第6話(3)
私はきょとんとして、青く輝くリライアの両目を覗きこんだ。楽しんでいる表情は見て取れたが、冗談を言っているという感じではない。最初から最後まで、常に本気なのだ。この娘は。
「……賭けというと? 」
「簡簡単よ。ちょっとしたゲームをやって、あなたが勝てたら私はあなたの言葉に従う。『笑う狼』から出ていけとでも、ディーラーを辞めろとでも、何とでも命令すればいいわ」
唖然とする私をよそに、リライアは早くも遊び道具を見つけた猫のような興奮を滲ませ、グラスやボトルをテーブルの脇へ寄せ始めた。私はため息をつき、とりあえず話に乗ってやることにした。
「それで、賭けと言ったって何をやるんだ? やっぱり、サイコロでもやるのか? 」
私の問いに、リライアは首を振った。
「それも悪くはないけれど……たまには、趣向を変えた勝負をしてみたいわね。ちょうど家でもあることだし」
リライアはしばらくきょろきょろと辺りを見回していたが、やがて先ほど持ってきた炭酸水のボトルを掴み、テーブルの真ん中に置いた。炭酸の泡が揺れ、ランプの光に照らされて宝石のようにきらめく。続けてリライアは、輝くビンの口にテーブルの上の紙幣束を一掴みほど乗せた。
「この紙幣を、交代で1枚1枚引き抜いていって、束を下に落とした方が負け。簡単だけど、分かりやすいでしょう? 」
私は目を細めてビンを見つめた。何の変哲もない、市販のガラス瓶だ。紙幣の方も、種類はバラバラだが、どれも使い込まれたもので、イカサマの気配は見当たらない。私は用心深くリライアの顔色を窺いながら、ゆっくりと答えた。
「ルールは分かった。それで、私が負けたらどうする? 賭けと言うからには、そっちも決めておかなきゃあならないだろう」
今度は、リライアがきょとんとする番だった。青い目をふらふらと宙へさまよわせ、小首をかしげて思案する様子。本当に、何も考えていなかったのだろうか。あくまで、勝負をしたいだけだと? 戸惑う私の前で、リライアはふっと肩の力を抜き、首を振った。
「特に、思いつかないわ。本当だったら、もう私に構うのはやめてっていう所なんだろうけど……組合の依頼でしょう? やめろと言われてやめられるほど、甘くないのはよォく分かってるわ。それに、私としたって勝負を挑んでくる相手がいなくなったら張り合いがないし」
「それなら、どうする? 」
私が聞くと、リライアは何か思いついた様子でいたずらっぽく微笑み、ひょいと手を伸ばして、私の帽子を取りあげた。
「これ……大事にしてそうだから。私が勝ったら、この帽子をもらうってことで、どう? 」
顔を空気が撫ぜる感覚に心細さを覚えつつ、私はリライアを見返した。
「帽子って……本当に、それでいいのか? 万一君が負けたら、十中八九仕事を失うことになるんだぞ。帽子ひとつじゃあ、あまりにも釣り合いが取れない」
私の言葉にもどこ吹く風で、リライアは軽く肩をすくめてみせた。
「賭けは何も対等の条件でやるとは限っていないの。倍率ってものがあるでしょう。分の悪い賭けに挑む者は、倍率の高い払い戻しを受けてしかるべき。この賭けは私の部屋で、私の提案したビンと紙幣を使って、私が提案した方法でやるのよ。それくらいの倍率がついて、当然だと思わない? 」
「フーム……」
普通に考えたら、迷うほどのことでもない。負けても失うのが帽子一個なら、賭けてみたほうがいいに決まっている。しかし……負けたら、帽子なしでトカゲ面を晒したまま歩いて帰らなければならない。夜道とは言え、人通りが無いわけではない。むしろ、夜の闇の中からこの顔がぬっと出てきたら……要らぬトラブルを引き起こすのは目に見えている。
しかし、私は迷いを振り払い、顔を上げた。負けると決まったものでもないのだし、ここは覚悟を決めるしかない。
「結構。その賭け、受けよう。私の帽子と、君の仕事とだ……しかし、もう1つだけ」
私は指を伸ばし、山から数枚の紙幣をつまみ取ると、ビンの周りに並べた。リライアは興味深そうに見守っている。
「これは、何のおつもり? 」
「そう……壁、かな」
私は紙幣の並びを円形に整えながら答えた。
「イカサマを防ぐ「壁」さ。風の魔術か何かを使って紙幣を叩き落そうとしたら、この「壁」が動くから分かる。お互い、フェアにやろう。この紙幣の輪が崩れないよう、ゆっくりと引き抜くんだ」
「結構。何だったら、その輪を崩しても負けっていうことにしましょうか」
私に見据えられても、リライアは余裕の笑みを崩さなかった。何を企んでいるのか――彼女の性格上、何のイカサマも仕組んでいないとはちょっと考えられなかった。気を付けなければならない。彼女の指先や目線に油断なく注意を払いつつ、私は言葉を返した。
「決まりだな。それじゃ、どっちから先に始める? 」
「差し支えなければ、私から。落とした時点で負けな以上、先攻の方が不利ですもの」
2本突き出した指をひらひらと振り、リライアは目配せした。私は無言で頷く。まずは、相手の出方を窺おう。怪しい動きは欠片も見逃さぬよう、十分に気を付けながら。
リライアはテーブルに左手を突き、椅子からぐっと身を乗り出して、紙幣束から真ん中ほどにある1枚をつまんだ。緑色をした、バザール紙幣だ。財力に余裕のあるバザールが発行した紙幣なので、紙の質は良い。ざらついておらず、滑りがいいのだ。それを狙ったのか。私が息をつめて見守る中、リライアはゆっくりと紙幣を横にずらし、引き抜いた。
紙幣束はビンの口の上で揺れ――とどまった。
「結構、スリルあるでしょう? 」
額にしっとりと汗を滲ませながら、リライアは言った。
「さあ、次はあなたの番よ」
私は思わず帽子を直しかけ、かぶっていないことに気付いて右手を手持無沙汰にさまよわせた。どうも調子が狂う。テーブルに置かれた馴染みの帽子を横目で一瞥し、右手の手袋を外す。純粋人類と違って汗をかかない分、不意に手が滑ったりというリスクは小さいが、鱗が生えているせいで感覚はやや鈍い。自分でも、どれくらい上手くやれるかは分からなかった。
リライアを真似て、緑の紙幣を選び出す。横から束を眺めて、上に乗った紙幣が少し折れ曲がっているものを選んだ。これなら引き抜きやすいはずだ。
少しだけ引っぱってみて、圧力の強さに驚く。紙切れが乗っているだけだというのに、指先で引くとこんなにも重みを感じるものか。たじろぎながらも、私は紙幣の端を左右にずらし、徐々にバザール紙幣を抜きだしていき――引き抜ききった。
「お見事……第一回戦は引き分けね」
からかうようにパチパチと拍手したリライアを、私は手のひらを向けて制した。
「あまり手を動かさないで。風で束が崩れる……さ、君の番だ」
「はいはい。じゃあ、ちょっと大胆に行こうかな……」
リライアは言いながら、無造作に1枚の紙幣をつまんだ。大判の、商工ギルドが発行した信用手形だ。ひっかかりの多そうな灰色の紙で出来ている。おいおい、大丈夫なのか――と思うが早いか、リライアの手が稲妻のようにしなり、手形を引き出した。
紙幣の山は渦を巻くようにねじれ、ビンの口の上で落ち着きなく揺れ動いた。私たちは、その動きを固唾を飲んで見守った。倒れるのか? どうだ? 見守っているうちに揺れは次第に弱まっていき、ほとんど見えなくなり、そして……止まった。
リライアはほうっと長い息を吐きだした。
「どうなることかと思ったけど……こうじゃなきゃ、バクチじゃないわよね。さ、お次をどうぞ」
うやうやしく手を差し出されて、私は思わず低く唸った。紙幣の山は危なっかしく傾いていて、ちょっと指を触れただけで崩れそうだ。どうしたものか……と、私はねじれた断面の中に、緑色の面が広く出ているのを見つけた。先ほどリライアが引き抜いた所のちょうど真下あたりに、バザール紙幣がもう1枚挟まっている。これが引き抜きのショックで、かなり束からはみ出しているのだ。
これしかなさそうだ。私は大きくはみ出たその紙幣をつまみ、出来る限り紙幣束の傾きを元に直すような方向へとゆっくり引き始めた。
その時――私は指に、ほんの少しだけ違和感を感じた。何か小さな生き物がノックしたかのような、微細な振動。それを頭で理解するより早く、紙幣束は音も立てずに崩れ落ちていた。私はバザール紙幣を2本の指でつまんだまま、バカのように口を開けてその光景を見つめていた。
テーブルの向こう側から、息の音がした。間断なく吸って吐き出される、小刻みな息遣い。やがてそれはさえずるような声となり、徐々に大きくなって、笑い声へと変わった。リライアは笑い、笑い、笑った。その声は絹を引き裂く音のように甲高く、耳障りだった。先ほどまでの、鈴を転がすような声とは大違いだ。私は声も上げられず、まだバザール紙幣を持ったまま、体を二つに折って笑うリライアを見つめた。
ひとしきり笑った後、ぜいぜい言う息の下からリライアは苦しげに言った。
「……ごめんなさい、でも、あんまり楽しかったもんだから」
「……何か、やったんだな」
私は顔をしかめて言った。リライアは余裕に満ちた驚きの表情を作ってみせた。
「あら、分かったんだ? 」
「ほんの少し……指先に何かを感じた。紙幣の束を、何かが押し崩したような」
リライアはにっと笑い、私に向かって右の掌を突き出して見せた。手の中は空っぽ――と思った次の瞬間、親指と人差し指の間に、爪楊枝ほどの小さな魔導杖が出現していた。
「マジックで言う、パームってやつ。手のひらの中にものを隠すのね。使わない時は、エリの中に隠してる。それをこうして、指の股に挟んだり、手のひらの中に隠したりして、こっそり使うわけ」
私は呻いた。やはり、風の魔術か。しかし、紙幣で作った円はまるで動いていない。風を外からぶつけたわけではないのだ。ならば……。
「ビンの中か」
私が呟くと、リライアは同意を込めてブルーの瞳をくるりと動かした。
「あらかじめビンの中の空気を、風の魔術で圧縮しておいたんだな――魔術が解ければ、風が吹き出す。束がしっかりしているのに急に崩れたならイカサマはあまりにも明白だが、束が崩れた状態だったうえに引き抜く瞬間だったら、ちょっと分からない。魔術の光は、ビンに反射したランプの光で包み隠す。何もかも、計算ずくだったってわけだ」
「頭は、悪くないのね。組合の仕事を任されるだけあって」
悪びれた様子も無く、リライアは言った。
「でもねえ、今になって言い出しても遅いのよね。確かに私は魔導杖を持ってる。風の魔術も使える。あなたは、紙幣が崩れる時に何かの力を感じたような気がした。でもそれだけじゃ、何の証明にもならない。勝ちたかったら、私がビンを取り出して魔力を込めている時に指摘しなきゃならなかったのよ」
リライアは楽しげに言い、テーブルの上から私の帽子を取りあげると、ふざけてひょいとかぶってみせた。
「約束通り、これは頂いておくわね。楽しい夜だったわ。お話も楽しかったし、軽い勝負も出来たし……また、遊んでくださるんでしょうね? 」
私はぐっと言葉につまり、帽子の下に隠れたリライアの顔を睨みつけた。彼女はどこまでも無邪気に、帽子の縁をつまみ、唇だけで笑っていた。
私は唇から張りつめた息を抜き、立ち上がった。
「……そう、もちろん、またやるさ。近いうちにね。今度は負けやしない。その帽子も取り返すし、君も『笑う狼』から出てってもらう……約束しよう」
リライアの笑みが、ひときわ大きくなった。
「ねえ、気づいてる? あなた、まるでいっぱしのギャンブルジャンキーみたいなこと言ってるわよ」
私は答えなかった。右手の手袋をはめ直し、その手で帽子を直そうとして、やめる。出口でもう一度だけリライアの笑顔に鋭い一瞥をくれると、私は夜の通りへ出た。
寒い季節はまだ遠いというのに、夜風は、今までにないほどに冷たかった。




