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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 稲妻の歌を聴け ~
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第8話(2)

 観客のざわめきが圧力となって私を包む。ふと見ると、用心棒から解放されたレフはテーブルの脇に座り、こちらへ向かって口の端をわずかに上げて見せていた。テーブルの上には、何枚かのチップが並べられている。進行中の勝負に賭けたい者は、テーブル上の格子の上にチップを奥決まりだ。プレイヤーの勝ちに、合計1万ゾルほどをレフは賭けていた。

 私の手元には、ケースから出されたチップが10枚、塔の形に積み上げられている。賭け金は5万ゾル、早くも予算の10分の1だ。リライアの方へ目を移すと、彼女は周りの興奮に当てられることもなく、謎めいた微笑を浮かべていた。先ほどまでと違い、いくらか目許に喜びがにじんでいる。


「そうでなくっちゃね」


 私だけに聞こえるよう、桜色の唇をわずかに開いて、リライアは言った。私が訝しむ暇もなく、リライアはポットを掴み上げ、サイコロを放り込んで稲妻のごとく振り始めた。

 いよいよだ――私は固唾を飲み、彼女の手さばきを見守った。先ほどのイカサマで、ダイスはわずかながら大地の魔力を帯びている。量が少ないので維持できる時間はほんのわずかだが、それでも、直後の手番の間くらいは持つ。リライアが例え風魔術でイカサマをしようとしても、大地の魔力がポット内で反発を起こし、制御できなくなるはずだ。そこまで計算ずくの手だった。


 私はリライアの目を見つめた。レフの予想通り風の魔術を使っているのなら、既にそれが上手くいかないことに気付いているはずだ。不安、焦り、そういったものを私は彼女の目の中に探そうとした――しかしベイビーブルーの瞳は、相変わらず楽しげな光を湛えていた。美しく、酷薄な色だ。自分の勝利を無慈悲なまでに確信している顔だ。かえって私の心に不安の雲が兆しはじめた、その時だった。


 リライアは静かにポットを降ろし、ぱかりと開けた。


「バカな! 」


 レフが叫び、椅子を蹴って立ち上がる。観客は一瞬だけ静まり返った後、天井まで揺らすような歓声を上げる。テーブルの上に現れた出目は白・白――白のペア。最強の役だ。


「これはどうも、失礼……私の勝ちですね」


 リライアは大仰に畏まってみせ、帽子を取って一礼した。観衆から口笛と拍手が響く。


 騒ぎ立てる観客の中には、笑顔のベルーニも混じっていた。拍手をしながら、傍らの口髭を生やした男と何やら小声で話しあっている。黒い礼服を着た、目つきの鋭い男だ。あれが噂に聞いた、リライアを引き抜こうという別のカジノの人間だろうか。


 テーブルに目を戻すと、レフはテーブルに手を突いて、青白い顔で立ち尽くしていた。彼の前から、ボーイがチップをさらっていく。私の出していた10枚のチップも同様だ。私はその光景を呆然と見守った。

 確立上、あり得ぬことではない。私の出した役に勝てる唯一の出目が、偶然ここで出てしまう――だが、そんな偶然に頼って「無敗のディーラー」でいられるはずはない。それにあの落ち着きは、到底運任せのバクチに勝った者の態度とは思えない。出目はすべて彼女がコントロールしていると考えるのが自然だ。しかし、どうやって? かつて彼女とレフが使っていたという風魔術のイカサマは、完全に封じたはずだ。別のやり方を考えるにしても、サイコロには大地の魔力が込められているわけだから、風魔術は使えない。

 ならば……考えあぐねる私に、レフが目配せした。


「おい、ボーッとしてたって始まらねえ。とにかく次の勝負だ。何をやってるかを探るにしたって、もう一投くらい見ないと仕方ないし、それに単なる偶然ってこともある……どの道、こっちは色揃いしか出ねえんだ。普通だったら、負ける場合の方が珍しい状況なんだぜ」


 レフはそう言うが、私はどうにも頷きかねた。その色揃いの中でも2番目に強い赤のペアを、あつらえたかのように白のペアで潰されたのだ。完全に、出る目を操っているとしか思えない。釈然としないものを胸に抱きつつも、私はテーブルの上のサイコロに手を伸ばした。


 その手を払うようにしてリライアの指が飛び、サイコロをつまみ上げた。


「ちょっと失礼いたします、お客様」


 リライアは私の方へちらりと笑みを投げた後、横に控えているボーイを指で呼びつけた。


「魔導泉を――洗浄用魔導泉を持ってきてちょうだい」


 私はぎくりとした。魔導泉は、水の魔術を使って飲用水や生活用水を放出する魔導具の一種で、大竪穴の家庭には必ず一台備え付けられている。それを、今ここに? しかもリライアの手の中には、仕込みをしたサイコロが……レフの方を見ると、前にもまして色を失った顔と目が合った。椅子から腰を浮かしかけている。他の客を押しのけてでも無理に逃げ出すべきか、決めきれないでいるようだ。


 そうこうしているうちに、ボーイが2人がかりで魔導泉を持ってきた。樽のような形の本体に、銀の受け皿が嵌まっていて、その中央から円錐形の吹き出し口が突き出ている。リライアは用意された魔導泉のバルブをひねり、噴き出し口に向かって手の中のサイコロを放り込んだ。

 シュッという、小気味のいい音を立てて、魔力を帯びた水が白いしぶきとなって噴き出す。放り込まれたサイコロはその噴水に支えられ、空中で回転しながら静止した――と、サイコロに触れた水が見る見る黒ずんでいく。私はこめかみのあたりから痺れるような感覚が広がっていくのを感じた。私たちが仕込んだ塗料が、水に削り落とされていく。やはり、仕込みはバレていたのだ。


 観客たちの間で交わされていた不審げな囁きが、徐々に怒りの声へと変わり始めた。誰の目にも、イカサマが行われていたことは明白だ。リライアはしかし、ざわついた空気をまるで感じないかのように、涼しい顔で魔導泉を見つめていた。やがて、泉の水からすっかり色が消えた頃合いに、彼女はサイコロを水の中から取り出し、胸ポケットのハンカチで丁寧に拭いた。


「どうも、お待たせいたしました、お客様。サイコロが汚れているようでしたので……」


 呆気にとられている私の目の前で、リライアは綺麗になったサイコロをポットと共にこちらへ押してよこした。


「おい、どういうことだァ! 」


「イカサマじゃねえのか!? 今、水が黒くなっただろうが! 」


 客の間から怒声が上がる。身なりのいい客が眉をひそめる中、ガラの悪そうな連中は早くも私を叩きだそうと迫ってきそうな構えだ。騒ぎ立てる観衆に、リライアはゆっくりと手を伸ばして制止した。


「お静かに、皆様……当カジノでは、そういった無粋な詮索は致しません。イカサマは現行犯で押さえなければならないというのが不文律。後からどういう想像をしたところで、何にもなりません。それに何より、こんなつまらないことでせっかくの勝負を台無しにしたら、もったいないじゃありませんか……そうでしょう、お客様? 」


 リライアは冷酷な笑みを浮かべた。言外に、ここで退くことは許さないと言っているのだ。イカサマの咎で叩き出す代わりに、最後まで勝負をやって有り金残らず搾り取る――そう言っている。

 リライアが言葉を切るとともに、ギャラリーの間から歓声が上がった。このテーブルを取り巻く連中は、結局のところギャンブラーではなく、「無敗のディーラー」に挑んで無様に負けるバカを見に集まった酔狂人たちだ。見世物が続く方が嬉しいに決まっている。この雰囲気の中では、逃げることさえ出来ない。体よく退路を封じて来たわけだ。


「……趣味の悪いことをしてくれる。そんなに大袈裟なことを言わなくたって、逃げないよ、私は」


 逃げる場所もないしね、という言葉を続けかけて、飲みこむ。私の後ろでは、ボルゴが無表情に勝負の行方を見守っている。このまま50万を溶かしきって勝負を打ち切ったら、一応その場はそれで済む。だがリライアは別のカジノへ逃げ、結局ボルゴの顔を立てることは出来なくなるだろう。かと言って、限度額の100万を使っても、それで勝てるとは思えない。


 落ち着け――私は震える指でサイコロを握りながら、考え続けた。あのタイミングで白・白を出してきた以上、相手がイカサマをしていることはまず確実だ。問題は方法だ。それさえわかれば、裏をかくことも出来るはずだ――本当に、それさえ分かれば。

 私はひとまず5枚のチップを出し、サイコロを適当に振った。カラカラと高い音を立てて、ポットの中をサイコロが走る。呑気に歌でも歌っているようだ。人の気も知らないで……無意味な苛立ちを腹の中に湧き立たせつつ、私はテーブルにポットを叩きつけた。

 出目は白・黒。私はちょっと目をしばたたかせ、傍らのレフに声をかけた。


「なあ、これはどっちの役になるんだ? 白の役で強さが黒なのか、それとも黒の役で強さが白なのか……おい、レフ? 」


 レフはうつむいたまま答えなかった。策が水泡に帰したのが、よほどショックだったと見える。青ざめて震えたまま、ひと言も口を利かない。代わりに、リライアが冷静な声で答えた。


「ふた通り以上の取り方が出来る役の場合、基本的に強い方を採用します。この場合、白の役の方が強いので、白の役で黒ということになりますね。もっとも、そういう取り方が出来るのはこの出目だけですから、あまり意味がないですけど」


 リライアは少々の軽蔑を込めてレフを一瞥したのち、サイコロを拾い上げ、ポットに入れて振り始めた。サイコロの立てる音は静かだった。そう、始めて見た時も、彼女の立てる音があまりにも小さいのに驚いたものだ。動きは稲妻のように激しいのに……そう思った次の瞬間、私の頭の中に電光が走った。


 ポットの中で出目を操る方法――小さな音――リライアから受け取った時の、ポットの感触。全てが繋がる感覚があった。ひとつの仮説が、闇夜に雷光が一筋の道を示したかのように、私の眼前に浮かび上がってきた。

 上の空になった私の耳に、一際高い観客の歓声が響いてきた。断片的な会話によれば、またも白のペアが出たらしい。私のチップが向こう側へ掻き寄せられていく音も聞こえた。だが、全てがどうでもよかった――方法は分かった。後は賭けだ。本格的に、ギャンブルが始まるのだ。私は椅子ごと後ろを振り返った。


「すみません、ボルゴさん……賭け金の追加を、お願いできますかね? 」


 言われたボルゴは、私の正気を疑っているらしい顔でこちらを見返してきた。


「……カネを追加してほしい、と聞こえたが、聞き違いか? 分かっているんだろうな、その50万を越えたら……」


「危険を恐れて手が縮んだら元も子もないと言ったのは、あなたでしょう。大丈夫、責任は私が取ります――取らなければいけない時は、ね。私は勝てない賭けが出来るタイプじゃないんですから」


 言い捨てておいて、私はリライアの方に向き直った。


「さて、増やす額ですが……そう言えばまだ聞いていなかった。このカジノでは、賭け金の天井はいくらになるんです? 」


 リライアも、流石に耳を疑うと言った表情で私を見、ついでベルーニの方を見た。いかに高レートカジノとは言え、上限は当然ある。しかし、今は状況がちょっと特殊だ。これは普通の勝負ではなく、ボルゴとベルーニの組合(フッド)の代理戦争であり、またリライアを他のカジノへ売り込む場でもある。下手に勝負を断ったら、かえってケチがつく。ベルーニもそこは飲みこんでいるようで、私の問いに即答することが出来ないでいた。そこを狙い、私はわざと無造作にチップをケースごと投げ出した。


「残ったチップ85枚と、これから用立ててもらうチップ100枚。合わせて185枚、92万5千ゾルで、1発勝負と行きたいんですが……いかがです? 」


 ベルーニは顎をがくんと落とし、青ざめ汗の滲んだ顔で私を見つめた。レフも、まるで写し取ったかのように同じ表情でこちらを見ている。彼らの驚きをよそに、利害関係のない観客たちはもう大喜びで騒ぎ立てはじめた。


「100万ゾル近い大勝負か……こんなショウは初めてだ! 」


「いいぞォ、トカゲ野郎! 」


「バカだ、こいつとんでもないバカだぜ! 大竪穴一のギャンブルバカだ! 」


 口々に囃し立てる声が飛ぶ。困惑するベルーニをよそに、カジノ内のムードは過熱する一方だ。口髭の男までが、感心した様子で顎をひねっている。今さら「そんな勝負は受けられない」とは口が裂けても言えない雰囲気だ。しかも――私はリライアの顔に目線を戻した。

 彼女は笑っていた。先ほどまでの、余裕と気品を漂わせた微笑みではない。獣の笑いだ。勝負の匂いを嗅ぎつけ、舌なめずりしている野獣の悦びが、隠しようもなく溢れ出している。たとえカジノのオーナーたるベルーニが止めたとしても、この女は止まらないだろう。必ずや勝負に踏み込むはずだ。


「……もちろん、お受けいたします。今晩くらいは、特例を認めてもいいでしょう……ですよね、オーナー? 」


 リライアの声で、満場の注目が突然ベルーニに集まった。ベルーニは困惑し、貧相な額を掻きながらしばらくあたりを見回していたが、とうとう汗みずくになった顔を赤く染めながら叫んだ。


「仕方ない、いいでしょう。お客様のご期待と、今夜の熱狂に免じて……この勝負は、青天井とします! 」


 割れんばかりの拍手と歓声、口笛の音がカジノ内を飛び交った。『笑う狼』始まって以来の大騒ぎではないか――私はそんなことを考えて、少しばかり子供じみた昂揚感を覚えた。


「……おい、正気か? なんでわざわざそんな大金を」


 レフが心配そうな声をかけてくる。平常の傲慢さはすっかりなりを潜め、怯える子供のようにおどおどしながら、隙さえあれば逃げ出そうと腰を浮かせている。私はため息をつき、ひとさし指を立てて相手の喉元に突き付けた。


「そんな調子だから、あの娘に逃げられるんだ、レフ。負け癖、逃げ癖がついてるぜ。どうせここで逃げおおせたところで、彼女に勝つチャンスが広がったりはしないんだ。待ってるのは負け犬の烙印と、今まで通りのみじめな暮らしだけ。それが嫌なら、次の勝負で私に賭けることだ。無理強いはしないがね。

 なあに、心配しなくとも、彼女が使っている方法自体は大体見当がついた。後は――そう、ちょっとばかりの幸運があればいい」


 レフは眉をひそめ、指で私の後ろを指し示した。


「まあ、お前がそう言うなら、俺だって何も言えねえけどよ……いいのか? ボルゴの大将、すげェ顔でお前を睨んでるぜ? 」


 私は肩をすくめ、振り返……らなかった。


「だろうなあ。だから、さっきから極力後ろを見ないようにしてるのさ。さて、勝負と行こうか。賭けても賭けなくてもどっちでもいいが、とりあえず、私の勝ちを祈っといてくれよ。知らない同士じゃないんだ、私が皮をひん剥かれてサイフかなんかに加工されたりしたら、あんたも寝覚めが悪いだろう? 」


 軽口を叩きつつ、私はサイコロを手に取った――指からこぼさぬよう、神経を使いながら。口では何でもないことのように言っているが、実のところ指が震えてどうしようもないのだ。この勝負をしくじったなら、いやそもそも私の仮説が間違っていたら、その時点で私はおしまいだ。バルナバス・ボルゴに100万ゾルの負債だなんて、考えただけでも身の毛がよだつ。


 しかし……勝算はある。一回きりの不意討ちにしか使えないが、とにかく一つの戦法ではある。私は2、3度深呼吸をしてから、ポットへサイコロを放り込み、振り始めた。初めはゆっくり、徐々に激しく。稲妻のように。

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