結
「とりあえず、乾杯……ってのも今さらだな。堅っ苦しいし。まあ、面倒な挨拶は抜きだ。とにかく自由に食ってってくれ」
ボルゴは一方的にそう言って、シャンパンのグラスを傾けた。乾杯の用意をしていた私は、拍子抜けしてグラスを置いた。
熱狂の夜が明け、私はボルゴの事務所へ晩餐に招待されていた。既に食堂の巨大なテーブルには料理がずらりと並び、温かい湯気を立てている。テーブルにつくのは私とボルゴ、それから数十人の組合構成員たちだ。こういう大規模な食事会はボルゴの趣味で、しばしば部下を集めては大量の料理を給仕させて、それを眺めて楽しむのだ。ボルゴ自身は図体に似合わず非常に小食で、この日も取り皿に切り分けられたパイの細い一片を、胡乱げにつつき回していた。
ボルゴの隣、私とちょうど向かい合う位置の椅子は空いていた。そちらを横目で見て、ボルゴは少し顔を曇らせた。
「……ベルーニにも、一応は声をかけたんだがな。ああも見事に面目を潰されたら、流石に来られないか。よその組合にまでわざわざ恥を晒しちまったし、肝心のリライアは雲隠れだしな」
「雲隠れ? 」
肺魚のスープをすくいかけた手を止め、目を丸くして聞き返す私に、ボルゴはこともなげに頷き返した。
「聞いてなかったのか? カジノの営業が終わって、解雇を伝えるためにベルーニがディーラー控室に入って行ったら、既にもぬけの殻。アパートも引き払っていたそうだ。組合に損害を与えために、面倒な目に遭うのが嫌だったんだろうな」
「フーム……」
私はしばらくの間、あの美しい顔、心奪うベイビーブルーの瞳を思い浮かべた。彼女はどこへ行くのだろう。ほとぼりが冷めるまでどこかに隠れるか、別の大隧道へ河岸を変えるのか――どこであるにしろ、彼女のいくところならば必ずそこに「勝負」があるのだろう。彼女は勝負を捨てられぬ。いや、勝負の方が彼女を離してくれないのかもしれない。
私が黙るのと同時に、ボルゴも黙り、皿の上でぼろぼろに崩れたパイを見つめた。その目元にはまた新たな皺が刻まれたようだった。
「やけに不景気な顔をしてますね? 」
「不景気な顔は生まれつきだ。お前の、そのトカゲ面と同じくな」
噛みつくようにボルゴは言い、ふと口をつぐんで、ややうつむき加減になりながら言葉を継いだ。
「……こういう商売をやっていると、人付き合いで苦労することってのはしょっちゅうだ。それはそれで面倒だし辛いもんだが、もっと嫌なのは、人との繋がりが切れちまうことだ。こんな稼業だし、俺もそう若くない。これから作れる付き合いなんて、そう多くはねえだろう。昔からの付き合いってのは、齢を重ねるごとに大事になっていく……それがまた、一本切れちまった」
ボルゴは深く息をつき、フォークで杯の破片を皿の片側に寄せた。組合の構成員たちは、各々の皿から料理を取る手を止め、ボルゴの表情をこっそりと窺っていた。私は沈み込んだ雰囲気を一転しようと、つとめて能天気な声を張り上げた。
「そう、落ち込まないで下さいよ。カジノで大勝ちした記念のパーティだっていうのに」
私の言葉に、ボルゴは眉根を寄せながら顔を上げた。
「なにが大勝ちだ。100万ゾルを賭けて、払い戻しは185万ゾル分のチップ。交換の手数料やら何やらを差し引けば、儲けは80万にもならない。あれだけ危なっかしい勝負に賭けて80万では、割に合わん」
むっつりと言うボルゴに、私は小さく肩をすくめた。
「そうですか……ところで、儲けと言えば、私の取り分なんですが」
ボルゴはシャンパンで口を湿らせ、頷いた。
「分かっている。カネを出した俺と知恵を出したお前、半々の山分けでどうだ? 今回の報酬もそこへ含むってことにさせてもらうが」
なかなか寛大な申し出だ。普通、金主の取り分はもっと大きくなる。相手が組合のボスとなったらなおさらだ。山分けで40万ゾル。ちょっとした財産だ。しかし……私は首を振った。
「折角ですが……それは止めときましょう。私は、規定の仕事料だけもらえれば十分です。ギャンブルでの勝ち分は、そちらで良いように処分してください」
流石にボルゴは目を丸くした。その場にいないかのように押し黙っていた組合構成員たちも、顔を見合わせ囁きを交わす。
「何だ、そりゃあ。そんなにカネが有り余ってるってのか? 」
「カネにはいつだって困ってますよ。正直、喉から手が出るほど欲しいです。だけど……これを受け取ったら、本当にハマりこんじまいそうな気がしましてね。ギャンブルで身を持ち崩すきっかけは、大体の場合ビギナーズラックだって、よく言いますし」
私は首を振り、未だ目の奥に焼き付いているベイビーブルーと、サイコロの造りだした漆黒の双眸を追い払おうとした。あの夜のことは、当分忘れられそうにない。体に流れる冷たい血までが、熱に当てられ沸騰しそうだった。ああいう感覚に引き寄せられて突っ走ったら、最後はどうなるか……テーブルの横の椅子で肩を落としたレフの姿を思い出し、私は自分の血を冷まそうと努めた。
ボルゴは広い肩をすくめ、指を組んで口を開けた。
「お前がそれでいいなら、別に構わん。俺はお前の親じゃないし、酔狂を諌めるような義理はない。しかし……すると、どうしたもんだろうな、あのカネは。俺が総取りして貯め込むってのも、どうも寝覚めが悪いしな。いっそのこと、またベルーニのカジノへ行って、残らずスッてくるってのもいいかも知れんな」
「そんなこと言って、どうします? もし、またもや大勝ちしちまったら」
冗談めかしてそう言うと、ボルゴは目をぱちくりさせた後、眉間に深く皺を寄せ、飽きれたような口調で言った。
「まるで、いっぱしのギャンブルジャンキーのような口を利くな……ビギナーズラックは続かんと言ったのは、お前じゃないか。大丈夫か? 」
私は返す言葉もなく、気の抜けかけたシャンパンを口に運んだ。




