ベッドの上で
そういえばウィスターは、初めて公爵邸に来た時も緊張したイリヤをこうやって呼び寄せた。
あの時のようにおずおずと近寄って、ウィスターの隣に腰を下ろす。
ウィスターは気取らない様子で、ウォーターボトルからグラスに水を注いで、イリヤの目の前に置いてくれた。
持ってきたお皿の上には、葡萄や林檎などの果物が食べやすい状態で並んでいた。
「わぁ…!おいしそう」
「あんまり食べれてないでしょう」
「ドレスが苦しくって…いただきます」
ここでの果物はありがたい。
葡萄をひとつ茎から取って口に運ぶと、果汁の甘さが喉を潤した。
ウィスターも隣で林檎にフォークを突き刺して口に運んでいる。
二人のシャリシャリと果物を噛む音が、やけに大きく寝室に響いた。
「あれ苦しいの?」
「ええ…背中で締め上げてて、普通のドレスより裾が長くて重いでしょう。苦しいの」
「それを一日着るなんて女性は大変ですねぇ」
「そうなのよ。ウェディングドレスって憧れじゃない。けどちょっと嫌いになったわ」
ウィスターが林檎を食べながら口を抑えて吹き出した。
きっともう着る機会はないだろうし、頼まれたって着たくないのは本音だった。
「似合ってたのに勿体ない」
そう言ってイリヤの髪がさらりと撫でられた。
腰まである長い髪を、大きな手で手櫛をかけるように撫でる仕草が艶っぽい。
ウィスターは半分無意識なのか、もう片方の手で色々と果物をつまんでいる。
最初はイリヤを気遣ってくれたのかと思ったがさては、
(自分がお腹空いてただけね…)
けれど自然な仕草にちょっと安心して、イリヤも摘みながら水を飲んだ。
「ん、そういえばレオン王太子から俺たちにお祝いの手紙来てたよ」
「そうなの、見たい!」
ウィスターが思い出したように立ち上がって、どこからか封がされたままの封筒を持ってきた。
封を開けて手紙を開いたので、イリヤも興味津々で横から覗き込む。自然にウィスターの腕が首に回されて、ぐいと引き寄せられた。
《ウィスター殿、イリヤ姫、ご結婚心からお祝い申し上げます!
正直あまりの早さに驚いておりますが、お二人が幸せになることをこの世の誰よりも確信しているのは私でしょう。
イリヤ姫はご体調いかがでしょうか。
ご無理はせずに、またお会いできれば嬉しいです。
ウィスター殿に泣かされるようなことがあればぜひご一報ください。姫の味方として馳せ参じます。
ウィスター殿、そういうことですので、まぁまた飲みましょう。それではまた。》
レオンらしい大きな字で書いてある手紙を読んで、ウィスターが顔をしかめた。
「……なんだこの手紙」
「ふふ、レオンらしいわね」
「雑な人だな」
複雑な心境だろうに、闊達な字は明るいレオンが話しかけてくるようだった。
大きな声が想像できてくすくすと笑っていると、頭のてっぺんにキスが落ちてきた。
気がつくとウィスターの肩に寄りかかるように手紙を読んでいた。頬にウィスターの手が伸びてきて、上を向かされる。
反射的に固くなってしまうのだが、それでも最初よりは力も抜けていた。
「まだ食べる?」
ふるふると首を振ると、ウィスターが微笑んだ。
「じゃ、寝ましょうか」と言ったウィスターはどこまでも自然体だった。蝋燭の火が消える。
暗い部屋に、月明かりでぼんやりとお互いが浮かび上がる。
シーツの擦れる音すらも恥ずかしくて、体の前で腕を固く閉じてしまう。
石鹸の香りと、ウィスターの匂いがふわりと鼻に届く。
頬が赤くなっているのが分かるけれど、どうせ暗いから顔色なんて見えていないだろう。
そう思って口付けの合間にうっすらと目を開けると、ウィスターの群青色の瞳と目が合った。
今まで見た中で一番距離が近い。
その凄まじいほどの色気に背中を粟立てていると、ふわりとウィスターが微笑んだ。
首を伸ばしたのでびくりと目を閉じると、いつものように額に軽くキスをされた。
「疲れたでしょ、おやすみなさい」
えっ?と思った時には遅かった。
ぽんぽんと頭を撫でられて、ウィスターが右隣に寝転がった。仰向けになって深く息をついている。
「…………??」
これが普通なのか、それとも何かが違うのかイリヤには判断できない。
何せ「手順は様々なので、あとは男性に任せれば」としか教わっていないのである。このまま任せていていいものか、イリヤには全く見当もつかなかった。
困惑した顔でウィスターの顔を見上げる。
イリヤの様子に気がついたウィスターが、額に当てた手の隙間からちらりと見下ろしてきた。
「……どうした?」
「どうしたって……え……?」
完全にイリヤだけ迷子だ。けれどなんと伝えればいいのかも分からない。
そのまま眼で訴えかけるようにじっと見つめていると、ウィスターがまた息をついた。
「……疲れてるでしょ」
「えっ?そんな理由?」
「別に無理することはないんですよ」
「無理なんて」
「ははっ、嘘つけ。怖がってる」
苦笑したウィスターが手を伸ばしてきて、無意識にびくりと首をすくめてしまう。
「ほらね」と笑って、イリヤの手を優しく取った。
そこではじめて、両手に異常に力が入っていたことが分かる。体の前で無意識に力を込めていたようだ。
「……」
「俺は嫌がる人を無理に抱く趣味はありません」
「いっ、嫌がってなんて…」
「分かってますよ。でも怯えてる」
ギシ、とベッドの軋む音がして、ウィスターがイリヤの方に向き直った。
「別に怒ったりしませんよ。時間はあるんだから、焦ることもないでしょう」
「……」
何も言えずにいると、よしよしと頭を撫でられる。
ウィスターはどこまでも大人で、余裕があって、甘くてーーそれが、イリヤの対抗心に火をつけた。
今度はイリヤから、首を伸ばしてウィスターにキスをする。少し目算がずれて唇の端になってしまったのはご愛嬌だ。
「私、ウィスターに触れられるのも、キスされるのも、大好き」
やや驚いたようなウィスターは無視して、彼の胸にすり寄った。
なぜあんなに緊張していたのか、急に分からなくなった。
彼の匂いと体温がこんなにも安心できるというのに。
首筋に顔を埋めて、目を閉じる。ただただ落ち着く、イリヤの場所。
「だからあなたに抱かれるのも、きっとすごく好きよ」
さっきまでの恥じらいが消えて、口からするりと出た言葉は自分が思っていたよりも大胆だった。
「私はあなたを求めているのに、それでも駄目?」
「……」
しばらく無言だったウィスターに肩を押されて、仰向けに戻される。
見上げると、すぐそこにウィスターの顔があった。どこか苦しげに歪んだその顔に、たまらなく優越感と満足感が走る。
「……痛いかもよ?」
「うん」
「びっくりするよ」
「うん」
「怖いかもよ」
「怖くない」
「ーーそんなに煽って、あとから怖くなっても知りませんよ」
「……うん」
シュッ、と絹の擦れる音がして、イリヤのリボンが一瞬で解かれた。
ウィスターの触れる手は、いつもより荒っぽい気がした。




