第8話(3)
私はポットを振りながら、耳を凝らして中の音を聴いた。初戦で失敗した、音でサイコロの目を確認するやり方だ。今回は狙った目を出すためでなく、特定の目を「出さない」ために使う。「黒・黒」の目だ。あれを出してしまったら、その時点で終わりだ。あれ以外であれば、後はどうとでもなる。
観客が固唾を飲んで見守る中、私はポットをテーブルへ打ちつけた。そのまま、無造作にポットを除ける。出た目は――白と黄。役は成立したが、さほど強くはない。観衆がやや盛り下がるのをよそに、私は安堵していた。どんな目が出るかは、この際あまり関係ない。黒のペアを出さずに済めば、まずは第一関門突破だ。
「何だか、気負いの割には大したことのない出目でしたわね」
リライアは少し退屈そうに言った。私は虚勢を張るようにぐっと胸を突き出して答える。
「最後まで何が起こるかわからないのが、勝負ってもんさ。だろう? この役を、よく覚えとくといい。君のギャンブラー人生に終止符を打つ役になるかも知れないんだから」
私はそううそぶき、2つのサイコロをリライアの方へ突きつけた。リライアはこちらを見ようともしなかった。レフが眉をひそめて私の表情を窺っている。「大丈夫か」とでも言いたいのだろう。無理もない。誰がどう見ても、無理な空威張りにしか見えない態度だ。私は歯の隙間から息を吹き出し、サイコロをポットの中に放り込むと、ポットごとリライアの方へ渡してよこした。
「さあ、振ってくれ。こっからが本当のギャンブルだ」
リライアは無言のまま、私の手からポットを受け取り――その顔が突然歪んだ。
「……! 」
目を細め、軽く首を振った彼女の耳元から、髪留めが転がり落ちた。緑色の宝石が嵌まった、金の髪留め。テーブルに転がった緑の石は、白っぽく濁っている。
「これは……! 」
髪留めを見たリライアは顔色を変え、顔を上げて私を睨みつけた。私は不敵に笑って見せた。
「だから、言っただろう。こっからが「本当の」ギャンブルだと……『負けないディーラー』の神通力はもはや無い。こっからは、勝つか負けるか正真正銘のギャンブルだ」
傷つけられた獣のような彼女の目が、私の推測の正しさを伝えていた。
結局、最初の推測が正しかったのだ――色の違いからくる音の違いを聞き分け、ポットの中で軌道を調整しているのではないか。ポットに遮られて充分に音が聞こえないという理由から、その仮説は一度捨てた。しかし、もう一段発想を変えてみればよかったのだ。聞こえないなら、聞こえるようにすればよい。それにはどうしたらいいか?
ここで風の魔術が活きてくる。リライアは髪留めに偽装した魔導具を使い、ポットの口から耳元まで、圧縮された気流の糸を通していたのだ。聴診器と似た要領だ。音が壁に遮られるのなら、壁を越えて音を運ぶ通り道を用意してやればいい。そして、狙った面が上を向いた瞬間を見計らって、ポットの中のサイコロをつまみ取る。革のポットは柔らかく、中のサイコロを2つ並べてつまみ固定することも難しくはない。音だけを頼りに一瞬の出目を捉えるのは相当訓練が要るだろうが、理屈としては不可能ではない。
風邪の魔術の使い方さえ分かれば、方法はいくらでも思いつく。私は、大量のチップがテーブルに並び、人々の目がそこに集中した瞬間を狙い、密かに魔導泉の水を手袋で汲んだのだ。そしてそれを、ポットの口に塗りつけた。洗浄用に魔力の込められた魔導泉の水が、ポットに繋がった気流の魔力と反発し、弾けて逆流したというわけだ。
「……どうやって、このことを? 」
リライアは美しい顔を歪め、震える唇の間から言葉を吐き出した。
「そもそも、君がサイコロを振る音が小さかったのが気づきの始まりだ。ポットから耳元までチューブを繋いだようなものだから、外へ漏れ出す音も少なくなるのはごく当たり前のことだった。それに、君から受け取ったポットの温度も気になった。指の形に、体温が残っていたんだ。よほど強く、1点だけを握りしめないとこうはならないってくらいにね。私は体温が低いから、そういうことはよく分かるんだ」
私の声を聞くうちに、次第にリライアの顔から険が取れてきた。追い詰められたような表情は消え、代わりに何か達観したような笑みが広がっていった。今までの、勝利を確信した余裕ある笑みとは違う。もっと破れかぶれで、熱がこもっていて、そして――美しかった。
「なるほど……本当のギャンブル、ですね」
鈴の鳴るような声でリライアは呟き、ポットを握り直した。細い指には震えも無く、剣のように張りつめた力と緊張があった。
「いつぶりかしら、こんな風に不安な気持ちでポットを振るのは……まるで、子供に戻ったみたい」
リライアは歯をこぼして笑い、高々とポットを振り上げた。手首が回り、黒いポットが鳥のように中空を舞う。中のサイコロが乾いた歌を歌う。静まり返ったカジノの中で、その音はやたらに大きく響いた。離れた場所で見守っているベルーニが、喉仏を大きく動かして唾を飲みこむのが見えた。
そして――リライアの手がしなり、ポットはテーブルに伏せられた。
「それでは……勝負! 」
押し殺した声でリライアは言い、私の目を一瞬だけ見てから、ポットを上げた。
私を、リライアを、観衆を――サイコロは冷たく睨み返した。黒い双眸が、ポットの下から現れていた。出目は黒・黒。
「プレイヤーの勝ちだ! 」
誰かが叫んだのをきっかけに、沈黙は破れ、大歓声が沸き起こった。足を踏み鳴らし、口笛を吹き、グラスや帽子など、ちょうど手に持っていた物が宙に飛んだ。後ろを振り向くと、ボルゴでさえが小さな目を見開いて拍手していた。静かなのは、椅子の上で放心しているレフと、向こう側で汗を流しながら立ち尽くしているベルーニ、そして――ポットを握ったまま、唇を震わせてこちらを睨んでいるリライアだけだった。
「……こんなものかしらね、運命って。案外あっけないものね……」
ため息と共に、彼女は言葉を吐き出した。その体が自然と崩れ、椅子の上に沈み込む。力のゆるんだ手からポットが転げ落ち、軽い音を立てて床に転がった。私は言葉をかけることもなく、立ち上がって傍のボーイに声をかけた。
「さて……おい、騒ぐのもいいけど、私の勝ち分のチップはちゃんと渡してくれるんだろうね? 待ってるんだが」
言いながら私はテーブル上に手を伸ばし、出した分のチップを腕で掻き寄せようとした。その拍子に、サイコロが腕に弾かれて転がり、テーブル脇の魔導泉に落ちた。
「……ッ!! 」
ぐったりと椅子に実をもたせ掛けていたリライアが、それを見てハッと身を起こした。魔導泉の水が、ほんの一瞬だけ黒く染まったのだ。リライアは立ち上がって泉の中からサイコロを拾い上げ、すぐに踵を返して、今度は床に落ちたポットを拾い上げた。その内壁を調べ、彼女は唇を噛みしめた。
「……ポットの内側に、黒の塗料が残っている。まだ中までは乾ききっていない。これを使ったのね? あの時……あなたの手番に、誰もがあなたの出した目を見ようと視線を集中させた時、サイコロに塗りつけて……」
「さて、何のことだろうな」
私はチップをもてあそびながら、そ知らぬ顔で答えた。
「想像のお話をするのは楽しいがね――偶然にも、サイコロは魔導泉に落ちてしまった。塗料が塗られていたとしても、もうすっかり落ちてしまっただろうな。確かめるすべは無いよ」
私の言葉も耳に入らぬ様子で、リライアは譫言のように呟き続けた。
「黒の面に黒い塗料を塗る『オーソドキシー』でなく……白の面に塗料を塗ったのね。そしてテーブルの下から磁力を放ち、塗った面を引き寄せた。見えないところでなら、強い魔力を放っても魔術の光を気にする必要はない。塗料を引き寄せるほど強い魔術も、使うことが出来る。白が下になれば、黒が上に来る。細工をした面はテーブルと触れているから見えない……」
リライアは震える唇で、何とかぎこちない笑みを作った。
「何とも、大胆なことを」
「私はギャンブラーじゃなく、探偵だからな。イチかバチかの賭けはしないんだ。そこが、君と私との違いだ――どんなにイカサマを弄しても、君は根っこのところでギャンブラーだった。
私からサイコロとポットを受け取った時に調べていれば、難なく仕込みを暴けたことだろう。だが君は「本当のギャンブル」という言葉に乗って、運任せの勝負をする気になってしまった。「負けない」ことで名を上げたディーラーにしては、お粗末な終わり方だったな」
私はそう言い放ち、歯ぎしりするリライアの頭から帽子を取りあげ、ひょいと頭に乗せた。リライアは部屋の明かりにまぶしそうに目を細め、私をもう一度見て、氷が溶ける時のようにゆっくりと微笑を浮かべた。
「私の負けね……楽しかったわ。思っていた通り、はらわたの奥まで灼けそうな時間だった。ありがとう、探偵さん」
リライアがそう言ったのと前後して、ボーイがチップのケースを持ってきた。私は元手と勝ち分を全てケースに収め、テーブルを離れようとし――ふと、レフの方を顧みた。
彼は勝負中と同じく、椅子に猫背気味に浅く腰かけていた。その顔には疲れの跡がありありと残り、勝負の前より10年ほども老けたかのように見えた。私が近寄っていくと、レフはけだるげに顔を上げた。
「……よう、大将、勝ったな」
どろりと濁った声だった。私は流石にぎょっとして彼の目をまじまじと見つめた。
「どうした? ……ああ、そうか。私に賭けなかったんだろう。損をしたな」
「いや、違う。賭けたんだ。賭けたことは」
レフは言い、震える指でテーブルを指した。そこには、小さな1千ゾルチップがぽつんと置かれていた。プレイヤーの勝ちに1千ゾル。負け側に賭けた人間がいないので、払い戻しはカジノからのみ、倍率は2倍。
「だって、仕方ねえだろう!? 最初の勝負で1万以上いかれてるんだ。これ以上のムチャは出来ねえ。そんな身分じゃねえんだ、俺は。だけどあんたの言った、負け癖うんぬんの話も分かるしよ……結局、ちょっとでも負けを取り返せりゃあと思って、な」
私は何も言えず、黙ってレフの背中を見た。両手のチップケースが妙に重く、間の抜けたものに感じられた。やがてボーイが律儀にチップを一枚持って、レフの傍へやって来た。私は背を向け、歩き出した。最後まで見ていることはない――それでは、あまりに辛すぎる。遠ざかるテーブルの上に、小さなチップの転がる音が聞こえた。




