31 異界
お久しぶりです。
「面倒なことになった」
つい昨夜のことを思い、キルダは円形のテーブルを前にため息をついた。テーブル上には魔術で引かれた線が幾重にも重なり、陣が組まれようとしている。
ここは東の領内、避暑地に使われる湖のほとりの小さな邸宅である。イーストロジー伯爵家の別邸だが、今の時期に避暑地に来るものなどいないので間借りしている。
キルダはゴーレン配下の騎士たちが屋敷を襲ったその日、執務の一切を公爵家臣下に託して首都を出た。当主としてあるまじき行為だが、オニキス公爵家は正式な当主を持ち続けることの方が稀であるため慣れたものだ。なんとかなるだろう。
「キルダ様、諦めてはなりませぬ。このような横暴な振る舞い、いくらイレリア本家とはいえ納得できませぬ」
目の前の黒服を纏った男は苦々しく言う。
ガーネット魔術学園の卒業生であり、故郷に戻って魔術師として働く男である。一時期オニキス公爵家で学びを受けていたこともあり、キルダとは親しくしていた。
「キルダ様とてイレリア本家の血を継ぐ方。それをなぜ」
「言うな……。全く、男の嫉妬ほど醜いものは無いな」
「は?」
「いいんだよ、ゴーレン従兄にとって、俺は邪魔でしかない。火の粉が飛んでくるのもご免だしこのまま消えてやろう」
昨日の夜から考え続けていた移動魔法陣を組み上げ、キルダは軽く伸びをした。
「とはいえ、この世界には居られないな。今後のためにも異界に渡るのが得策だろう」
「異界、など」
男は目を見開く。魔術師として、オニキスの前当主としてあるまじき発言だった。
この世界の魔術において異界に渡る術は研究済みだが、相当量の魔力を必要とする。また一度渡ると元の世界に戻れる確証が無い。召喚術に関しても然りで、人権問題から研究すら禁止されている。
オニキス公爵家の当主は全ての魔術に通じており、術として完成させるのは可能であったが、実行するには危険すぎるものだった。
「俺はどうなっても良い。問題はこの後生まれる未来の国主たちをどう守るか、だ」
「未来……先見をしたのですか?」
「いや、夢で北の姫に聞いた」
「まさか、アムリバ国の眠り巫女ですか?」
「ああ。黒眼を預かるのはオニキスの勤め。だがもし二人だった場合は話が違う」
「二人……双子?まさか!ありえませぬ!!一人の人間の魔力を吸って二人の黒眼が成り立つなど!!」
「そうだ、だからこそ問題になる。きっと赤子は母親に蓄えられた魔力を吸い尽くして生まれるだろう」
それはつまり母体への影響が相当なものになるということだが、あえて二人は触れなかった。
「オニキスの者にも伝えたが、彼らが公以外で動くと目立つ。おまえには産屋で控えていてもらいたいんだ。どちらかを王宮から連れ出し、俺の元に届けて欲しい」
「そんな、私ごときの魔力ではとても」
「これを使ってくれ」
キルダは腰に吊っていた布袋を男に手渡した。男が布袋をそっと開き、震える手ですぐに閉じた。
「まさか、これは」
「この10年かけて俺の魔力を溜め込んだ魔石だ。それだけあれば、期間制限付きで往復分は賄える。おまえは道筋をつけてくれれば良い。20年も持たないだろうが、それだけの時間があれば足元も固められるだろう」
男は布袋を握り締めて震えていたが、やがて瞼を閉じた。次に開いた時、彼の瞳は凪いでいた。
「かしこまりました。必ずや」
「頼んだ」
その日から3日後、13代国主ゴーレンからキルダ国外追放が命じられた。
キルダは夜その報を聞き、そのまま湖の中に身を投じた。
湖の底に掘られた魔法陣は一瞬輝き、それから飲み込んだ人間を浮かび上がらせることは無かった。
さらにその翌年、赤子を乗せたゆりかごが湖に漂っていた。月も無い夜に湖が一瞬輝き、ゆりかごは跡形もなく消え去った。
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