第7話
「天気もいいし、いい日になりそうだと思ってるところに、あんまり見たくない顔だな……どうした? 」
ボルゴは顔の辺りを太い指で指し、問うてきた。私は渋い顔で額を掻いた。
「勘弁してもらえませんかね。冗談で返す元気もないもんで……今は何を言ったって、上滑りする空元気になっちまいそうでね」
「なんだ、いつものことじゃあないのか……」
大真面目な顔でそう返すボルゴに、私の眉間の皺はさらに深まった。そりゃあそうかもしれないが、何も面と向かってそう言うことはないだろう。
リライアとの「勝負」の夜からひと晩明けて、私は報告がてらボルゴの事務所に顔を出していた。帽子はかぶらずに。いつも身につけているものが無いというのは、何とも心許ないものだ――雑貨屋で代わりの帽子を買って行こうかとも思ったのだが、思いとどまった。気に入るデザインのものが無かったというのもあるが、何より、リライアとの勝負を裏切ることになるような気がしたのだ。たかが帽子とは言え、相手の人生を賭けたギャンブルに負けて差し出したものだ。後から簡単に代わりを見つけたのでは、申し訳が立たない。
「それで結局のところ、前哨戦じゃあ手もなくヒネられたと、そういうこったな? 」
ボルゴはにべもなく要約した。私は肩をすくめ、帽子のつばを触ろうとして、慌てて手をひっこめる。
「そういう言い方をされると、実もふたもないんですが……まあ、その通りです。しかし、まったく無駄ってわけじゃありませんでしたよ。彼女の思惑も分かったし、風の魔術をイカサマに使ってることの裏付けも取れた。1、2歩は前進ってとこで……」
「『裏付け』? まるで、風の魔術のことを前もって誰かから聞かされていたような口ぶりだな」
ボルゴの目がぎらりと光った。私は口をつぐみ、まばたきを立て続けに5回ほど繰り返した。こいつは失言だった……要らぬいざこざを避けるため、レフのことはギリギリまで伏せておくつもりだったのだ。黙り込んだ私を、ボルゴは容赦のない目で見据えてくる。流石に、もう隠し通しておくわけにはいかないか。
「怒らないで聞いてくださいよ。もう、乗り掛かった舟なんですから……」
私は上目づかいにボルゴの顔色を窺いつつ、『笑う狼』でレフと出会ったこと、その後に扮装を解いて改めて話し合い、リライアの相棒だったころの話を聞いたこと、さらにはリライアを負かす勝負にレフを一枚噛ませると約束したことなどを話した。おそるおそる、ところどころに言い訳めいた注釈を加えながら。
意外なことに、喋り終えてもボルゴの表情は変わらなかった。
「お前のことだ。どうせ勝手なことをするんだろうとは思っていた。その程度で済んで、かえって拍子抜けしたくらいだ」
「いいんですか? 相手はプロのギャンブラーで、元イカサマ師だ。その上リライアとはパートナー同士だったってのに」
「ベルーニだったら、猛反対していただろうな。外部の人間、それも賭け師に儲けさせてやるなんて……あの人は、損をするのが嫌いだからな」
ボルゴは顎をひねりながら言った。
「だが、俺ならやらせる。あそこが俺のカジノだったとしても、迷わずやらせるだろうな。損して得取れということもある。失敗したところで、お前らは組合の正式な構成員ではないから、組合自体の威信も損なわれない。それなら、あらゆる手段を試してみるべきだ」
私は青い舌を出し、唇をなめた。
「威信、メンツ、プライド……またまた、そういう話になるわけですか。カネより何より、食えるわけでもないプライドが大事と……日々の糧を得るのにさえ苦労する食い詰め探偵には、うらやましいご身分ですよ」
ちょっと棘のある言い方になったが、ボルゴは憂鬱そうに首を振り、鼻から息を吐きだした。
「まあな……男ってのは、そういうもんだ。立場、身分、年齢を問わず、肉の中を探ってみりゃあ意地の硬い骨が身体ン中を通っている。飢え死にしかかってる奴が、てめェでも説明のつかない衝動に突き動かされて施しの飯を蹴飛ばすなんてことも、まま起こり得る。何も組合に限ったことじゃねえ……お前だって、そうじゃあないのか? 帽子を取られたことに、何の感傷も抱いていないと言えるか? 」
ボルゴの指輪が、窓から差し込むうららかな陽ざしに照らされてぎらりと光った。私は思わず帽子のひさしを下げようとし、またも慌てて手を下ろした。痛いところをついてくる――その通りだ。代わりの帽子でも何でもいいからかぶって顔を隠せばいいのに、わざわざ素顔を晒して歩き回っているのは、私の子供じみた意地に他ならない。
「ま、仕事のためだけに動いてるって言ったら、嘘になりますね、もう。このまま引けないって思いは、確かにありますよ……私も男だってことなんでしょうね」
「男だ男だと声高に言うのは、本当にそうなのか不安だからさ」
ボルゴは独り言のようにそっけなく言った。
「余裕のない奴ほど、譲れないものを上っつらにぶら下げたがる……俺も含めてな」
ボルゴは、事務机の前の椅子にどっかりと腰を下ろした。昼間の光の下で見ると、その落ちくぼんだ目は濁り、顔の皺は深くくろぐろと刻まれていた。この男も、結局のところ、退けない賭けにのめりこんでいるのだ――賢しらに心理を分析してみたところで、結局そういう意地やメンツに引きずられ押し流されることに変わりはない。男の顔に、疲れと諦めを私は見た。
「……利口ぶって人生論をがなるのは止めときましょう。本を出すつもりでもあるんなら別ですがね」
私が言うと、ボルゴは目の間を押さえ、机に肘を突きながら言った。
「そうだな……それじゃ、即物的な話といこう。実際の所、どうだ? リライアとの勝負を制する策はあるのか? 」
「確実に、とは言えませんがね。彼女が何をやってくるにしろ、まったく勝ち目がないってわけじゃないんですよ、あのゲームのルール上。
バッグラムってゲームでは、2人が交互にダイスを振れる。ディーラーだけがダイスを振るんだったら、出目を操作されたら手も足も出ませんが、こっちにもチャンスを与えてくれるなら話は変わってくる。おまけに、出せばほぼ勝ちになる「白・白」の目もある。プレイヤー側が勝つ可能性は、常に残されている――ここらへんは、彼女の性格ゆえなのかもしれませんがね。だからこそ、付け入る隙もある」
私の言葉に、ボルゴはわずかに片眉を上げただけだった。
「いかにも、もっともらしい言い方だが……どうやるかは決まっているのか? 」
私は肩をすくめるしかなかった。
「これから、レフと会ってきます。奴にも、何か考えがあるらしいんでね。それを中心にして、後はぶっつけ本番で勝負と行こうかと」
「忘れてはいないだろうがな、カネを出すのは俺なんだぞ」
ボルゴは太った体をゆっくりと起こし、私を見下ろした。帽子のない無防備な頭が、刃物のような視線を受けてぴりぴりと痛んだ。
「まず、無条件に50万までは出す。仕事の必要経費としてな。お前が望むなら、もう50万――合わせて100万が上限だ。だが、その100万を、ただ負けて失うようであれば……あまり楽しい目には遭えんと覚悟しておけよ。いくらお前と言えどな」
私は震えあがった。ボルゴに限って、冗談や脅しでこの手の言葉を使うことはない。100%本心から出たセリフだ。私は帽子のつばで相手の視線を遮ろうとして、またもや帽子が無いことに気付き、仕方がないので右手を目の横にかざした。
「心配しなくたって、勝算のない賭けはしませんよ。私はギャンブラーになるには小心すぎますからね」
そう、言ってはみたものの……その「勝算」というやつを見つけるアテがないのだ。私は内心の焦りを隠しつつ、裸の額を冷たい空気に晒しながらボルゴの事務所を出た。
* * *
「ふゥん……ボルゴに言っちまったのか、俺のこと」
レフは長い脚を高く組み、指を膝の上でもみ合わせながら、不興気な顔をした。
この間と違い、時間は夕方、場所は場末の一杯呑み屋のカウンターだった。一日の憂さを晴らそうと繰り出してきた仕事帰りの人々や、一日の初めに何か腹に入れていこうという夜の街の住人達が、どっと詰めかけている。その喧騒は、ある意味どんな静寂よりもぶ厚く秘密を覆い隠すカーテンだった。
「ま、仕方ないか……噂でしか聞いたことはないが、バルナバス・ボルゴと言やあ食えねえ男で通ってるもんな。いつまでも隠し通せるもんじゃない。勝負のスポンサーときちゃ、尚更だ」
「そのスポンサー殿から、ハッパを掛けられてきたよ。組合のカネを使ってもし負けたら、覚悟しておけとさ。奴の言うことだ、単なる決まり文句だと思ってたら大怪我する……あんたも無関係じゃないんだぞ。もう、あんたがこの勝負に関わってるってことはボルゴだって知っちまったんだから」
私は渋面を作り、威嚇的にレフを見据えた。レフは大袈裟な身振りで腕を広げ、震えてみせた。
「おお、怖……あんまり脅かすなよ、あんたのツラは心臓に悪い。バルナバス・ボルゴの脅迫とおんなじくらいにな。
まあ、心配すんなって。ちゃんと考えはある。俺だって、組合のボスを怒らせるのは嫌だからな。きちんと準備もしてきたんだ……大変だったんだぜ、こいつをこの短期間で仕立てさせるのはよォ」
そう言うとレフは、カウンターの上に白い手袋を投げ出した。絹のような光沢を持った、不思議な布地で出来ている。私はそっと指を伸ばし、手に取ってみた。新品らしい純白が目にまぶしい。柔らかくてなかなかいい布地のようだが、特に変わった所は見当たらない。
「これが、どうしたんだ? 」
「あんたでも分からないか。ま、そう見えるように作ったんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけどな」
レフは細い鼻筋の辺りを掻きながらニヤリと笑った。
「ちょっと気づかないだろうが、そいつには魔導合金を加工して作った繊維が織り込まれていてな。合金と言っても糸と同じくらいに細く加工したもので、それも生地の段階で絹糸と混ぜて織り込まれているから、ぱっと見ではまるで分からない。
仕込んである合金は特殊な模様を描くように配置されている。ちょうど、古代魔術で言う契約印のような要領で、魔導具になるように仕込みがされているんだ。こいつに大地の魔力を込めると、魔導合金はその魔力を蓄え、磁力として吐き出す……魔導錠と同じ原理さ」
だんだん話が飲みこめてきた。私の左手には、大地の魔神との契約印がある。私の技量が足りないために、普段は無機物を操って弾丸のように「撃ち出す」魔術くらいしか使えないが、技術の部分を魔導具で補えば様々な使い道が出来る。おまけに、契約印を隠すため、私は日頃から手袋をはめている。手袋のまま賭けに挑むことにも、それ相応の理屈をつけられるのだ。
「これ、私と会ってから考え出したのか? 随分手が早いな」
私が褒めると、レフは首を振った。
「昔から、それこそ手を潰される前から考えてたんだ。古代魔術をギャンブルに応用できないか、ってな。そのために魔導具職人とのツテを確保しておいたり、いろいろやってきたんだが……まさかこんなところで、こんな奴に使わせることになるとはな」
レフは私の顔を無遠慮に見、自嘲するような笑いを浮かべた。私は言い返しもせず、黙って相手の顔を見つめていた。
私の脳裏に浮かんでいたのは、知り合いの顔――酒場『空に星』亭のバーテンダー、ジギーの顔だった。彼はカクテル作りに古代魔術を取り入れるため、手を真っ黒く埋め尽くすほどの契約印を刻んでいる。一生消えない、黒い手袋だ。たかがカクテル作りのために、取り返しのつかない身体改造をして、後悔もしない……イカサマのために古代魔術を使うと言った今のレフには、ジギーと同じ表情が浮かんでいた。輝かしくもおぞましい、「情熱」という名の奈落。私は背中の鱗が浮き立つのを感じた。
私の沈黙をどう解釈したのか、レフは磊落に笑うと、私の肩を叩きながら顔を近づけて来た。
「そう恐れ入るな、まだ計画は半分だぜ。こっからが重要なんだ。『負けないディーラー』を負かす方法……それには、こんな手袋だけじゃあまだ不十分だ。綿密な打ち合わせが要る。
頼むぜ、大将。俺の言う通り、ちゃんと役目を果たしてくれよ」
言うに事欠いて、大将ときたもんだ。私は不承不承ながらも頷き、魔法の手袋をくるりとひるがえして内ポケットにしまった。




