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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 稲妻の歌を聴け ~
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第6話(2)

 眠らない街並にようやく疲れが見え始める刻限。太陽苔は朝の光を静かに蓄えはじめ、酔漢たちは思い思いの夢を抱きながら泥のような体を引きずって歩く。そんな通りを、すっくりと伸びた足が2本、斬り進むようにして歩いていた。

 黒いスラックスに包まれた、針のようにすらりとした脚。背筋は伸び、ほっそりとした腰と豊かな乳房は疲れを微塵も感じさせぬ様子で溌剌と揺れていた。プラチナブロンドの髪は降ろされ、耳元でまとめられてつややかな光を放っている。バカみたいに口を開けて見入ってしまいそうになるのを何とかこらえ、私は物陰から進み出た。


「こんばんは、いい夜だね……一人かい? 」


 リライアは足を止め、私の方を見た。不思議なものでも見るような顔だった。警戒心はないようだが、別にそれは私の男性的魅力のお蔭ではなく、単に私の意図が分からないからのようだった。


「驚かなくたっていい、害意はないからさ。見ての通り、私はいたって善良な男だ」


 私は鋭い歯を剥きだして、人懐っこく見えるよう精いっぱいの笑みを送った。有難いことに、リライアは動じなかった。かえって微笑みさえ浮かべ、私の顔を見つめて次の言葉を待っていた。


「そう、いい晩なのは、わざわざ教えていただかなくても分かるわ。それで、他に言う事は? 」


 深く誘うようなブルーの瞳にたじろぎつつも、私は帽子のひさしを気障に下ろし、その下からリライアの目を見て答えた。


「そうさな……ちょっと、話でもしてもらえないかと思ってね」


「お話? こんな夜中に、わざわざ仕事帰りのひとを捕まえて……よほど、面白いお話なんでしょうね」


 そっけない口調で返すリライアに、私は慌てて食い下がった。


「いやいや、誤解を避けるために言っときたいんだが、これは陳腐な口説き文句とかじゃなくてね。そうさな、バルナバス・ボルゴの代理と言ったら、ちょっとは興味を持ってくれるかい? あるいは、レフ・ワーグゼンから話を聞いて来たと言ったら? 」


 夜の闇で、はっきりとは見えなかったが――私を見つめるベイビーブルーの瞳が、一瞬小刻みに揺れたような気がした。リライアは桜色の唇からふっと息を吐くと、その唇をゆっくりと曲げ、蠱惑的な笑みを作った。


「……ちょっとだけ、面白くなってきたかもね。どう? 今からじゃあ開いてるお店も少ないし、私の家に来ない? 飲み物くらいは出せるけど」


 私は思わずリライアの顔を見つめた。


「そりゃ、願ってもない話だが……本気で言ってるのか? 」


 リライアは謎めいた笑みをひるがえし、答える代わりに私の前に立って歩き出した。どうやら、ついて来いということらしい。


「どうなさったの? 楽しいお話をしてくださるんじゃなくって? 」


 私が呆然としていると、リライアは振り返り、白い歯をこぼして笑った。私は肩をすくめ、首筋にまとわりつく緊張感を無理に振り払いながら歩き出した。毒を食らわば皿まで――しかも、この毒はとびきり甘い。食らい甲斐もあるというものだ。


 彼女の家は、琥珀通りを奥へ奥へと進み、表通りから少し入った、うらぶれた小路地に面したアパートだった。少々意外だった。カジノでの華やかなイメージとはかけ離れた、質素でわびしい住まいだ。私の怪訝そうな顔を見たのだろう、リライアは苦笑しながら言った。


「住むところなんて、どうでもいいのよ。大体の時間はカジノで仕事してるか、酒場かどこかで時間を潰してるかなんだから」


 2階に上がり、私は導かれるままにリライアの部屋へあがっていった。鍵を開け、獣脂式ランプに火をつけると、部屋の中が黄金色の光に照らし出された。建物の外観と同じく調度も質素で、白けた色の壁紙に、テーブルが一脚と椅子がいくつか。あとは小さな衣装ダンスが壁際にひとつあるきりだ。とても、女性の部屋とは思えない。

 リライアはテーブルの上に吊るされた小型ランプにも火を入れ、私に椅子をすすめた。座りながらふとテーブルの上を見ると、何やら紙の束がどっさりと積み上げてあるのが見えた。書類の束か――いや、それにしては一枚一枚が小さい。メモ帳か? 近くに寄ってよくよく目を凝らし、私は息を飲んだ。


 それは、紙幣の山だった。バザール紙幣に組合の出している信用手形、外界の紙幣にいたるまで、ありとあらゆる紙幣が無造作に紐でくくられ、投げ出されている。額は……少なくとも、100万ではきかないだろう。目を丸くしていると、酒瓶とグラス2個を手に近づいて来たリライアが、私の顔を見て笑った。


「けっこう、悪くない眺めでしょう? カジノで働き始めてから、貰った給金……使い道がないから、積み上げておいてるのよ」


「こんなに無造作に……不用心じゃあないかね? 」


 私が言うと、リライアは鈴の転がるような声を上げて笑った。


「ここは古いけど、一応組合の息のかかった建物なの。匿っておきたい人間や、拘束しときたい相手がいる時なんかに使うんだって。まともな神経を持った泥棒なら、そんな所へ盗みに入ったりしないわ。

 それに……持ってくなら、持ってってもらってもいいのよ。どうせ使いやしないんだし」


 私は呆れかえるしかなかった。カネに興味のない相手だとは予想していたが、ここまで無頓着とは。


「カネが要るからギャンブルをやっているのかと思っていたが、違うんだね」


「そうは見えないでしょうけど、私ってこれで、カネのかからない女なのよ」


 リライアはグラスにウィスキーを注ぎ、炭酸水の入ったボトルをテーブルの真ん中に置いてから、グラスの一つを私の方へ押してよこした。自分も残ったグラスを取り、椅子に座る。ウィスキーの量は指2本分ほど――どれくらいに割るかは、こちらにお任せというわけだろう。リライアはグラスを揺らしながら、挑発的に笑った。私は不敵に笑い返し、()のままのウィスキーをひと口だけ舐めた。


「勝負のための勝負、ってわけかい。しかしそれじゃあ、裏切られたレフは納得しないだろうに」


 レフの名を出すと、リライアの瞳はすっと濁った。冷たい目だった。侮蔑よりも嫌悪よりも冷たい、無関心を湛えた目だ。勝負するカネも技術ももはやない相手は、彼女にとってはゼロに等しいのだ。


「一体どこからレフの名前を? 私でさえ、ここ2年ばかりは思い出すことも無かったのに」


 リライアに言われて私は気づいた。彼女は、昨晩『笑う狼』で勝負した深層の証人クグナ=クと私が同一人物であることに気付いていないのだ。当然、横に座っていたレフと私に面識があることも、彼があの後私を呼び寄せて「提案」をしたことも知らない。これは、注意して話を運ばなければ――咳払いをして、私は答えた。


「そりゃ、人の口に戸は立てられないってやつでね……少し調べれば、君の過去のことくらい探り出せる。それに、レフ・ワーグゼンが『笑う狼』の裏カジノへ現れたって話も聞いてるんだ。どうだい、彼とはまだ、つながりがあるのか? 」


 私はわざと的外れな質問を投げかけてみた。リライアはバカにしたようにフンと鼻で笑った。


「あっちから願い下げでしょうよ、彼としてはね。

 そうね、レフには悪いことをした……んでしょうねえ、やっぱり。未だに、実感はないんだけど。だって、確実に勝てるって目があったなら、考えるより先に飛びついてしまうのが私たちみたいな人種の習い性ですもの。私が騙して、彼が騙されたのは、言っちゃあ悪いけれど彼より私の方が優れていたから――本音を言えば、それだけのことだと思ってるの」


 リライアの口調は無邪気であり、また真摯でもあった。この娘は、本気で言っているのだ。私は背筋に冷たいものを感じつつも、グラスのウィスキーをひと嗅ぎし、咎めるように言葉をかけた。


「それが君らのルールだとでも言うつもりかい? 騙された方が悪い、弱肉強食の世界――もし君が裏を書かれて負けたとしても、それで納得できるってのか? 」


「そうねえ……私が、負けたら、ね」


 リライアは夢見るような目で宙を見つめた。唇は薄く開き、恍惚とした笑みを形作っていた。天井から下がった小型ランプの光が、ブルーの瞳を妖しく燃え立たせていた。


「結局、それが目当てなのかもしれないわねえ……勝つために、頭を絞って方法を考えて、腹をくくってギリギリの賭けに挑んで……その挙句みじめに負ける。結局、最後はそういうことになるはずなのだけど……少しだけ、思うのよ。その光景を見てみたいって。私を打ち負かす人間の顔を見たい。だから私は明日もカジノへ行って、待つんでしょうね。下らない勝ちを積み重ねながら」


 私は低く唸った。ついていけない――それでいて、ついフラフラと覚悟もなしについていってしまいそうな魅力も、その瞳にはあった。首を振り、ウィスキーをもうひと口呑んでから、私は言葉を返した。


「だったら、あの話には乗らないという事なのかな? ほら、表のカジノへ引き抜かれるって話があっただろう? 」


「ああ、あれ」


 リライアはあからさまに細い眉をしかめた。


「ナンセンスではあるわね。見世物になるために鍛えた技術じゃあないのよ。私がしたいのはあくまで勝負――身を削りあうような勝負なの。裏カジノから、離れるつもりはないわ。あの人――ベルーニさんだったかしら? 彼が困るのも、見ていて面白いし」


 牙を剥きだすように口を曲げた後、リライアはふと思案するような顔になった。


「でも……あんまり追い込んで、闇討ちでもかけられたらつまらないわよね。そろそろ組合(フッド)も思い切った手段に出るつもりなんじゃないかとは思ってたのよ。組合(フッド)が相手だからって、恐れ入って身を引くつもりはないけれど、勝負を楽しめなくなるのはまっぴらだわ。どうせなら、長く楽しみたいし……ちょっとした逃げ場としては、見世物小屋も悪くないかもね。

 ねえ、あなたはどう思う? 」


 リライアの口調は、からかっているようでもあった。煽っているのだ。「負けないディーラー」としての評判が、彼女の切り札だ。そのカードは依然として彼女の掌中にある。それを思い出させて、こちらがどういう札を切ってくるかと面白半分に眺めているのだ。


「私か……私は、もうそろそろ面倒になってきたよ」


 ため息とともに私は言った。


「どいつもこいつも、勝手な事ばかり言う。別に譲ったっていいところを、頑固に譲らない。組合(フッド)のメンツ? ギャンブラーの誇り? どうだっていいじゃあないか、そんなもの……何だって、譲れないんだ、君らは」


 帽子を深くかぶり直して愚痴る私を見て、リライアはおかしそうにクツクツと笑い声を上げた。


「そうねえ、確かに、ちょっと面倒なことを言ってるのかもね、私」


 何か腹に一物隠していそうな顔で、リライアはゆっくりと言った。


「だったら……ねえ、もっと簡単な方法で決着をつけない? 今、ここで」


「ここで? 」


 帽子のひさしを上げ、見ると、リライアはいつの間にかぐっと身を乗り出し、私の瞳をまともに覗きこんでいた。ベイビーブルーの中に、ランプの光を後光のようにまとった私の姿が見えた。


「そう、ここで……賭けをしてみない? 」

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