38 退位
大変ご無沙汰しております。
あと数話で完結致します。
赤い絨毯の上を音もなく走る男たちがいる。
先頭の男は無駄のない動きで廊下を進み、迷うことなく最奥にある国主の寝室に向かっていた。途中に障害物は無く、王宮内は静寂に満ちている。2番目を走る男が不安そうに辺りの気配を探りながら口を開いた。
「…………おい、なぜこんなに人が居ないんだ?」
「準備で出払っていた所に侵入したんだ、どいつもこいつも逃げ出したんだろ。この国はすっかり脆弱になっちまった」
先頭の男は前を向いたままにやりと笑った。2番目の男は納得できず話し続ける。
「それにしたって、ここまで居ないなんておかしいだろう。何か罠が、」
その先の音はしなかったが、背後から突然光と熱風が吹いた。
先頭の男が振り返ると、先ほどまで口を動かしていた男を含めて後方が炎に包まれていた。
「…………馬鹿な、炎だと?」
先頭の男は後方を呆然と見つめたが、ふと行き先を振り返ると、二人の人影が見えた。
二人とも見覚えがある。先頭の男は“みみずく”で運搬係をしていたのだから。
少女は黒い瞳を細め、にたりと笑った。
「ま、さか、本当に、」
言い切る前に、彼の視界を炎が支配した。
とある義賊でナイーブと呼ばれた男はその光景を目の当たりにして息を呑む。轟々と燃え上がる炎に一瞬気を呑まれていたが、侵入者達が倒れている姿を見てふうと息を吐いた。
「気を抜くな、ジョイス。あれは主犯ではないだろう」
アリスが呆れたように声を掛ける。ジョイスはひくりと頬を引き攣らせた。
「魔術で人間を攻撃する日が来るなんて、思っていなかったんだよ」
「腑抜けか。そんな風だから魔術師は根暗研究バカなどと陰口を叩かれるんだ。いざという時国民を守れずに何のための魔術なんだよナイーブ」
「うるせえ!……しかしまあ、唯一の炎使いがおまえで連中は命拾いしたな。まったく、才能っつうのは恐ろしいもんだよ」
ジョイスは目の前の光景をぼんやりと眺める。
炎に包まれた男達は誰一人黒焦げになることなく、廊下に倒れていた。ただ煤が広がり、廊下全体に焦げ臭さが充満していた。
アリスはつまらなそうに鼻で笑う。
「甘いだろうが義兄上の願いだからな。ものを燃やすより面倒だが」
「身の内にある魔力を燃やすだなんて聞いたことないぜ。精神崩壊させちまったんじゃないのか?」
「本人の生命維持に関しては問題無い。子孫繁栄には無縁の生活になるだろうがな」
「……」
「王族の生命を狙ったんだ、無罪放免というわけにはいかない」
肩を竦めるにアリスにジョイスは苦い表情を浮かべた。
そして、
「おや、もう終わってしまったのですか。流石は野蛮な父君の血が流れているというもの」
高圧的な声と共に男が現れた。
「随分遅い登場だな?見ていただろうに、わたしの魔術から守ってやらないとは薄情な男だ」
「御冗談を。あんな桁外れ、守るこちらが余計な怪我をするだけです」
「そうだな、わたしが相手では得意の幻術は使えないだろうし。なあ?ウェル。……いや、レザウェル・セントセリス子爵代行」
アリスはにやりと笑って目の前の長身の男を見た。男は黙ってアリスを見つめ返す。
「セント・ラ・ルーアの分家、病床の父の肩書きを利用し、自らの魔術を隠そうともせず。よくもまあ一座の中で振る舞っていたものだ」
「そちらこそ、わたしの正体を知ってなお懐に入れ収入原とするなど、正気の沙汰とは思えませんがね。……しかし、学園の同胞がいるとは思わなかった。しかも腰巾着とは」
ウェルはちらりとジョイスを見やる。ジョイスは不機嫌な表情を隠さないままだった。
「王家に従うジョイスを辱める発言は許されない。魔術学園に従わないおまえが規律から違反しているんだ。己の力量が判断できていないようだな、レザウェル・セントセリス」
アリスは真っすぐにウェルを見た。
「貴殿は魔術師の監督義務を持つガーネット公爵家からの再三の警告を無視し、果てに国主の権威を脅かしている。よってガーネット魔術学園卒業名簿から名を削除し、この場を持って歴史から存在を消す」
「消す?あなたが?謀反人に生ぬるい制裁しかできないというのに?一体誰がそんな権限をあなたに与えたと……」
ウェルは口を噤み、目を見開いた。
「まさか」
「忘れてしまったのか?黒い瞳の意味を。おまえは随分遠い場所に来てしまった。おまえの判断だとしても、その判断を変えられなかったのはわたしたちの責任でもある。ガーネット公爵家は国主に仇成すものを全力で排除する。そのように我々が決めたからだ」
「全て、知って」
「よくばれていないと思っていたと逆に関心するよ。まあ、もうおまえたちの役割は終わった。手を引く準備をしてやろう」
ウェルの瞳に絶望の色が滲んだ瞬間、炎がその身体を包んだ。
リオルドが両手足を拘束した男を連れてきた時には、概ねのことが終わっていた。
壁や天井は煤により黒く色を変え、廊下には近衛ではない人間が複数倒れこんでいる。
「遅かったじゃないか。もうおまえの出番は無いぞ」
ランスレッド王の寝室の前で、腕を組んで立つアリスがリオルドに声を掛ける。
「そのようだ」
「随分重たい荷物じゃないか」
「……仕方ないだろう、連れてこなければ」
「何、焼却処分すれば誰も困りはしない」
「それもそうか」
「おいリードやめろ。アリス様も落ち着いてください、一応尋問しなければなりませんから」
「ふん、仕方ない」
アリスはむくれたままランスレッド王の寝室に入る。
寝室ではランスレッド王がベッドの上からぼんやりと入室者たちを迎える。
「しかし、派手にやったな……。廊下はおまえの仕業だろう?」
「出し惜しみする必要もあるまい。あいつらこちら側に炎使いがいるなど思ってもいないからな。まあ当然だな、公開されていないし」
当事者であるアリスはくつくつと楽しそうに笑った。
アリスには双子の黒い瞳であるとともにもう一つ重大な要素があった。
アリスは歴史上数名しか確認されていない炎の魔法属性だ。魔力の暴発は国家の危機にも繋がる。そういった事情もあり、すぐにオニキス公爵家が養子として迎え入れた。
「しかし、ウェルの奴も中途半端な男だ。あれだけ国家反逆に携わったのに権力に興味が無いなど。だが幻術とは良い応用だったな。オニキスの爺たちに任せれば大丈夫だろう。……義の集団など馬鹿馬鹿しい、あれこそ愉快犯だろうにな」
「あんただってランスの政敵の財産狙って襲撃してたじゃないか」
リオルドがアリスに言うと、アリスは鼻で笑った。
「おまえもウェルと同じことを言うのか?わたしはもちろん犯罪者になるつもりで兄上の依頼を受けたぞ。略奪行為に正義の名を付けるなど愚かしい。本当の正義は汚職の証拠を並べ立てて関係者に洗いざらい吐かせ、最後に財を搾り取って免職させることを言うんだ。わたしが行ったことはその場しのぎの犯罪に過ぎないし、そのために“みみずく”を創ったのだからな」
アリスはランスレッド王に向き合う。王は落ち窪んだ瞳で異母妹を見上げた。
「身内に犯罪者になれとは良く言えたものだ、兄上。これに加えてわたしに王位を押しつける気なんだろう?」
「そうだよ」
ランスレッド王は苦笑しながらアリスを見上げる。
「今まで悪かったね、アリス。とても助かった。軍の無能さと俺の治世の悪さを存分に発揮してくれたよ。金食い虫を駆除するきっかけもできたし、回収した財で東部支援もできた。もう、十分だろう。ランスレッド王の統治は」
ランスレッド王はリオルドに目を向けた。リオルドは何かを耐えるように唇を噛みしめ、懐から王家の家紋を取り出しアリスの首に掛けた。
「これでいい。おまえが俺の立場やリオルドの立場を散々考えてくれて、それで俺の案を受け入れてくれたんだ。感謝してるよ、本当に。だから、これでいいんだ」
アリスは家紋を手に持ったまま異母兄の顔をじっと見つめた。
「俺もリオルドも器じゃないんだ。それなのに俺は順番でなってしまった。……イレリア王家は魔術の一族。一度振り返るべき時なんだろう」
ランスレッド王は枕元に置いていた剣を両手で持ち上げ、アリスに捧げた。
アリスは黙って剣を見つめていたが、諦めたように溜息をついて剣を取った。
ランスレッド王は嬉しそうに笑ってアリスの頭を撫でた。
「おまえならできるよ、アリス。……無理させてごめんな。ありがとう」
アリスはランスレッド王の手が落ちるまで、黙って頭を撫でられていた。
「さて、時間だ。ジエルク」
「はい」
「今までありがとう。アリスをよろしく頼むよ」
「……御心のままに」
ランスレッド王は鷹揚に頷いてベッドに沈んだ。
リオルドが枕元に向かおうとすると、アリスがぐいと腕を引っ張った。
「おまえはこっちだよ、ほら」
「何言ってる、俺は」
「変更だって言っただろう、リオルド」
ジエルクもアリスと共にリオルドを連れ外に向かう。
「あにうえ!」
ベッドの住人はひらひらと手を振った。
「倖せにおなり。おまえにはその義務がある」
ランスレッド王は笑って三人を見送った。
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