おかえり
白いドレスに、小さなティアラに、顔はヴェールで隠して。
白と青のブーケは王都の子どもたちからのプレゼント。
はちみつ色の髪はあえてまとめず、油をよく馴染ませて背中に流した。
左肩の傷が見えないように、肩から腕にかけてはレースのデザインのドレスにしてある。
王宮の正面、鐘の下。天気は快晴。
国王と王妃の玉座が据え付けられて、その隣にイリヤは立っていた。周りには王宮の人々や民衆が詰めかけて歓声を上げている。
やがて飾られた馬車が正面に到着する。
一際大きくなった歓声が馬車を包む。
外からゆっくりと開けられた馬車から彼が降りる。
群青色の騎士団の礼装に、赤の大綬と金の飾緒がよく映える。
胸の勲章も相まって、(なんか強そう)という感想がイリヤの胸に降りてきた。
騎士団の礼装など、ここまでのものはほとんど見ることがない。
しかもこの礼装は今日のために仕立てられた、この日限定のものだ。
馬車から玉座までまっすぐ敷かれた赤いカーペットの上を歩いてきたウィスターと目が合う。
少し止まってイリヤをじっと見つめる。イリヤも負けじとウィスターを見つめた。しばらくはお互い無表情のままで。
やがてふっと微笑んだウィスターが視線を外した。
国王の前に跪くと、国王からの結婚を承認する言葉が述べられる。
そしてイリヤは、父である国王の手に引かれて、足を前に踏み出した。
国王がイリヤの手を、立ち上がったウィスターに託すと、ウィスターがもう一度深く頭を下げた。
ウィスターの隣に立って、もう一度二人で礼をすると、割れんばかりの拍手が背後から聞こえてきた。
王宮の鐘が鳴り、どこかで祝砲が上がる。
国王は眉を下げて微笑んでいた。いつも感情を隠すのに。民の前で表情を見せるのは珍しい。
リハーサルで練習した動きなのでスムーズだ。ウィスターの動きも迷いなく、酒が残っている様子もない。
ウィスターの左腕を軽く掴む。
長い一日が始まった。
*
王宮の中に移動して結婚式、そのあとは馬車でパレード、結婚披露の祝宴まであったが、全ての式典はなんとか無事にこなした。
笑顔を一日顔に貼り付けて、時折ウィスターと「すごい人ね」なんて言葉を交わす。
その度に歓声があがったり、微笑ましい顔をされるのがくすぐったかった。
夕方近くなり、イリヤとウィスターは皆に見送られながら馬車に乗り込んだ。
二人の出番は終わりで、公爵邸へと戻る。他国からの賓客も大勢来ている祝宴は遅くまで続くだろう。
「大丈夫?」
馬車に乗り込んでも笑顔を浮かべたまま、ウィスターが尋ねてきた。
王宮から公爵邸までも民衆の人目がある。
時折手を振り返しながらイリヤも答えた。
「緊張であんまり覚えてないわ…挨拶に疲れたし」
「……ははっ」
「なによ」
唐突に笑われてウィスターを見上げる。
「……いや。覚えてなくてよかったですね。祝宴の挨拶間違えてましたよ」
「えっ!?嘘!本当!?」
「はい」
思わず顔が真っ赤になってしまう。イリヤの自認としては完璧にこなしたつもりだった。
祝宴の終わり際、主役からの挨拶としてイリヤも出席者の前で口上を述べた。
何を言うか決まったもので、練習もしていた。
「何て言ってた?」
「俺のことをウィスター・アレキサンドって言ってました」
「ええ……それは……」
本当だとしたら本物の失敗である。
疲れもあるし、結婚式の後はイリヤはアズライトと名乗らなければならない。
家名を間違えないように気をつけたつもりだったが、まさかウィスターを勝手に輿入りさせていたとは思わなかった。
「……ごめんなさい」
「俺は気にしてませんよ。お疲れだったんでしょう」
「えー、大体完璧だったと思ったのに…!」
「大体でいいなら完璧ですよ」
今日は嫌味が絶好調だ。
誰にも見えないように左足でウィスターの靴を軽く踏んで抗議をする。
「……しかし、本当に綺麗です」
いつの間にかウィスターがじっとイリヤを見下ろしていた。
「ありがとう」
「お似合いなんで毎日着たらどうですか」
「嫌よ!……でも、ありがとう」
ウィスターの礼服も似合っているしイリヤは何度も見惚れていたけれど、ウィスターも同じように見惚れてくれただろうか。
「せっかくお似合いなのに、俺があんまり楽しむ暇がないというのが残念です」
「……」
なんて歯の浮くような台詞。
それには返事をせずに、イリヤは片手で頬を押さえた。油断すると変ににやけてしまいそうで、微笑んだ顔に戻すのに苦労した。
公爵邸の大きな門には、アズライト家の紋章を掲げた旗が翻っている。
外壁には、婚礼を祝うドレープの飾り布が窓から窓へと幾重にも垂れ下がっている。
ウェディングドレスを着て馬車から乗り降りするのは一苦労だ。
ウィスターの手に掴まって、侍女が後ろと横から長いドレスを支えてくれてようやく降りられる。
公爵邸の周りにも民衆が待ち構えていて、イリヤは最後中に入るまで手を振り続けた。
中に入って扉が閉められるとようやくイリヤは大きな大きなため息をついた。
笑顔を貼り付けていたものだから顔が痛い。
慣れないドレスも重くて身体が凝っている。
「旦那様、奥様、おかえりなさいませ」
出迎えたハロルドの言葉に、思わずウィスターを見上げた。
奥様と言われるとまだ慣れていなくてむず痒い。
今まで、何度も何度も、ウィスターと一緒にいたいと願ってきた。
今日からもう王宮へは帰らない。
公爵邸に帰ってきたのだ。
「おかえり」
ウィスターが笑ってイリヤに言ったので、笑顔で頷いた。
そして。
「…………〜〜〜〜!!!」
あれよあれよという間に侍女たちに身支度をこれでもかと整えられ、イリヤは寝室に一人ぼっちにされていた。
重たいドレスをやっと脱ぎ、身体を洗ってさっぱりとしたのも束の間。
マーヤが着せてくれたナイトドレスは透けたりはしないものの、リボンで結んで留めてあるだけで心許ない。
「旦那様が来られるまでお待ちください」
そう言ってマーヤ達が消えたあと、イリヤは深呼吸を何度もしながら外を見ていた。
こっそりと鏡を見ると、不安げな顔をした自分が映っている。なかなかに固い顔をしている。
緊張をほぐそうとこめかみをぐりぐりと押してみたりするが、どうにも心臓が収まらない。
怖いものは怖い、仕方ない。
レオンとの婚約期間に花嫁教育は受けたので、今回は省略してしまった。
基本的には男性に任せておけばいいのだと聞いたが、緊張と恥ずかしさで身の置きどころがない。
しばらく経つと、背後でがちゃりと扉を開く音がして身体が跳ねる。
振り返ると、ゆったりとした寝衣に身を包んだウィスターが入ってきていた。
初めて見る姿に、そろそろイリヤの緊張は限界に近い。
隠したいけれど顔には出ている。恐る恐るウィスターの方を見ていると、彼はベッドではなくソファの方に歩いて行った。
よく見ると、なぜかその手には皿が乗っている。
「お疲れ様でした。お腹すきません?おいで」
お皿をテーブルに置いて、ウィスターが手招きをした。
「……え?」
あまりにも普段と変わらない様子のウィスターに拍子抜けして、素の声が出た。




