるよ。ただ、九年も眠っていた人だ。目があくまで、まる一日かかる」
「祝典の朝には」
「まにあうだろうね」
男の人の、まぶたが、ほんの少しだけ、ぴくりと動いた。
わたしは、寝台のわきに、ひざをついた。
「ごめんなさい。九年も」
男の人は、もちろん、何も答えなかった。
ホーン先生が、瓶のふたを閉めながら、ぽつりと言った。
「あんたのお父上も、ここに来ていたよ。五年前の春だったかね。この人の寝顔を、長いこと、見ていた」
「父が」
「それから、ひと月もしないうちに、北街道で、ね」
五年前の春。
父は、この人の顔を見て、絵のうらに、あの字を書いたのだろうか。
そして、誰かに、たずねた。
わたしは、男の人の、やせた手を見た。
九年前の春から、ずっと、眠ったままの手。
◇
そのとき、塔の扉が、あいた。
「副団長」
低い、太い声。
監察官様が、わたしを、寝台のかげへ押しやった。
わたしは、白い外套のフードを、深くかぶって、しゃがみこんだ。
騎士団長だった。
灯りを持って、らせん階段を、一段ずつ、下りてくる。
「こんな夜明けに、眠りの塔で、何をしている」
「見回りです。陛下の監察官として」
「その陛下の監察官どのに、言っておく。保護の間の鍵を、返してもらおう」
騎士団長の声は、つめたかった。
「明日の夜は、俺が、保護の間の前に立つ。院長には、指一本、ふれさせん。あの娘が、どこから来ようとな」
「団長」
監察官様の声も、つめたかった。
「九年前の春。団長の外套を、誰に貸したんですか」
階段の上で、灯りが、止まった。
しばらく、誰も、何も言わなかった。
「……副団長。きみは、まだ、ここに来て、ひと月だ」
騎士団長は、それだけ言って、階段をのぼっていった。
扉が、しまった。
わたしは、しゃがんだまま、自分の肩を抱いた。
明日の夜。
十時。
あの人は、あの部屋の前に、立つと言った。
わたしが、おじさまを刺す、あの部屋の前に。
◇
塔を出ると、朝の光が、まぶしかった。
坂を下りながら、監察官様が言った。
「団長は、外套のことを聞いたとき、灯りを止めた」
「はい」
「あれが、知られたくないことを聞かれた男の止まり方なのか、貸した相手を思い出した男の止まり方なのか。俺には、まだ、わからない」
わたしにも、わからなかった。
でも、もう一つ、わからないことがあった。
この人は、なぜ、ここまでしてくれるのだろう。
父親をさがすためなら、わたしは、もう、用ずみのはずだった。
「監察官様」
「クロードでいい」
あの人は、前を向いたまま言った。
「……それは、まだ、無理です」
「そうか」
ほんの少しだけ、あの人の耳が、赤かった気がした。
四十二人の寝顔を、エレノアははじめて見ました。
騎士団長は、「明日の夜は、俺が立つ」と言います。
次回、ゆるしてくれ。
☆何個でもいいので、つけてください!




