第7話(2)
次の瞬間、私がジャムフの言葉をまだ咀嚼しきれていないうちに――一陣の風が横を走り抜けた。
ジュジュだ。魔導杖を振り上げ、魔力の帯を引きながら、鳥人の脚力でジュジュは駆けた。目指す相手は、つぎはぎだらけのローブをまとった異貌の魔導士、ジャムフ。
「おお……そう、君もいたのだったな、同胞ジュジュ=ザズー」
泰然と笑いながら、ジャムフは右手の杖をわずかにそよがせた。と、たちまち上空から「ゲメト=ジアマーンの瞳」が一枚降りてきて、ジャムフの姿を覆い隠す。ジュジュは構わず、魔導杖を振りぬいた。青い光の鞭が軽い音を立てて滑り、円盤に叩きつけられる。と、青い光は一瞬にして弾け、風圧で「瞳」を上空へと弾き飛ばした。魔力のスパークに照らされて、ジャムフの姿が浮かび上がる。と、ジュジュは魔導杖を降ろし、顔を上げてジャムフをぐっと睨みつけた。
ジャムフの輪郭が、風に吹かれたようにゆらりと揺れた。
「これは……」
ジャムフはほんの少しだけ片目を見開きつつ、自分の右肩を見つめた。コートの一部分に、抉られたような傷穴が開いている。赤い鮮血が、のろのろと這い出して腕全体を染めていく。ジュジュの瞳からほとばしり出た何かが、ジャムフの肩を焼き、切り裂いたのだ。
「そうか、『邪視』か……導師ジズ=ジザズを思い出すな」
邪視――炎の魔術の一種だ。その実態は、頭蓋骨に直接刻み込んだ契約印によって、瞳から強い炎の魔力を放つというものである。視線と同じ速さで襲いくる邪視の刃は、かわしようのない一撃必殺の剣だ。ジュジュの師、矮鬼人の魔導士ジズ=ジザズも得意としていた。彼女も使えるとは知らなかったが、恐らく切り札として隠し持っていたのだろう。
ジャムフは落ち着いた様子で、抉られた肩を軽くそびやかした。肩口から水色の炎がほとばしり、血が逆流して傷穴を塞ぐ。水の魔術で、体外に出た血を操り固めたのだ。
ジュジュはそのまま、床を蹴ってジャムフの横へと回り込んだ。「瞳」が回転しながら戻ってくるが、邪視の射線を遮るには遅すぎる。空気がひび割れ、再び邪視が空間を裂く。今度はジャムフの心臓を目がけて――
「師の教えを、よく守っているのだな、同胞ジュジュ……素晴らしいことだ。先人の教えに、敬意を払うのはな」
ジャムフは笑いながら突っ立ったままだった。邪視は確かに放たれ、奴の胸元へ飛んだというのに……目を凝らし、私はジャムフのまとったコートの色合いが奇妙にブレているのに気づいた。色とりどりの布きれを縫い合わせて作ったコートが、それ自体意志を持った生き物のようにうごめいている。いや、動いているのはコートそのものではない。周りの空気だ。ジャムフの足元から、陽炎のごとく空気が立ちのぼり、光を捻じ曲げているのだ。恐らくは風の魔術だ――邪視は、ゆらめく空気の層によって捻じ曲げられ、霧消した。
「この……ならば、もう一度道を作るまで! 」
ジュジュの右手が上がる。炸裂の魔術で空気の層をぶち破るつもりだ。しかし、その手は中空で止まった。ジュジュの美しい顔が、驚愕と恐怖に歪む。
「まあ、そう気張るな、ジュジュ=ザズー。我らは同胞ではないか」
優しく笑いながら、ジャムフは杖を振り上げた。その動きに従い、ジュジュの手もさらに高く上がっていく。背筋が伸びあがり、ついに両足が浮く――私は息を呑んだ。ジャムフの杖からジュジュの手に向かって、うっすらと輝く靄の帯が出来ている。まるで雲で出来た巨大な腕だ。風魔術によって高密度に圧縮した空気の塊を伸ばし、腕のようにしてジュジュの手を「掴んだ」のだ。ジュジュはジタバタともがき、魔力の腕を振り払おうとした。が、無駄な努力だった。ジャムフは聞き分けのない娘に言い聞かせるような口調で言う。
「気張るなと言っているだろう、聞き分けたまえ、ジュジュ=ザズー。
しかし、君が来るとはな……謡長おん自らいらっしゃるとは思っていなかったが、そうか。『そとびと』の陰に隠れて、守ってもらいながら来たというところか? 」
ジュジュは片腕を吊り上げられたまま、憤怒と屈辱に歪んだ顔で叫び返した。
「貴様のやり口を真似たまでだ、ジャムフ……『そとびと』を欲得ずくでかたらって、神聖なる領域へと引き込んだのは、貴様ではないか」
ジュジュの叫びにも、ジャムフは愉快そうに忍び笑いを漏らすだけだった。
「違いない……いかな片目のジャムフとは言え、ゲメト=ジアマーンと語らうにはいささか力が要るでな。魔力を温存しておくためだ。彼らは実にかいがいしく片目のジャムフを守り、盾となってくれた……まったく、感謝に堪えぬ。
おっと、君のことも忘れてはおらぬよ、同胞ベク=ベキム」
ジャムフは顔を動かしもせず、私の方へ杖の先を巡らせた。天井近くに漂う「瞳」が一斉にこちらを向く。ジュジュがジャムフの気を惹いている間に、私はそっとジャムフの後ろに回り込み、あわよくば「撃ち出す」魔術で背後から襲ってやろうと狙っていた。しかし、無駄だったようだ。奴の言葉通り、「ゲメト=ジアマーンの瞳」の監視からは逃れられないというわけか。
「君の存在を感じ取った時は、実に嬉しかった……君が、『うちびと』の歴史について知ろうとする意志を持ち続けていると分かったからな。それはメイユレグの考え方とも合致する。我らは、我ら自身のルーツを取り戻さねばならぬ」
「詮索好きはモテないんだぜ。実体験から言わせてもらうがね」
発散される魔力に鱗がピリピリ震える感覚を味わいつつ、私はジャムフと睨みあった。本気でやりあったら、勝てる相手ではない。今上空にある「瞳」を全てこちらに向けて撃ち出されたら、私は一瞬にして焼けこげたぼろきれと化すだろう。今は話を続けて時間を稼ぎ、何とか策を考え出すしかない。
「大体私には、あんたらとは絶対に相容れない一点がある……パーティを皆殺しにしただろう。あの中には私の知り合いもいた。アーキソン・ボリソフ……決して善人じゃないが、あんたと同じように「知ろう」とする男だった。その思いに突き動かされて、子供のように生きた男だった。それを……」
喋っているうちに私の声は上ずり、大きくなっていった。いつしか私は本当に腹を立てていた。アーキソンと別れた日、去り際に「深層で生きる」と告げて笑った顔――異常な興奮と恐怖の中、思い出がやけに懐かしく私の脳裏に浮かんだ。
「アーキソンか……そう、確かに彼には、悪いことをしたな」
ジャムフの笑みがほんの少し揺れ、やや切なげになった。
「彼は優れた男だ。『そとびと』の身でありながら、我々の真実にあそこまで迫るとはな。私も認識を改めさせられたよ。この遺跡の踏査を決めたのも、彼の論文があってこそだ。
その事実に敬意を表し、彼には我らが神について伝えてやった。神殿の内奥部で見つかったものと、その意味もだ。彼が我らの同胞となってくれれば、それを上回る喜びはなかった――だが彼は、哀しくも愚かしい決断を下した。我々の手から逃げ、十把一絡げの『そとびと』どもと同じように無残な死を遂げたのだ」
痛ましげにジャムフは首を振った。
「神殿の内奥部で、見つかった、だと……貴様、やはりイユル=ゲマフの神殿を! 」
ジュジュが悲鳴に近い叫び声を上げ、空中で虚しくのたうち回る。ジャムフは呆れたように笑い、杖を手首でひるがえした。魔力の腕が宙を舞い、ジュジュはもんどりうって地面に投げ出された。
「いい子にして、よく聞き給え、ジュジュ=ザズー。イユル=ゲマフの神殿は、ここにはない。だが、その言葉の意味を示すものならあった。ゲメト=ジアマーンがそれを教えてくれたのだ。
論より証拠、見た方が早かろう」
静かな言葉と共に、ジャムフは杖を高々と掲げた。虹色の光が広がり、壁へと吸い込まれてゆく。色とりどりの光が狂ったように明滅し、光の脈が壁じゅうをうねる。私たちが圧倒されて見守るうち、光の線は集まり、収束して、何かの形を描きだしはじめた。これは……魔力の光で描かれた、壁画だ。
「さて、仕上げだ」
ジャムフが魔導杖を下ろすと、空中の「瞳」が壁に戻り、壁画の一部分として収まる。96の眼を備え、壁画は完成した――巨大な頭に無数の眼、奇怪な形に折り曲げられた長い脚。極彩色の光で描き出されたのは、ゲメト=ジアマーンの絵姿であった。
「面白かろう? 炎の魔力だけでは、この仕組みは発動しない……あらゆる魔力を扱える者が入って初めて、この驚嘆すべき芸術品が姿を現すのだ」
私は言葉を失い、その場に立ち尽くしたままジャムフの言葉を聞くしかなかった――何を言っている? 炎の魔神の神殿に、4種の魔力を通さなければ作動しない仕掛けがあったというのか? 一体誰が、何のために……私の疑問を読み取ったかのごとく、ジャムフは片手を上げ、愉快そうに話した。
「この神殿は、我らを待っていたのだ。かつて真実を知っていた頃の『うちびと』が、それを忘れぬため、ここに刻んだ。世界の真実を。何者が我らの主であるのかを。
この部屋は……そうだな、『崇敬の間』とでも呼ぼうか。よく見給え、ゲメト=ジアマーンの図を」
部屋いっぱいに描かれたゲメト=ジアマーンは、96の眼を持つ頭を下げ、脚を曲げている。ひれ伏しているのだ。瞳は全て下の方を向いておいる。そこらじゅうに描かれた眼を見比べるうち、私はある法則性に気付いた。下を向いているだけではない。瞳が、あるひとつの方角を向いている。私たちが入ってきた方向――出口の方だ。
「分かるかね、ゲメト=ジアマーンがどこを向いているか。遥か下、神殿の外――つまりは大竪穴の底。そちらに向かってゲメト=ジアマーンは平伏しているのだよ」
ジャムフは両腕を広げ、現れた光り輝く絵図面をぐるりと示す。突如浮かび上がった壮大な『うちびと』芸術に息を呑み、戸惑いながらも、私は挑みかかるように言った。
「こんな場所まで引っ張ってきた割には、なんてことのない絵解きだな……神の絵が外に向かって平伏してるってことの、どこが隠された真実なんだ? 」
「隠された? 」
ジャムフはさもおかしそうにクツクツと笑った。
「これはまた、異なことを言う……この真実を、どのようにして隠すというのか? 誰の眼にも明白に映るものを、どうやって隠せばいい? このように巨大な「真実」を隠しておく場所が、どこにあるというのだ?
そう、真実は隠されてなどいなかった……いつだって我らと共にあったのだ。我らは今こそ、感動と共に思い出さねばならぬ。イユル=ゲマフの神殿とは何か。イユル=ゲマフとは何なのかを。
それは、大竪穴そのものだ。この巨大なる底なし穴こそが、イユル=ゲマフの威光を称える神殿なのだ。他の神殿はすべて、かの大神の副殿にすぎぬ。そして底なしの奈落の底にこそ、我らが神、イユル=ゲマフは憩う……」
ジャムフは横に裂けたような口を大きく開け、声を立てて笑った。




