歌劇
「最近は二人で出かけたいと言わないですね」
そうウィスターに言われたのは、夏真っ盛りのある日のことだった。
結婚準備は大詰めで、そろそろ式のリハーサルなども予定に入ってきた頃だった。
「忙しいじゃない」
「まぁそうなんですけど」
「それに、こうやって会えるから結構満足してる」
「……そうですか。でもたまには出かけませんか。ずっと式の準備じゃ味気ないでしょう」
そんなことを言われて嬉しくないわけがなく、イリヤは口をへの字に曲げた。
式と新生活の準備と口実を作ってウィスターに会いに来ているようなものだ。たまに夜会に出席するものの、味気ないといえばそうである。
「少し遠いですが、王都の隣町の劇場で評判の良い歌劇があるようです。どうですか?」
「いく!行きたい」
即答により決まった少し遠出のデート。
なんだかんだ婚約してからデートらしいことはほとんどしていないけれど、それを先に気が付いて予定を組んでくれたウィスターはどこまでもスマートだった。
アレキサンド王都はアズライト領の中心にあり、そんなに広くはないが、石造りの大通りと華美な店が立ち並ぶ。
アレキサンド王家は特定の領地を持たない。首都はアズライト領で、その中に小さな王都がおさまっている。
ウィスターがイリヤを連れて行ってくれたのは、そんな王都の隣町にある比較的大きめの劇場だった。
王都は狭いから、こうした広さが必要な建物はアズライト領の他の町にあることが多い。
劇場は社交の場にもなる。夜会並みにしっかり着飾ったイリヤを、同じく正装に身を包んだウィスターが迎えに来てくれて、二人で馬車で隣町まで向かう。
劇場に到着すると、支配人が待ち構えていて貴賓席に案内された。
舞台を上から見下ろせて、他の客の視線も届かない特等席だ。ふかふかの大きな椅子が二つ並んで、イリヤが舞台に近い席、その右隣にウィスターが座った。
相変わらず足を組んで腰を預けて、ゆったりと座る姿は見る人が見れば圧になるだろう、と思う。イリヤもその隣に姿勢を正して腰掛けた。
椅子が大きいので、いつものソファのような隣り合っている雰囲気ではない。
「悲恋の話らしいですよ」
パンフレットに目を落としながらウィスターが言ったので、イリヤも覗き込んだ。
主演の役者名や簡単なあらすじが書いてあるそれには"愛の物語"という文字が目立つ。
「ウィスターには縁遠い話じゃない」
「そうですね、しっかり勉強しましょう」
そう言って、真面目にパンフレットを読むウィスターは本当に勉強しているような素振りだった。
「…なんか腹立つわね」
「先輩、愛とはなんですか」
「私に聞かないでよ!」
これは完全にふざけている。
苛立ちに任せて彼の腕を小突くと、ははっと笑い声をあげたウィスターがなんだか幼く見えた。
学生の時のウィスターが見えた気がして、これまたいらぬ嫉妬がよぎる。
「そろそろ暗くなりますよ。興奮して落ちないでくださいよ」
「うるさいわね」
完全に子ども扱いの注意はそこそこに、暗転した会場の中、舞台に注目した。
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物語は、異国から嫁いだ王女の悲劇だった。
病弱な王太子に嫁いだ王女は、夫の死後、その弟と再婚する。二人は深く愛し合い、やがて国王と王妃となった。
けれど、幸せな日々は長く続かなかった。
年月が経つにつれ国王の心は別の女性へと移り、ついには王妃に離婚を求める。今後の生活は保障すると申し出たものの、王妃は頑として応じなかった。
怒った国王によって塔に幽閉された王妃は、やがて重い病に倒れる。
そんな彼女を最期まで支えたのは、祖国から付き従ってきた幼馴染だった。
それでも王妃が死の間際に口にしたのは、夫への変わらぬ愛だった。
王妃が息を引き取ると、幼馴染は彼女をしばらく見つめ、そっと唇に口づけた。
それは確かに悲恋の話だった。
王妃も幼馴染も、その想いが報われることはなかった。
物語に感情移入をしてしまい、国王夫妻の幸せな結婚生活では微笑み、幽閉された場面では手を握りしめ、幼馴染の口づけを見た時は涙がこぼれた。
愛とは何なのか、という重いテーマであったが、最後まで飽きることなく、目の離せない展開。
幕が降りた、次の瞬間。劇場中に割れんばかりの拍手が響き渡った。
イリヤも立ち上がり、涙を拭って拍手を送った。
客席を見渡せば、笑顔の者も、涙を流している者もいる。
誰もが舞台の上の役者たちに、惜しみない拍手を送っていた。
やがて挨拶も終わり、人々がそれぞれ帰る支度を整えて劇場を後にしている。
イリヤとウィスターもゆっくりと余韻を楽しみながら席を立つ。イリヤは少し乱れていた髪を手櫛でなおした。
「なかなか深い話でしたね」
「すっごく感動しちゃった…主人公の王妃は幸せだったのかしら……愛って何なの…」
「泣いてましたね」
ウィスターが苦笑したように言ったので、見られていたかとイリヤは頬を手で隠す。
「でも面白かった」
「ええ。しかし王妃はなぜ離婚に応じなかったのでしょうか。どう考えても夫の考えに乗って離婚した方がいい暮らしができたでしょうに」
「そういうことじゃないのよ。それができなかったから愛なのではなくて?」
「…深いですね」
何かを思い出すような顔をしながらウィスターが手を差し出してくれて、軽く手を乗せた。エスコートされながら貴賓席を後にする。
「役者の演技が上手かったですね」
「そうね、本当に見入っちゃった!素晴らしかったわ」
「王女殿下が観覧されたということで評判もさらに上がるでしょうね」
「ふふ、これは全国民観るべきだわ」
「ウィスター様!?」
話しながら貴賓席を降りて、ウィスターの手に掴まったまま馬車寄せに向かって歩いていると、背後から女性の声がかかった。
聞き覚えのあるような浮ついた声に二人揃って振り返る。
「……ケイト」
ケイト・オパール伯爵令嬢。
フェルディナの外交帰りに会った、ウィスターと仲睦まじげだったご令嬢。
仲睦まじげ、ではない。
実際に二人はきっとキスをしていて。
二人の微妙な空気に挟まれながら、イリヤは居心地の悪さを感じてウィスターの腕を離した。
*
「…イリヤ殿下。お久しぶりです」
劇場で遭遇したケイトに礼をされ、イリヤも軽く微笑んで応える。
「久しぶりですね。昨年ははるばるお気遣いありがとうございました」
「とんでもございません。…ご婚約なされたとのこと、おめでとうございます」
ウィスターの表情を見ようと顔を上げたけれど、彼の顔は全く変わらなかった。
いつものような爽やかな、社交的な笑顔。特に動揺した様子もなく、それに安心してしまう自分はまだまだ心が狭い。
「ありがとう。ケイトも見に来てたんですね」
「はい!面白かったですが…あの幼馴染〜〜!!最後のキスにはびっくりしました!絶対一番悪いのは幼馴染ですよ」
「え、え?そうなの?」
目を閉じて強く語り出したケイトに面食らって素で聞き返してしまったが、彼女は何も気にしていないようだった。
拳を握りしめてイリヤに熱弁をはじめる。
「そうですよ!幼馴染が早く想いを告げていれば、もしかしたら王妃も思い切って離婚という選択肢がとれて、三人とも幸せになれたかもしれません!」
「なるほど、そういう考え方もあるか」
「でも王妃は夫のことを愛していたんでしょう。幼馴染の話に乗って離婚するとは思えないのだけど」
「分かりませんけどね。愛してくれたのが夫だけだったから、執着していただけかもしれませんよ?他の殿方に想われていると分かればまた違う結末になったかもしれません」
「……」
食い下がってみたけれど、ケイトはかなり現実的な考えだった。彼女が愛を貫いたと考えたけれど、そう言われると反論のしようがない。
ケイトはイリヤの様子に気が付いたのか、慌てたように手を振った。
「すみません殿下…!!私が夢のないことを言っているだけですわ。殿下のお考えももちろん分かります」
「もしもの話ですからね、現実は分かりませんし」
「そ、そうですよ!大体ウィスター様がこんな重たい歌劇に婚約者を連れてくるのがいけないんですよ。お二人はこれから幸せになるんですのに」
「えっ、俺のせい?」
「そんな二人で急いでフォローしなくても、そのくらい分かってるわよ」
考え込んでいた間にケイトとウィスターが何か勘違いをしたようである。
イリヤの言葉にケイトは安心したようだった。
「…ではケイト。お会いできて嬉しかったです。私たちはここで」
「あぁ、そうですよね。こちらこそお会いできて嬉しかったです。……お幸せに」
「ありがとう。あなたも」
ウィスターが腰に手を回した。
その手の親密さにまた安心をしてしまう。ケイトが手を振ってくれて、イリヤも頭を下げて背を向ける。
二人の気まずさを感じたのはイリヤだけだったのだろうか。
ごくごく普通の、自然の見送り方だった。
帰りの馬車に乗って、カコカコという蹄の音を聞きながら窓の外を眺める。
外はすっかり暗くて、遠くに月が見える。
「楽しかったですか」
「ええ。ありがとう」
暗闇の中ウィスターの手が近づいて、ふわっと頬に手が触れた。
温かいと思った瞬間には唇が一瞬だけ触れる。
ウィスターに触られるのも、キスも好きだった。
最初は想像もできなかったけれど、ウィスターはスキンシップが好きな婚約者だった。
「…えへへ」
「何にやついてんですか」
キスには慣れたけれど、この雰囲気にはまだ照れが残る。
そして慣れた分、ウィスターの癖まで分かるようになってしまった。
右手で頬に触れるのはキスの前。時折親指で頬を撫でるときもある。
そして終わる時は、おでこや額に軽くキスをしてから離れていく。
癖なのか分からないけれど、それが毎回だから覚えてしまった愛おしい癖。
そう考えると幸せだった。
それなのに、どうしてもフェルディナの帰りに見てしまった、ウィスターとケイトの後ろ姿が脳裏にちらつく。
あの時ウィスターはケイトの頬に触れて、近づいて、それはイリヤが知っているウィスターの触れ方と同じで。
ウィスターは悪くない。ケイトももちろん悪くない。
イリヤはあの時片想いをしていて、必死に想いを殺そうとしていて、あの時のただならぬ関係の二人を見て諦められたようなものだ。
ウィスターに恋人がいたのも仕方ない。
さっき会ったケイトは相変わらず聡明で、いい意味でイリヤとは正反対のように思える。
どうしても違いが気になって仕方ない。
「……ウィスターって、ケイト嬢のどこが好きだったの?」
再会した二人の気まずそうな最初の空気。
ウィスターのことは大好きなのに、思い出すとどうしても刺されたように苦しい。
「ん?何の話?」
「隠さなくていいわよ。昔の話でしょう?…二人が親しかったことくらい分かるもの」
「え、いや、好きって?」
ウィスターを見上げると、実に困惑したような顔で眉をしかめて、本当にイリヤの言葉の意味が分からないようだった。
「……フェルディナからの帰り、お城でキスしてたでしょう?」
「…………………え」
その瞬間、明らかに「まずった」という顔をされたのが分かった。




