第8話 空に届く
朝のやわらかい光を受けた塔を見上げる。
下見のときにも見上げたはずなのに、実際に登ると思うと、塔は前よりもずっと高く感じられた。練習で何度も登った住まいの屋根なんて、比べものにもならない。
「デルム様、絶対に攻略しましょう」
リーゼは分厚い手袋をはめて結びながら、僕にきりっとした声をかける。
「うん、二人で一緒に攻略しよう」
できるだけ力強く返事をした。リーゼの意気込みに、僕も応えなくてはいけない。
ギャレッドが僕とリーゼをつなぐ命綱をしっかりと結びながら、僕たちに念押しする。
「坊っちゃん、リーゼティア殿、どうかご無事で。
私はここに待機しております。
何度も言いますが、危なくなったらちゃんと引き返してきてください。
一番大事なのは、お二人の命です。失敗しても、また挑めば良いのです。
撤退するのも大事な判断であると心得ておいてくださいませ」
目標とは、もちろんタワースパイダーを倒すことだ。
しかし、一度きりの挑戦で成功させないといけないわけではない。
失敗して得た情報を生きて持ち帰り、次に活かすことも立派な前進だ。
「分かったよ、ギャレッド。引き際もちゃんと考える」
僕は25枚の規格板を固定した運搬具を背負い直し、深呼吸する。
「では、行ってきます」
「行ってまいります」
僕とリーゼはギャレッドに告げて、バルコニーの下へと歩き出した。
リーゼに最初の1枚を渡し、空の階段作りが始まった――。
「――22枚目。これで最後です」
4階までの道のりは、おどろくほど順調だった。
声を掛け合いながら、板を浮かべて登る。上のバルコニーに着いたら、ロープを引っ張って板を回収する。
訓練を繰り返してきた成果だ。どんどん高い場所に登り、下から見守るギャレッドもすっかり小さく見えるようになった。
「いいペースだね」
「はい。このまま登っていきましょう」
リーゼから返ってくる声の調子も明るかった。
これで半分。けれど、このまま何事もなく登れるとは思っていなかった。
ギャレッドはきっと、普通に登る分なら余裕があるほどでないといけないと思って、あれほど厳しく訓練させたはずなのだから。
「足場が風で動いています……!」
異変が出始めたのは、5階に登る途中のことだった。
高くなるにつれて風が強くなってきた。そして、足場が風で横へ流されるようになってきたのだ。
リーゼの『うかべる』は高さを固定するが、押される力はそのまま受ける。馬車の中で浮きながら背もたれに押されて移動していたときと同じだ。あのときはその性質を利用していたけれども、こうして僕たちの不利に働くこともあるのか。
「足元をよく見ないといけないね。ここからは慎重にいこう」
ときには足場をロープで押さえたり引き寄せたりしながら、より時間をかけて登ることになった。
ようやく5階に着いて、足場を回収する。そして見上げると、いよいよ塔の様子が変わってきた。
「クモの糸で壁が白いね……」
「触れたらクモたちに侵入が伝わるでしょうね。できるだけ避けたいところですが……」
しかし、6階のバルコニーは一面がクモの糸で覆われていた。
「これでは糸を踏むしかありません」
「きっとクモたちが寄ってくる。備えておこう」
小脇に固定したバッグの感触を確かめながら、僕たちは6階に降り立った。
クツの下で糸がぐにゃりとつぶれて、嫌な感触が伝わってくる。
その瞬間、塔の内部からガサガサとクモたちが駆け寄る音がし始めた。
「リーゼ、僕を浮かべて!」
「はい!」と返事をして、リーゼが僕の腕をつかむ。
浮かびながらバッグから鉄球を取り出して握りしめる。犬くらいの大きさの配下のクモが現れる。僕はすかさず頭に狙いを定めて、赤い光を見出した。『降撃』のスキルを発動させながら、すぐさま投げつける。
そうして4体を撃破して、最後の1体を狙おうとしたところで気づく。
――壁伝いに移動している。『降撃』のスキルが発動しない。
どうしようかと迷ったところで、横合いからリーゼの手が差し出された。
「私がやります」
厚手の手袋をはめた手で、なんとリーゼはクモの首元をわしづかみにした。
「えっ」と思わず声が出てしまう。
「『うかべる』!」と鋭く唱えると、クモは宙に浮かんで足をバタバタとさせている。
すかさずリーゼは払いのけるように、クモを塔の外へと押しやった。
「終わりです」
リーゼが『うかべる』を解除して、クモは真っ逆さまに地面へと落ちていった。
もはや地面は遠い。落ちた音さえしなかったけれど、この高さなら即死だろう。
「リーゼ、今のは……」
「この塔の攻略を考えていたときから温めていた戦法です。
地上で30センテ浮かせたところで魔物を倒すことはできませんが、ここならば違います。
塔の高さを利用できるのは、タワースパイダーの専売特許ではありませんわ」
「そのために手袋をしていたんだね……」
てっきり外壁やロープをつかむためだと思っていたが、こんな攻撃手段を秘めていたとは思わなかった。なんて合理的でえげつない必殺技なのだろう。しかし、リーゼはやっぱり芯が強くて頼もしいと思う。この塔にかけるリーゼの執念の深さを改めて思い知った。
「あ……、板を回収しなくちゃ」
感心している場合ではない。まだ6階なのだ。この先を登らないといけない。
「板のロープは私が踏んで押さえていました。またクモが来ないとも限りません。
私が警戒しているうちに、回収を進めてください」
本当にリーゼはしっかりしている。もはや守られる令嬢ではなく、立ち向かう護衛のような頼もしさだ。僕も気を引き締めないといけない。
「……板とロープに糸がからんでいる。回収しづらくなってきたね」
ナイフでからまった糸を切りながら、運搬具にセットしていく。
リーゼもまた、僕が投げた鉄球を回収して、手袋で糸と汚れを払っている。
「次もうまく回収できるといいですが、糸はどんどん密度が上がっていますね」
いよいよ敵の本拠地が近づいている実感があった。
さらに強まる風に苦戦しながら、7階のバルコニーに目をやると、もはや白いカーペットのように真っ白だった。
二人で顔を見合わせながら、思い切って糸の上へと着地する。
恐れていた通りに、塔の内部からクモがひしめく音がざわめいてくる。6階よりも明らかに数が多い。
すかさずリーゼに浮かべてもらい、鉄球で『降撃』を繰り返す。もはやリーゼと二人がかりでの撃退となっていた。地面のクモは僕が、壁伝いのクモはリーゼが、自然と役割分担をして、次々とクモをやっつけていく。それにしても数が多い。
地面のクモは残り2体だと一息ついたところで、バッグを探ってハッとした。手持ちの鉄球は、今握っている1個しかない。これを投げつけたら僕は無防備になってしまう。どうすればいい。
「リーゼ、僕を降ろして!」とその場で声をかけた。
「は、はい」とリーゼは戸惑いながらも、僕の『うかべる』を解除する。
そして、僕は大股を開いて鉄球を胸元に両手で構え、足元にクモが来たところで振り下ろした。スキルを使わずに、鉄球を全身の力でたたきつけた。さらに足を踏み出して、もう一体も同じように鉄球でつぶした。
やり終えたときには息切れしていた。鈍い感触が手に残っていて、軽くしびれている。
「鉄球をこんな風に使うことになるなんてね……」
「無事で良かったです。頂上まであと少しで、クモもいよいよ必死のようですね」
最後まで本当に気が抜けない。僕は板の回収のために、もう一度腕に力を込めた。
「うっ、ロープが引き上げられない」
異変があったのは、引き上げて半分を過ぎた辺りだった。
ロープと板に糸がからんでしまって、力を入れても引き上げることができない。
「やむを得ません。ここまでで切りましょう」
「それしかないか……」
ナイフでロープを切り落とし、からんでしまった規格板を切り離した。
「残ったのは16枚か。ずいぶん減ってしまったな」
屋上までの距離は4メトル半より少し高い。屋上の囲いの分、今までの階同士の間隔よりも開く。
「仕方ありませんね。30センテずつ浮かせて登りましょう。
一段は大きくなりますが、決して無理な歩幅ではありません」
「……それしかないか。行ってみよう」
広がった歩幅。激しくなる風。だけど、あと少しで頂上に届く。
気力を振り絞って、塔のさらに上を目指す。
リーゼも時間を使って慎重に登っている。
『うかべる』には3分間の時間制限がある。
それでもあせらずに、次の段への一歩を確実にものとする。
空の階段を作るのも、これで最後になる。回収する必要がない。
いや、すぐさまタワースパイダーとの対決が始まるかもしれない。回収なんてしていられないだろう。
身体に吹き出る汗を感じながら、そして頂上が見えてきた。
静かに呼吸をしながら、塔に目を向ける。
頂上が見渡せるようになると、まず目に入ったのは一面の白い床だ。一点のすき間もない真っ白。
そして、そこでは巨大な化け物グモが、塔の階下をじっと見下ろしている。
タワースパイダー。体高は1メトルくらい、イノシシくらいの大きさがありそうだ。
これまで挑んできた冒険者は、誰もあの階段を通り抜けられなかった。
階段を登った冒険者は糸を放たれて動けなくなり、そのまま捕食されてきた。
しかし、僕たちはその習性の裏をかき、塔の外から空中を登ってきた。
そして、あと少しで目的の《《高さ》》までたどり着く。
リーゼが目配せをしてきたので、僕は無言で頷きを返す。
最後の板をリーゼが浮かべる。僕は一度リーゼの段に乗って、すぐさま最後の段へと飛び移る。
十分な高さに達している。ここまで来れば、後は僕の出番だ。
僕は右手に鉄球を握りしめる。
クモの頭に狙いを定めれば、そこが《《赤く光って見えていた》》。
この高さなら、僕は《《外さない》》。
『こうげき』と『うかべる』。
世間から「ハズレスキル」とがっかりされた二つの力が噛み合った瞬間、必殺の一撃は僕のこの手に宿る、――そう意気込んだとき、タワースパイダーは激しく足を動かしだした。
こちらに向かってくるのではない。真っ先に塔の屋上にぐるりと巡らされた囲いに乗った。――これは習性なのか、少しでも高さを得られれば優位になると思っているのか。
囲いに達して、40センテほどタワースパイダーの足元が高くなった。狙いの光が消えてしまった。
どうすればいい。とまどっているうちに、囲い沿いにタワースパイダーがすごい速さで近づいてくる。
そして移動しながら、その口元にたまった糸を、こちらに向かって吐き出した。
――糸が僕に直撃する。そう思って、無意識に飛び引いた。
空中に投げ出された僕の身体。それが強い力で引っ張られる。
「大丈夫ですか!」
リーゼは命綱を引っ張ることで僕を引き寄せていた。
僕の立っていた足場は、糸に包まれてもう使えそうにない。
糸に巻き取られるか落ちるかのところを、リーゼが救い出してくれた。
「う、うん。でも、このままじゃ高さが足りない。
それに、また奴の糸が吐き出されそうだ!」
タワースパイダーはこちらをじっと見つめ、糸をねり込んでいる。
近づかずに糸を放ち、動きを封じてから僕たちを仕留めるつもりだろう。
それがあいつが冒険者たちを撃退してきたやり方だと、リーゼが言っていた。
「リーゼ、僕が跳んだ瞬間に、『うかべる』でさらに上に押し出してくれ!
高さを確保するには、それしかない!」
無茶を言っているのは分かっている。
タイミングが少しでも合わなければ失敗する。
しかし、手持ちの足場も、次に糸が放たれるまでの時間もないのだ。
危険を承知でやるしかない。
「……分かりました」
「いくぞ!」
僕が跳んだ瞬間、リーゼが背中に手を押し当てた。
「どうか飛んで! 存分に、打ち込んでください!」
身体が軽くなり、僕の身体がさらに上に浮かんだ。
今なら僕の視界から、タワースパイダーを見下ろせる。
そしてもう一度、赤い光がタワースパイダーの頭に灯る。
その瞬間に、クモの糸も大量に口元から吹き出された。
「今です! 口の中が弱点です!!」
「『降撃』だあああ!!!」
頭より口か! 僕は開かれた口を目掛けて、鉄球を投げ降ろした。
それと同時、一直線に放たれた糸が僕に向かってくる。
このまま僕は糸にからめとられてしまうか。
でも、僕のスキルも既に発動している。
鉄球はグンと加速して、タワースパイダーの口の中へと吸い込まれる。
糸に包まれながら、僕はその瞬間を確かに見た。
――ひときわ大きな音が、タワースパイダーの体内からひびいた。
タワースパイダーは声もなく後ろへと飛ばされ、ひっくり返った。
倒れ込んで、口から糸と泡を吹いて、体液が流れ出す。
もう動かない。
「デルム様!」
屋上に降り立ったリーゼに、命綱が引っ張られた。
僕はゆっくりと降りていき、屋上に背中倒しで横たえられる。
巻きつけられた糸がクッションとなっている。
リーゼが手袋で僕の糸をかきわけて、バッグからナイフを取り出す。
「今、糸を切ります」
「なんだか助けられているみたいで、格好がつかないな」
「いいえ。デルム様はちゃんと倒してくれました」
リーゼがからんだ糸を切っていって、僕は自由になった。
ようやく立ち上がって、タワースパイダーを見下ろした。
「良かった。ちゃんと倒せたんだね」
「はい、デルム様のおかげです」
「それは違うよ」
僕は大きく首を振って、リーゼに答えた。
「リーゼが『うかべる』から、僕が『降撃』できる。
僕たち二人でタワースパイダーを倒したんだ」
「……はい!」
晴れ渡った空の青の下。腹を見せて倒れ込むタワースパイダー。
強い風が、汗でぬれた肌を通り抜けて気持ちいい。
この風はもう、頂上を登ろうとする僕たちを邪魔するものではなかった。
勝利した僕たちを祝うような、心地よい風となって感じられていた。




