感想
「そろそろ帰りましょうか」
そう手を差し伸べられて馬車に戻った頃には、頬の赤みもやっと落ち着いていた。
開けたままの窓の意味もなく、馬車の中は少し蒸す。
それでも馬車が走り出すとそよそよと風が入り込んできた。
「そういえば今日の歌劇なんですが、どういう感想でした?」
「えっ?」
急に感想を求められてイリヤは顎に手を当てた。
正直先ほどのウィスターの告白の方がよっぽど感想があるのだが、記憶をもう少し遡って歌劇の内容を思い起こす。
ウィスターはといえば、頬杖をつきながらイリヤの方を見下ろして答えを待っていた。
「私が結婚するからかもしれないけれど、……結婚って、する相手によって人生が全く変わってしまうのね」
「人生ですか」
「ええ。王女はもちろん、あの国王も、結婚してなければ全然違う人生だったんだろうなって。結婚してなければどんな人生になってたのかしら」
「……なるほど。姫様らしい視点ですね」
「ウィスターの感想は?」
「俺はですね…」
蹄の音をBGMに、ウィスターが言葉を探すように視線を泳がせた。
「それぞれの登場人物の気持ちが分かって複雑でしたね」
「それぞれって、国王も?」
「彼は王妃には誠実ではなかった。けれど愛人からすれば、彼ほど大事に愛してくれる人はいないと感じたでしょう」
「王妃は?」
「王妃はただ運命に翻弄された女性というべきか。彼女も幸せな時間があったのは事実で、裏切られても愛を貫いたのはその時間があってこそ」
「じゃあ幼馴染は?」
「……想いを伝えなければ何も変わらない、ということですかね」
ゆっくりと考えながら話すウィスターの声と一緒に思い返す。
「……私、ただ国王が嫌な悪役という見方しかできなかったわ」
「それも一つの見方でしょう。王妃に感情移入して見るとそうなりますね。むしろ姫様っぽい」
「王妃にも感情移入したけれど……やっぱり彼女の幼馴染が胸に来たわね。ずっと言えない気持ちを抱えて片想いしてたんだもの」
「ははっ。姫様そのまんまじゃないですか」
「何よ、文句ある?」
「姫様の人生も歌劇にできそうですね」
にやりと笑われた気配がしてウィスターを見上げる。
ウィスターは口角を上げてイリヤをじっと見ていた。
「俺は何だかんだ王妃の気持ちが一番分かりますね」
「えっ!?嘘よ。あなたあんなに一途で純粋じゃないでしょう」
「……黙ってれば言いたい放題言いやがりますね」
さすがに少しイラついたのか、片手で頬を摘まれたが、「いたい」と抗議するとすぐ離れた。
「……このあと姫様と結婚して、何年も経って、仮に心変わりをされたとしても、きっと俺の気持ちは変わらないだろうなと。ずっと姫様を目で追い続けるのだと思います」
「えっ?」
「えっ?」
そんなウィスターは想像できなかった。もちろん自分が心変わりすることもピンとこないのだが、そんな思いであのシーンを見ていたのかとイリヤは驚愕した。
「……イメージつかない」
「本当に失礼だな。どれだけ俺が遊び人だと思ってるんですか」
頭を軽く小突かれたので、舌をペロリとだした。
けれど本当のことを言うと、これはイリヤの照れ隠しでもある。
「でもこうしてあとから語り合うのがいいんですよ、歌劇は」
「……そうね。ケイトもだけど、みんな違った見方するのね」
「それぞれ着眼点が違いますからね。こうして知ってから思い返すと、同じ話でも全然違うように感じます」
確かに、イリヤもウィスターもケイトも、全員が違う視点で観劇していたことになる。
ウィスターが登場人物それぞれの気持ちを考えて見るタイプとは思わなかった。イリヤを誘ってきたくらいだし、歌劇が好きなのかもしれない。
ウィスターは劇場慣れしていたし、舞台は真剣に見ていた。
こうして見たあとに、話し合って解釈を話すといのは実にウィスターらしい。
「……また行きたい」
「落ち着いたらいきましょう」
こんなささやかな約束で心が温まるのが、少し悔しい。
「到着しました」
いつの間にか馬車が停まって、御者が外から馬車の扉を開けてくれた。
王宮の入口の灯りが窓から見える。
「……では姫様、お疲れ様でした」
ウィスターの手を借りて馬車を降りる。温かくて大きな手のひらはいつもと変わらない。
王宮の中から、出迎えのマーヤが出てきた。
名残惜しくなって振り返ると、ウィスターがひらひらと手を振っていた。
せっかく彼に近くなったのに、離れるのが勿体無い気がした。
*
『結婚って、する相手によって人生が全く変わってしまうのね』
彼女の言葉が脳裏で反芻される。
考えながらゆっくりと言われた言葉が、地味に胸に刺さっていた。
彼女の前の婚約者は、一国の王太子だった。
王太子妃になって、いずれ王妃となる人生。それは今とはなんと違う未来だろうか。
そう考えながら馬車に寄りかかって手をひらひらと振ると、イリヤが振り返った。
流れるようなはちみつ色の長い髪に揺れるのは、ウィスターが贈った髪飾り。淡い色のドレスは華やかだが、振り返った彼女の顔はそのドレスに負けない艶やかさだった。
分かりやすいその顔には「寂しい」と書いてある。
美しいお姫様。
王家に生まれ、王族としての務めを果たし、国民から敬愛されてきた。
今まで近すぎて意識していなかっただけで、改めて見るとまるで高貴な花のようだ。
(……さっきは言いすぎたか)
ケイトとのキスを見られていたのは予想外だった。
その時の彼女の気持ちと、ケイトに会っただけで噴出する不安を想像するとさすがに肝が冷えた。
歌劇の国王に怒りを露わにしていた彼女に、信じてもらいたいという一心で随分と余計なことまで喋った気がする。
しかし話していて初めて分かった気持ちもあったわけで。
微笑んだイリヤがまた背中を向けて、今度こそ王宮の中へ消えていった。
あと二ヶ月もしないうちに一緒になる。王宮までこうして送り届けるのもあと少しだ。
そのあとは?
彼女と一緒に過ごすことは楽しい。他では満たされない部分が満たされるのも分かる。
だが。
今まで大切に扱ってきたお姫様を、これからは妻として抱くことになるわけで。
先ほどのキスひとつであれだけ真っ赤になっていた彼女に、知らない男の部分を見せたら一体どんな反応をするのだろう。
嫌がらせるつもりも、怖がらせるつもりも毛頭ない。
ただ結婚が近づくたびに、楽しみと同時に欲深くなっている自分が分かった。
あの美しい瞳が歪んでしまっても、一度手に入れてしまったらもう手放してあげる自信はない。
「……」
彼女の姿が消えてから、ウィスターは無言でまた馬車に乗り込んだ。
やがて馬車が私邸の方向へ向かって走り出す。
「らしくないな」
イリヤといるとどうも調子を狂わされて困る。
呟いた声は誰にも聞かれることなく、蹄の音にかき消された。




