ナイトドレス
本音を全てをウィスターにぶつけたことで、イリヤの気持ちはかなり楽になった。
「面倒な恋人になっていい」と言ったマーヤの理論が図らずも採用された形だったが、ウィスターは本当に受け止めてくれた。
それだけであっさりと機嫌が良くなる自分も腹立たしいが、本当なので仕方ない。
ウィスターはイリヤがもういいというまでずっと抱きしめて、頭をなで続けた。
片想いを引きずっていたのはイリヤだった。
ウィスターは謝ってくれていたが、イリヤ自身の問題もあった気がする。
それでも、せっかく謝るウィスターを前にしたので、「いかにも機嫌を治したてですよ」という表情を取り繕った。悲しかったのも辛かったのも寂しかったのも本当だ。多少甘やかしてもらうくらいバチは当たらないだろう。
そうすると、イリヤには今度は別の悩みが出てきた。
(私って、子どもっぽすぎない?)
思い返せば返すほど、ウィスターは大人だった。
一方的に怒るイリヤに怒り返すこともなく、ただ黙って話を聞いて、ほしい言葉をくれる。
人生経験が違うのはもちろんだが、ふとそういう時に思い出すのがやはりケイト嬢だった。
彼女が同じ立場だったとして、イリヤみたいに嫌味を言って、一方的に立ち去るようには思えない。
翌日わざわざウィスターが来て、根気強く待って、やっと自分の気持ちを話せたイリヤとは違う。
素直に話して、冷静に話し合えるのではないかと思う。
そして、このままじゃいつまで経っても子ども扱いされてしまう。
自分の体を見る。
もうすぐ十八歳になるとはいえ、ドレスの裾から伸びる手足は細くて少年みたいだ。いくらか成長したとはいえ、色気がある体つきとも思えない。おまけに左肩の後ろにはまだ生々しい傷跡。
(中身も子どもっぽいのに、外見まで子どもっぽいなんて困る…!)
イリヤは基本的にお洒落が好きで、アクセサリーやドレスもころころ変える。けれど、幼い頃から一緒だったウィスターは見慣れているだろう。
長い髪の毛はマーヤに色々結ってもらうけれど、これもやっぱり見慣れていそうだ。
大人っぽい格好ってどんなだろう。
そう考えた時に思いついたのは、新しいナイトドレスだった。
ナイトドレスも何着か持っているが、どれも袖のある、寝やすい生地の、長い裾。
もちろんリボンやフリルも付いているけれど、大人っぽいデザインとはまた違う気がした。
かくして。
「…………こんなの、どうかな」
届いたばかりのナイトドレスは、今までとは全く違うデザインだった。
改めて見ると、その無防備さに驚いてしまう。隠しているのなんて、ほとんど胸から太ももだけだ。あとは透けていたりそもそも布がなかったり。
恐る恐る着て鏡を見る。
見慣れていないから不自然な気もするが、似合っているのかいないのかも分からない。
肩はノースリーブで丸出しだ。傷跡も丸見えだけれど、どうせウィスターからは見えない。
ぱっくり空いた胸元はレースで飾ってあって、どこか涼しい。
腰のリボンを結ぶと、ウエストがきゅっと強調される。
ドレスは太ももまでは隠してくれるが、膝上から先は薄手の生地でほとんど脚が透けている。
着るだけでドキドキした。
(これ、見たらなんていうかな)
ちょっとは大人に見えるかな。十八歳なんだし、いいよねこのくらい。
私いつまでも子どもじゃないの、分かってる?
そんな気持ちで、合図を待った。
*
合図が来たのはすぐだった。
カツン
といつもの音がして、緊張しながら窓を開ける。
春の夜、けれど暖かい。いつもと違う、何も身体を守ってくれないナイトドレス。
いつものハンカチと花を拾い上げて、おずおずとテラスのへりに身を乗り出した。
「こんば………」
イリヤの格好を見たウィスターが固まった。
これは成功したか、と内心ガッツポーズをして返事をする。
「こんばんは。お疲れ様」
「…………どうしたんですかそのひらっひらの格好は。熱でもあるんですか」
前言撤回。
そうだった、期待しても無駄だったと思い出す。
「ないわよ!ねぇ、どう?これ」
「……その格好で寝るんですか」
「もちろん」
「寝にくそうですね」
笑顔で嫌味を言ってくるウィスターに、負けじと言い返す。
「そんなことないわよ!むしろいつものより布が少なくて快適だわ。暑くなる前に買ってみたの」
「ふぅん。下から下着が見えそうなのでお気をつけて」
「えっ!!!!」
真っ赤になって反射的にしゃがみ込む。普段長い裾のドレスばかり着ているから、あまりその辺りは気にしていなかった。長いドレスばかりなのはそういう意味だったのかと今更知る。
そんなイリヤをくつくつと笑って眺めながら、ウィスターも花壇に腰を下ろした。
「…可愛いくらい言いなさいよ」
「とってもお似合いですよ。まるで絵本の中のお姫様だ」
「そんな歯が浮くような台詞ばっかり言ってて、口がかゆくならない?」
「言われてみればかゆいですね」
「何よもう!」
そう不貞腐れてしまうのはまだまだ子どもだ。作戦は失敗である。
そんなイリヤに笑みをこぼしたウィスターが話を続けた。
「ところで、殿下の誕生日なんですけど」
本当に興味ないのねこの男、とむくれたまま立ち上がって、下着が見えないように片手で押さえて、ウィスターを覗き込んだ。
「この間、二人で出かけたいとおっしゃっていたので、誕生日の二日後なら時間が取れそうですが、いかがですかお姫様」
くそう、といよいよむくれ度はマックスだ。
そんなこと言われたら、いやでも嬉しくなってしまう。
「…どこ行くの」
「色々考えたんですが、どこか行きたいところはありますか?」
「うーん」
そう言われて考えてみる。
ピクニックはこの間したし、公務でもないのに大勢の人がいるところは言い訳がしづらい。
二人で行って自然なところがいいだろうが、どこか行きたいと我儘を言ったわりにはどこも思いつかなかった。
「……二人で行けるならどこでもいい」
結局ありきたりな回答になったが、ウィスターはその言葉に微笑んだ。
「それでは、イーヴァとブラッドのところに顔を出してみるというのはどうでしょう」
「えっ!!!行きたい!!!」
その提案に一気に心が躍って、テラスから身を乗り出した。
傷を負って、避難して、よくしてもらった診療所。あの素朴な暖かさが、イリヤは好きだった。
「よかった、嫌な記憶になってたらと思ったんですが」
「山はそうだけど、二人の診療所なら大歓迎よ」
「お礼をしなければならないというのもありますし、距離的にも一日で帰って来れるし、遠出の練習にもなるでしょう」
「うん!」
「では、手配しておきます」
思わぬ予定に笑顔で頷いた。と、その時だった。
「はっ、アズライト公爵閣下!どうされたんですかこんなところで!」
見知らぬ声が割り込んできた。たまたま通りかかった兵士だろうか、少し向こうから走ってくる人影があった。
「えっ」
時が止まった。イリヤは何事かとテラスの下を見つめる。
兵士は小走りで近づいてきて、背筋を伸ばしてウィスターに敬礼をした。
「閣下お一人ですか……………え…??」
ウィスターもさすがに驚いた顔で兵士を見ていた。そのウィスターの首の向きに気づいて、その視線の先を追いかけるようにして、テラスに立って身を乗り出しているイリヤに顔が向いた。
視線がバッチリ合う。
「………?イリヤ殿下……???」
「あっ…!!」
あまり見られてはいけなかったか、と背中が冷える。どうしよう、何て言い訳しよう。
そう考えているうちに、イリヤを見上げた兵士の顔がみるみる赤くなった。
「でっ、殿下…!!!」
そう言われて自分の着ているものを思い出す。
肩を出して、足が透けているナイトドレス。
動き始めたのはウィスターが早かった。
「殿下。回れ右。早く帰って」
ウィスターが、イリヤに向けてしっしと追い払う仕草をしながら、兵士の肩をがしっと組んで後ろを振り向かせた。
「やぁ、わざわざこんなところまで見回りご苦労。ところで今見たものは忘れられるかな?」
「はっ、はい……!!!」
「ここには誰がいた?」
「アズライト公爵お一人ですっ…!!」
ウィスターは緊張のあまりカチコチになった兵士に言い聞かせて、肩を組んだまま強制的に向こうへ連れて行く。
「回れ右」
予想もしない展開をぽかんと見ていたイリヤは、振り返ったウィスターにもう一度怖い声で言われて、はっと我に返った。
「お、おおおやすみなさい!」
慌ててテラスを走り抜けて、自室に入って窓を閉める。ガチャンという音がして、そのまま座り込んだ。
知らない人に見られた恥ずかしさで顔が赤い。
「…………っ……」
結果として、大人っぽく見られたかどうかは分からない。分からないなりに、何やらまずいことをしてしまったという記憶だけが残った。




