第8話(1)
「これは……どうしたことだ? 」
ジャムフが眉間に皺を寄せて呟く。その声を、山鳴りのような大音響がかき消した。大岩山羊タムゥの咆哮だ。声に合わせて、入る時よりも何倍も巨大になった岩の体が揺れ、ひびが入り始める。稲妻状に入った割れ目から、光がほとばしっている。
「出来るだけ、身を伏せてろ! とばっちりを食うぞ! 」
『禿げ』が口の横に手を添え、声を張り上げる。私たちは訳の分からぬままに体を伏せ、地面に這いつくばった。と同時にタムゥがもうひと吼えし、体をぐらりと震わせた。
瞬間、白い光が弾け、轟音と共にタムゥの体を覆っていた岩盤が砕け飛んだ。風を唸らせ、岩の塊が「瞳」の群れ目がけて飛ぶ。ジャムフは軽く杖をひるがえし、「瞳」を密集させて防御する。巨大な質量同士が衝突する大音響が響き、私は頭をぶん殴られたような衝撃を受けて地面に顔を伏せた。魔力が弾け、粉々になった岩の破片と、浮遊能力を失った何枚かの「瞳」が床に転がる。
「ほら、動けるか? 今のうちに、こっちへ来るんだ」
倒れた私の腕を、『禿げ』が掴む。見ると、ティルザとマフィはジュジュを助け起こしている。
「何が起こったんだ? そもそも、一体どうやってここへ……」
「ガウムとタムゥに感謝するんだな。あいつら、大した凄腕だぜ」
『禿げ』はニヤリと笑い、肩でタムゥの姿を示した。体にまとった大岩は剥がれ去り、元の大きさにまで戻っている。
「崩れた瓦礫を、タムゥが身体に吸い付けて片づけたんだ。吸い切れない分は、デカくなった体で砕いたり、ガウムが腕っぷしにものを言わせて片づけたり……奴らだけで大隧道のひとつも掘れそうな勢いだったぜ。まったく、聞きしに勝る剛腕コンビだよ」
私が首を伸ばして彼らの方を見ると、ガウムは誇らしげに拳を上げ、牙を剥きだして笑った。タムゥも満足そうな唸り声を上げている。私は思わず吹き出し、傷口の痛みに顔をしかめた。炎の熱によって傷口が焼かれたため、脚からの出血は止まっていたが、かなり痛むことに変わりはない。
「……やはり、『そとびと』か」
一瞬にして空気が凍り付いたように固まり、次の瞬間、皮膚がひりつくほどの熱が空気の波となって伝わってきた。ジャムフが、膨大な魔力を全身から噴き上げつつこちらを見据えていた。一つだけの眼は超自然的な光を放ち、まとう魔力は巨大な炎の山のようだ。
「おいおい……何でまた、あいつがいるんだよ!? 」
ティルザが声を上げる。彼は以前の仕事で、ジャムフの恐るべき魔術を目の当たりにしているのだ(『子らを悼む歌』参照)。『禿げ』もことここに至って流石に相手のヤバさに気づき、顔色を変えている。
「何者だ、あいつは? あんなとんでもない魔力、『深み』でだって見たことねえぞ」
「片目のジャムフ……と言ったら、あんた以外は知ってるよ。だろ、マフィ? 」
私が答えると、マフィも眼を見開いた。
「あの、例の宗教狂いか! 畜生め、こちとらまだ目ぼしい魔導遺産も見つけてねえってのにさぁ! 」
「言ってる場合か! この場は逃げるしかねえ。こちにゃケガ人もいることだしな」
ティルザは、未だ肩を支えられてやっと立っているジュジュを見ながら吐き捨てるように言った。こういう所での引き際は、よく弁えた男だ。
「逃げられると、思うか。『そとびと』よ」
ジャムフの静かな声が、部屋全体を揺るがした。途端に無数の「瞳」が回転を再開し、白い炎の丸鋸となって襲い掛かってくる。タムゥの岩石飛ばしでかなりの数が落とされたが、何しろ96枚もあるのだ。我々をズタズタに切り裂いて炙りジャーキーにしてもおつりがくるというものだ。
「君たちに恨みはないが……崇敬の間のことをほうぼうで喋られると、我々の目的にはあまり都合がよくないのでな。気の毒だが、ここから出ずにいてくれるとありがたい」
あくまで冷徹に、真摯な口調でジャムフは言い、「瞳」を走らせた。舌打ちと共にティルザが跳び出し、ガウムの元へ走る。
「ガウム! 魔導泉を出せ! 最大出力でだ! 」
「アイアイ、了解、緊急事態! 」
ガウムが大声で答え、魔導泉を担ぎ上げて起動させる。たちまち、注ぎ口から噴水のように水がほとばしる。魔術によって生成された、魔力を秘め煌めく水だ。ティルザは片刃剣を抜き放ち、刃でその水を受けると。そのままの勢いで「瞳」の群れに斬りかかった。
濡れた刃が、「瞳」の放つ炎の刃と交錯し、魔力のはじける火花が上がる。水に秘められた魔力が炎の刃と拮抗し、一瞬だけ打ち消す。その一瞬でティルザは剣を振りぬいた。ずるり、と低い音がして、「瞳」はまっぷたつに斬り割られ床に転がった。たちまち、魔力の赤い光が消える。
「もう一丁だ、ガウム! どんどん行くぞ! 」
「イェー、斬って、飛ばして、ぶち払え! 」
ガウムが魔導泉の水をシャンパンのように飛ばす。ティルザは跳び、空中でその水を刃に受けた後、宙で身をひるがえし、背後から迫る「瞳」を両断する。
「適当に撫で斬っていく! 囲んでる連中が片付いたら、その隙に脱出を……」
「させると、思うのかね。『そとびと』よ」
こちらを向いて叫んだティルザの目の前に、ジャムフが出現した。「出現した」としか言いようがない。「瞳」の隙間を抜けて、部屋の向こう側から一瞬で移動してきたのだ。あたりにかすかな風が漂った――風の魔術で突風を起こし、乗ってきたのだ。
ティルザは絶望的な表情で振り返り、剣を横薙ぎに払おうとした。が、ジャムフの杖の方が早い。魔力が凝集し、重たい光を撒き散らす。
「いい加減にしろよなァ! 好き勝手やってくれちゃってさあ! 」
叫び声と共に、弾丸のごとく飛ぶ栗色の影――マフィだ。ロングコートをはためかせ、内側から筒状のものを取り出す。例の携帯型魔力砲だ。マフィは空中でジャムフに狙いを定め、端から伸びた糸を引っぱった。炸裂音がして、魔力の塊がジャムフ目がけて飛ぶ。とっさにジャムフはティルザの方に向けていた杖を魔力弾の方へかざし、弾ける炎を防いだ。杖の魔力と弾丸の魔力が弾けて、一瞬目もくらむような閃光をほとばしらせる。
「そら、頂いたーッ! 」
着地と同時に、マフィはコートの下から新たな武器を取り出し、ジャムフへ向かって投げつけた。銀色の細い鎖だ。先端に分銅がついている。魔導合金製らしく、魔力の小爆発をものともせずまっすぐに進み、ジャムフに絡みついた。
「ナメんじゃねえぞ、こら! そのまんまジッとしてろ! 」
怒鳴りながらマフィは、コートの裏から革紐で掛けたショットガンを取り出した。銃身を短く切り詰めた、彼女の得意武器だ。低く腰を落として、引き金を引こうとした瞬間――ジャムフの片目が光った。
「君は、我らが同胞のようだが……あまり優しさを期待しすぎないことだな」
呟くような声と共に、ジャムフは体を揺すった。ツギハギのコートが揺れ、不自然な形に膨らむ。袖がめくれ上がり、腕が露わになる――金属光沢を放つ黒い棘を、ところどころから突き立たせた、異形の腕が。
「こいつァ……!? 」
息を呑むマフィの前で、黒い棘が光を放ち、魔力の風で鎖ごとマフィを吹き飛ばした。マフィはきりもみながら空中高く吹っ飛んだ。が、天井近くで何とか体勢を立て直し、空中で「瞳」を蹴って跳び、部屋の反対側に着地した。
「畜生……何だよありゃあ! バケモノか! 」
床に血の混じった唾を吐きながら、マフィは毒づいた。
「魔導合金で鋳造した契約印を、体の中に埋め込んでいるんだ。あれがジャムフの複合魔力の源だ……本気を出す気だぞ! 」
私は叫んだ。その言葉を裏書きするかのごとく、ジャムフの周囲の空気が音を立てて歪み、魔力の光が凝集してジャムフを取り囲んでゆく。
「残念だ、まったく残念な結果だが……ここを衆目に晒すわけにはいかん。まだ、今はその時ではないのだ。君たちが諦めてくれないのなら、ここに誰も来られないようにしてやるまでだ。悪く思わないでくれたまえ」
静かな口調とは裏腹に、恐るべき言葉だった。一言一言を口から吐き出すたびに、魔力の炎が周囲に飛び火して、壁と言わず床と言わず沁みとおってゆく。岩壁に吸い込まれた魔力は波紋のように広がってゆき、部屋全体を揺さぶり始めた。
「おいおいおい……コイツ、本気か? 本気で神殿そのものをブッ壊そうと……」
『禿げ』が呻く。その額に、汗のしずくが一滴伝った。
「ああいうフザけたことを言ってる時に限って、クソ忌々しいくらいに本気なんだ、あいつは……とにかく、逃げろ! 」
私は叫び、足を引きずりながら踵を返した。私を支える『禿げ』も、つられて体をひるがえしかけ――不意に脚を上げ、後ろに向かって蹴りを繰り出した。
蹴りの瞬間、ブーツから風の魔力が吹き出し、風の鎌となって後ろを薙ぎ払う。迫って来ていた「瞳」の一枚が、あおりを食らってクルクルとフッ飛んでいった。飛ばされた一枚の後ろから、さらに無数の「瞳」がこちらへと迫ってくる。
「逃げるヒマも与えてもらえないってわけかい……こりゃあ、ちょいとヤバいかもな。颯爽と助けに入ったりして、ヤブヘビだったか。いや、ヤブにトカゲかな? 」
この非常事態だと言うのに、『禿げ』はそんなことを呟いてニヤりと笑った。相変わらず、汗の玉を顔じゅうに浮かべながら。私もつられて引きつったような笑みを浮かべる。汗はかけないけれど。
「何とかして、逃げ延びる手立てを考えなきゃあな……」




