第3話(前)
竜列車の座席に座り、ひとまず私は一息ついた。
どうも、子供相手と言うのは緊張していけない。好きになれない依頼人と言うのはいくらでもいる――やたら横柄な奴や、こちらを亜人としてハナからナメてかかる奴。真意を隠してこちらをいいように利用してやろうと企む手合いも厄介だ。だが、そういう連中に対しては「警戒」で済む。相手にしないか、冗談の2,3個でも投げつけてやればいい。
しかし、真剣なまなざしの少年ときては……常に決断を迫られ、ぼやかすことも許されない。自分が普段、どれだけ踏ん切りや決断を避けているか悟らされる。それもまた、辛い。私は帽子をかぶり直しながら、何度目か分からないため息をついた。
ふと顔を上げると、私の顔を一人の子供がまじまじと見つめていた。服装から見て、渡りの冒険者の家族らしい。鼻をすすりあげながら、私の帽子の下を覗こうとしている。
私は親指で帽子をヒョイと上げ、歯を剥きだして満点の笑顔を見せた。
途端に子供は火がついたように泣き出し、どたどたと床を鳴らして向こうへ逃げて行った。革のロングコートを着た、母親らしい女にすがりついている。私はもう一度改めてため息をつき直し、座席にもたれかかった。
そろそろ、着くころか。私は車窓の外に目をやった。灰色の岩に覆われた殺風景な景観の中に、ぽつりぽつりと黒い影が見えだしている。冒険者たちが建てたバラックの集まりだ。第7大隧道の、『作りかけ』の雰囲気が顔を出し始める。もう少し進めば、本格的な街が見えてくるだろう。未だ手つかずの遺跡と、急ごしらえの冒険者街、そして遺跡からもたらされる莫大なカネと、急速な発展。すべてがごたまぜとなり、悪夢のようなきらびやかさを造り上げている。
竜列車を降りると、雑多な臭いと湿った空気が押し寄せてきた。空中市場から少し降りただけだと言うのに、第7の空気は異様なほどに淀んでいる。冒険者の集中による好景気と、それを支えるために急発展したライフラインや工業施設――そういった歪みが、空気の中には顕著に表れている。私は少しの間、空気の臭いを嗅いでから、歩き出した。
最後に第7を訪れてから何か月か経つが、その間にも新しい建物が増えている。見覚えのない姿へと変貌した通りに戸惑いながら、私は歩を進めた。あたりを行き交うのは、ほとんどが冒険者だ。さすがに駅前から鎧を着込んでいるようなとっぽい奴はいないが、油断のない目つきや、顔と手に刻まれた無数の傷、血の臭いが沁み込んだ荷物からハッキリと分かる。大抵は純粋人類だが、中には亜人の冒険者も混じっている。深層から出てきて、暮らしの手段に冒険者職を選ぶ亜人も少なくないのだ。自らの先祖の所有物を、よそものに売り渡す行為だと言うのに――もっとも向こうだって、深層を離れて探偵なんぞやっている私にどうこう言われたくないだろうが。
少々迷いながらも、私は目的地にたどり着いた。商工ギルドの事務局だ。入る前に、自分の身なりを改めて見直す。渋いダークブラウンのコートに、スミレ色のシャツを合わせている。襟元はやや着崩した感じに。少々伊達男すぎるかもしれないが、まあ、いいだろう。私はドアを開けた。
「はい、いらっしゃい……何の用だね。冒険者ギルドの事務局ならはす向かいだよ」
カウンターに座る男は、読んでいた本から目も上げずに言った。
「よく見なよ。私が、冒険者に見えるかね? 」
私が言うと、男はやっとのことで眠たげな瞳を上げ、低く唸った。
「なるほどね。冒険者じゃないようだな。趣味悪い服着たトカゲに見えらァ」
「……美的センスに関する議論をしに来たわけでもないぞ、私は」
私は苦笑いしながら、シャツの襟を正した。男は肩をすくめる。
「悪いね、どうにもヒマなもんで……だって、考えてもみてくれよ。ちょっと歩いたらお宝がゴロゴロしてるって場所でさ、誰が好きこのんで工場ばたらきなんてするかよ? 第7に来るやつはみんな冒険者ギルドの方に取られちまって、こっちは素通り、閑古鳥だ」
「そうだとしたら、あんたも随分な酔狂ものだな。財宝が拾ってもらうのを待ってるような場所だってのに、わざわざ商工ギルドの事務員やってるなんて……」
男はまた肩をすくめ、本をカウンターの上に置いた。表紙を見ると、魔導写真のヌード本だった。
「そりゃ、お前、誰かがこういうことやらにゃあよ。人が増えたってことは、食うもんも着るもんも余計に要るってことだ。誰かしらがそいつを作ってやらなきゃあ……それに俺、遺跡は嫌いなんだ。湿っぽくてな。
さて、俺の方は別にヒマなんだが、あんたもそうなのか? それとも、そろそろ本題に入ってくれるのか? 」
「ああ、もちろんだ」
私は頷き、カウンターに肘を突いて、長話をする構えを取った。
「私は上の階層にある工場で働いてたんだが、ちょいと訳あって仕事を止める羽目になってね。あんたも言った通り、この第7じゃあ最近働き手を欲しがってるって言うし、ひとつこっちで心機一転、蒔き直しをと思ってるんだが」
男は胡散臭げな顔で私の顔と帽子をジロジロ見た。
「工場労働者ってか? そうは見えねえがな……チンピラヤクザかごろつきか、それとも、趣味悪い服着たトカゲに見えるぜ」
「困るんだよなァ、男ぶりがいいってのも。かえって不真面目に見えるらしくてさ。こちとら真面目な清純派で通ってるんだが」
口の片端を吊り上げて笑って見せたが、相手は乗ってこなかった。
「とにかく、前の職場からの紹介状かなんかないのか? ギルドの証明書でもいいが」
私は肩をすくめた。あるわけがない。そもそもの話が、口から出まかせなのだから。ここへ来たのは、単に情報収集のためだ。バル=パルの父親は工場労働者だったという。だったら、その死は工場関係者の間で多少は話題になっているはずだ。そちらの方へ、話を持っていくつもりだった。
「さっきも言った通り、前の勤め先とはちょいと訳ありでさ。そういうもんを持ってこられるような辞め方をしなかったってわけよ。どうなんだ、それでも、雇ってもらえるとこがどっかにないか? 」
「どうかな、工場って言っても、色々あるからよ……前の工場じゃ、何をやってたんだ? 」
来た。いい話題を振ってくれたものだ。
「織物職工だったんだけどな。どうだ? 絨毯なんかを作る工場で、欠員が出たとか、そういう話はないか? 」
私の言葉に、男はちょっと眉をしかめ、背後の資料棚を物色し始めた。
「織物工場なあ……シャツ作ってる工場で、機械に巻き込まれて、3人死んだって話が……ああ、ありゃあもう2年も前の話か。それじゃ無理だなあ。
と、こいつはどうだ? 深層風絨毯の工場だ。『そとびと』用のお高い品を作ってる工場だよ。実入りも悪くねえぞ。職工が一人死んだんだと。それもついこの間、死にたてだ。まだ湯気の立ってるようなアツアツの物件だぜ」
「死人か……どうも、死人が多いな。大丈夫なのか、そこ? 」
私はわざと大袈裟に顔をしかめて不安そうな表情を作って見せた。受付の男は「注文の多い奴だ」という顔をしながらも、資料をめくってくれた。
「別に、こっちのは事故とかじゃあねえな。人殺しだよ。鳥人の職工が一人、座り込みの連中が起こしたイザコザに巻き込まれたらしくてな」
「座り込み? 」
今度の驚きは、演技ではなかった。怪訝な顔をする私に、男は親指で壁に貼られた掲示板を示した。ギルド関係者が自由に使ってよい連絡掲示板だ。求人広告やら取引の誘いやらと並んで、派手な色をしたポスターが貼られている。毒々しい赤地に、稚拙なタッチの白い手。長い指が、銀の二重円を握りつぶしている。下には太い字で「宗教侵略に抵抗を」と書かれていた。さらに下の隅っこには「ジュナルガクク」という小さな飾り文字。公用語と古代『うちびと』文字の両方で書かれている。団体名だろうか。
「フーム」
私は思わず唸った。銀の二重円は聖ジェマイアス教会――純粋人類が信仰する、外界の神のシンボルだ。それを握りつぶすというのは、教会への強烈な反抗を示すメッセージに他ならない。
「なかなか、激しいポスターだな……で、こいつがどうしたんだ? 」
「お前、知らねえのか? ……ああ、そうか。第7には来たばっかりだったな。
ひと月くらい前だったか、6番街の奥の、何とかいう古代神殿な。あのあたりを、聖ジェマイアス教会が買い取ったんだ。なんでも、教会をおっ建てるらしい。この第7大隧道で初めての教会になるってんで、みんな大騒ぎさ」
「教会を? 神殿の敷地に? 」
目を丸くする私に、訳知り顔で男は頷いて見せる。
「思い切ったことをするよなあ。普通、やらねえ。ジェマイアス教会は『うちびと』の魔神を毛嫌いしてっからよ、神殿なんて普段は鼻もひっかけねえところさ。だが、初めて深層に支店を出すからってんで、教会のおエラいさんが張り切っちまったらしいんだな。せっかく建てるんなら、異教徒にうんとニラミを効かせられる立地がいいってんで、決めちまったわけだ。
当然、『うちびと』は黙っちゃいねえよ。建設予定地が囲い込まれると、そこに連日の座り込みで抗議活動さ。中には、純粋人類の活動家も混じってるらしいがね」
私は独り頷いた。パルが言っていた「ケンカする人たち」というのは、このことだったのか。遺跡の周辺が柵で囲われていた理由も分かった。
「だが、それと人殺しと、何か関係があるのか? 」
私が聞くと、男はフンと鼻を鳴らし、資料をカウンターに投げ出して座り直した。
「知ったことかよ。俺に分かるのは、ただ、鳥人の職工が、そのあたりで殺されたってだけさ。それ以上のことには興味もねえよ。俺は魔神崇拝でもなけりゃ、ジェマイアスの宣教師でもねえし。
俺が知りたいのは、仕事のことだけさ――どうなんだよ? 結局、この仕事をやるのか、やらないのか? こんだけいい条件の口は、いくら第7の景気がいいとは言えそうそうないと思うけどな」
男は、ヌード本を開きながら言った。もう面倒くさくなって、無理矢理にでも圧しつけてしまうつもりなのだろう。ものぐさな奴だ。だが、かえって有難いとも言える。私はしばらく考えるふりをした挙句、答えた。
「よし、様子を見てくることにするかな。その工場の場所を教えてくれ。それから、ギルドの証明書も一筆……書いてくれるんだろ? 」
「本当は、身元をしっかり確認できなきゃ発行しちゃいけねえって言われてるんだが……なあに、構う事ァねえや。どうせヒマなんだ。お前のその、突拍子もないファッションに免じて、紹介状を書いてやるとすっか」
男は言いながら、カウンターの奥からペンを取り出し、紙の上に走らせ始めた。ミミズがのたくったような字が、白紙の上につづられていく。最後に、四角く大きな判をつき、私の手に握らせた。
「こいつがありゃ、まあ面接くらいはしてもらえるだろう。それと、こっちは工場の住所だ。道が分からなくなったら、、誰か適当な奴を捕まえて聞いてみりゃいい」
「ありがとう、恩に着るよ」
私は本心から言い、帽子を取って頭を下げた。男はヌード本に目を落としながら、気のない様子で手を振った。
「ちっとでも感謝してるなら、その気持ちを新しい雇い主へ向けるこったな。最近じゃ、居つかねえ労働者が増えて迷惑してんだ。どいつもこいつも、冒険者どもの浮かれ気分に当てられちまって、フラフラし始めるんだ。お前も、せっかく第7まで来たんだからよ、今度は腰を落ち着けて真面目に働いてみろや」
「……まあ、努力するよ」
思わぬところで心をえぐられ、たじろぎながらも、私は事務局を出た。帽子を頭に乗せ、教えてもらった住所へ向かう。
フラフラするな、真面目に働いてみろ、か……いい言葉だ。まったく、そう出来るならそうしてみたい気もする。だが、今の私には、それよりも大事な仕事があるのだ。




