第1話(前)
ベク=ベキム殿
その後、元気にしているだろうか?
私は、私などにはもったいないくらいに恙なくやっている。深層に潜る冒険者のパーティに入って、鑑定士として働く傍ら、趣味として大竪穴の歴史研究も行っている。アカデミーの頃よりも気楽で充実した毎日だ――こう言ったら、君は怒るだろうか。
とは言え、深層で長いこと暮らしていると心細さもある……次の踏査からは、生きて帰ってこられるだろうか。この老体はあとどれくらい持つのか。不安に駆られると、昔のことばかりを思い出す。君と歌って騒いだ日のこと。あの歌をまだ覚えていたら、君一人でも歌ってくれ。私も、遠く離れた第8大隧道で、あの日の歌を口ずさもう。
最後になるが、近いうちに会いに行こうと思う。別れる時に渡したあの酒を探しておいてくれ。珍しいラベルだから、すぐに分かるだろう。
こう名乗ることを許してもらえるならば 君の友
アーキソン・ボリソフ
* * *
私は手紙から目を上げ、「それ」を見た。
金属の台に横たえられた彼――アーキソン・ボリソフは、真一文字に口を閉じ、目を閉じて、何か考えごとでもしているかのような顔をしていた。顔色は、相変わらず見事な銀髪と同じくらいに白い。ひと目で分かる――既に、命がその体から離れていると。
「それ、見せてもらってもいいか? 」
間延びした声に振り返ると、頭頂部の禿げた小男がこちらに手を伸ばしていた。冒険者ギルドの構成員だ。私をここまで連れて来たのは、この男だ。私は黙って彼に手紙を差し出した。
男が手紙を読んでいる間に、周りを見回す。石造りのひんやりとした殺風景な部屋で、中央に腰の高さほどある金属製の台が置いてあるほかは、壁際にいくつか薬品棚が見えるくらいだ。ここは冒険者ギルドが所有する施設のひとつ――冒険者向け病院の、霊安室だ。
「よく分からねえな……あんた、親しかったのか、こいつと」
手紙を返しながら聞く男に、私は肩をすくめて答えた。
「いいや、そこまでの仲じゃない。一度だけ、仕事を引き受けたことはあるけど、それっきりだ。会いに来るなんてことは、ちょっと考えられない。ここに書いてある、歌を歌っただの何だのってのも、嘘っぱちだ。そんな事実はない――私が忘れてなければ、だが」
私はもう一度アーキソン教授の顔を見下ろした。鋭く人を射すくめるような瞳は、瞼に覆い隠されて見えない。細かな皺に覆われた厳めしい顔は、死んだ後の方がかえって安らかに若々しく見えた。
アーキソン教授は、第3大隧道にある王立アカデミーの考古学教授だった。私は彼の依頼で、ある写本の真贋を調べた(『かくて幕は降り……』参照)。結果的に、それは教授本人が捏造したものだと判明し、彼は職を追われた。それは彼自身が望んだことでもあった――私を雇ったのも最初から、自分を断罪させるためだったのだ。去り際に彼は、今後は考古学の知識を活かして深層で暮らすと言っていた。それが今、こんな所で眠っている。
「もう1度、状況を説明してくれないか? えーと……」
口ごもる私に、男はにっと歯を剥きだしながら、親指で頭を示した。
「前にも言ったかも知れねえが、俺のことならみんな『禿げ』って呼んでるよ。誰も名前じゃ呼ばない。汚れ仕事担当でギルドに飼われてる犬ってのは、そういうもんさ。もう随分長いことこの名で呼ばれてるし、それで構わねえんだけど……ヒデえよなあ。前髪はまだあるっつうのによ」
流石に思い切れず、私は呼び方を濁して言った。
「そうか……なあ、その、あんた。詳しく説明してくれ。パーティが全滅したって話だが、どんな状況だったんだ? 」
『禿げ』は困惑したように生え際を掻いた。
「状況と言ってもな……何しろ、全滅だからな。本当に何があったのかは、神のみぞ知るってとこだ。おっと、あんたは『うちびと』だから、「魔神のみぞ知る」とでも言った方がいいのかな?
ともかくだ、こいつが見つかったのは第8大隧道。深層も深層、まだロクに調査も進んでない『深み』だ。炎の魔神の神殿を踏査中に、魔物の群れに襲われたらしい。ひどいもんだったそうだ。神殿の入口に、焼けただれた死体がごろごろと転がってな。
この男は独りだけ、地下の部屋に隠れていた。石の扉を閉めて魔物を防いでいたんだが、どうやら毒にやられたらしい」
「毒? 」
目を見開く私に、禿げた男は顔を露骨にしかめて頷いた。
「サラマンドラ……聞いたことくらいはあるだろう? お前さん、似たようなツラしてるし。ああ、気に障ったんなら失礼」
「……うぬぼれの強い方じゃないがね、客観的に見て、私の方がまだ男前だと思うよ。大体あいつらは両生類の仲間だし」
私はむっとして言い返した。サラマンドラ――話に聞くだけで私も実際に見たことはないが、深層に棲む魔物の一種だ。水の魔力を操る魔物で、能力を利用して水源から水を引き寄せて棲家とする。元来、水場を生息地とする魔物の中では、動きも鈍く大して強い方ではない。そこでサラマンドラは生き残るために、炎の魔物のテリトリーや炎の魔神の遺跡に棲みつく習性があるのだ。彼らは分泌する粘液と身にまとった水の魔力のために、強い炎の中でも自在に活動することが出来る。他の水魔物が侵攻してこない場所で小規模な水場を形成し群れをなして生活するのが、サラマンドラの生存戦略なのだ。
「しかし、毒か。サラマンドラに毒があるって話は初耳だな」
私が言うと、禿げた男はニヤリと笑って肩をすくめた。
「冒険者の間じゃ、もうそろそろ常識になりつつあるぜ。奴らの粘液には、体を麻痺させる毒がある。そのままだったら、密着でもされない限り死ぬほどの害はない。だから今まであんまり知られずに来たんだ。
だが、そいつが炎で揮発してガス状になると、知らないうちに大量に吸いこんじまう場合があるんだ。そうなると、動くことも出来ないままさらに大量の毒を吸い込んで、呼吸まで止まっちまう。この男もそうやって死んだと見て、ほぼ間違いないだろう」
魔物の群れから逃れた穴蔵の中で、ガスのために息が詰まって死ぬ――私は目を細め、口を結んだ。あまりに凄惨な死に方だ。『深み』に潜る冒険者には珍しくない最期だとはいえ――許されぬ悪事に手を染めて大学を追われた男だとはいえ――こんな死に方をしなければならなかったのだろうか? 私は複雑な気分で、アーキソンの長身を眺めた。
禿げた男は、私の感傷などにはお構いなしに説明を進めた。
「他の死体にはみんな、サラマンドラに食い荒らされた跡があった。トラップかなにかにかかって、炎の魔術で焼かれた後に、死体の臭いにつられてサラマンドラが寄って来たんだろう。後ろからは炎、前からはサラマンドラの大群――なすすべもなく、パーティは全滅。そんなところだろうな、状況証拠から見れば。
踏査許可申請はきちんと上がってる。10数人の、わりあい大所帯のパーティだった。出資者は第4の農園主で、後ろ暗いところのない、ちゃんとした人物だ。ウラも取った。不審なところは何もない」
私は目を上げて、男の顔を見た。「何も不審な点が無い」? そんなことを、何故わざわざ長々と説明するのか。男は心得顔で頷く。
「分かるよ。怪しいところが無いただの事故だってんなら万々歳だ、それで済む話だろう……そう言いたいんだろう。その通りだよ。本当だったら俺も、そういう具合の報告書を適当に書いて、メデタシメデタシって手を叩いてるとこさ。
だけどなぁ……俺って奴は、怪しいところがあったら気づいちまうタチなんだ。で、気づいたら上に報告しちまう。損な性分をしてるんだよ。だからハゲたんだろうな」
額をぴしゃぴしゃと叩く『禿げ』に、私は曖昧な笑いで答えた。一緒になって笑ったものかどうか、判断に迷う。私が自分の顔をネタにした冗談を言うと、言われた相手はこんな気持ちになるのだろうか。
「で、その怪しい点ってのは? 」
私が聞くと、『禿げ』は真面目な顔になり、生え際を指でこすりながらぼそぼそと語り始めた。
「ハッキリとした証拠があるわけじゃないんだがな、どうもこう、整いすぎている気がするんだ。さっき言った、出資者の農園主って奴にしてもそうだ。確かに何の変哲もない、真面目で実直と評判の人物だよ。だが、何だってそんな人間が、急に深層の踏査なんていう投機的な事業に出資するんだ?
一応、ギルドの使い走りがそいつを訪ねてみたんだが、答えは『資産の管理は管理人に任せているから分からない』ってんだ。管理人の方は管理人で、冒険者ギルドにいる知り合いに紹介してもらった有利な投資先だと思ってたらしい。その知り合いってのも、『出資者を探してほしい』と人づてに頼まれていて……てな具合で、どうにも元を辿りようがない。
発起人のことにしたってそうだ。最初は、全滅したパーティが自主的に深層への踏査を決めたんだと思っていた。しかし、よくよく調べてみると、このパーティにはそんな頭を使うマネが出来そうにないんだ……踏査経験は第7どまり。『深み』に関する知識を多少持っていそうなのは、このアーキソンって元アカデミー教授だけ。あとの連中はみんな腕っぷし自慢のバカばかりだ。いくらカネになるからと言って、そんな頭の働かない連中が、自分たちだけで『深み』への踏査計画を立てるなんてことがあるもんかね? 」
「つまり……全滅したパーティを操って、知恵を授けていた『何者か』が存在すると? 」
『禿げ』は深刻そうな顔で頷いた。
「となると、パーティが全滅したってのも俄然キナ臭くなってくるんだよなァ……もし本当に黒幕がいるとするならば、わざわざ依頼の根っこがバレねえように準備した上でパーティを送り込むような周到な奴だ。その周到な計画の結果が、パーティの無残な全滅だけってことがあるもんだろうか?
パーティが全滅することまで計算の内だったのか? いや、というよりも……全滅自体が、その『黒幕』の仕組んだことじゃなかったのか? 」
『禿げ』は重々しく言い、アーキソンの顔をちらりと横目で見て、また生え際を掻いた。




