手折られた薔薇
ウィスターの前では強がってみたものの、その後もイリヤの元に手紙は届いた。
心配そうなマーヤに見守られながら封を開ける。
イリヤを貶めるような台詞が書いてあることもあれば、白紙のこともある。気味が悪いが、相手が分からない以上対処のしようがない。
しかも、おそらく送ってくる相手が増えた。
書かれている言葉の選び方も最初のものと違い、使われているインクや文字を書く癖も全く異なるものが、ちらほらと届き始めた。
こんな陰湿なことをしてくる人間が何人もいるということになる。
「それにしてもすごい執着。私ならとっくに飽きちゃうのに」
「お嬢様のような人間ばかりではありませんからね。羨望は時に醜い嫉妬となります」
マーヤが難しい顔をして、その日届いた手紙を一瞥した。
今日は一言だけ、乱雑な文字で《売女》と書かれてある。
いっそここまでくると清々しいのだが、それでも日々届く手紙はイリヤの心に毎回傷を作っていくのが分かる。
書かれている言葉は問題ではない。
ただこんなことをさせてしまうほど自分が憎まれて、そして舐められているという事実が、心に傷をつけた。
いつまで続くのか分からないまま、保管している手紙は十通を超えた。
その次の日は、贈り物が届いた。
差出人の分からない細長い、贈答用の箱。リボンが掛けてあるが、差出人がないというだけで今のイリヤには気持ち悪い。
自分で開けるかどうしようか悩んで、結局マーヤに箱を渡した。
「…ごめん、開けてくれる?」
「はい」
マーヤも怯えた顔をしながらリボンをほどいた。
シュッ、とリボンの擦れる音がやけに大きく無音の室内に響く。恐る恐る、といった様子でマーヤが箱を開けてーーややあって、イリヤに箱の中身を見せた。
「……」
中には真っ赤な一輪の薔薇。
箱の中には黒い布がしきつめてあってその中に、立派な薔薇が寝かされている。艶やかな薔薇の花弁と黒の布が美しい、が。
薔薇の花の細い茎が、ぽきりと手折られていた。
中の美しさと手折られた茎の異常さに、一瞬にして血の気が引くのが分かる。
「お嬢様…」
心配そうに覗き込んでくるマーヤに返事をする余裕もなく、イリヤはソファに背を預けて、「なんなのよ…」と呟いた。
*
「お忙しいとは思いますが、少しでもいいのでお嬢様に会いにきていただけませんか」
イリヤが信頼しているであろう、部屋付の侍女に言われてウィスターはイリヤの自室の扉をノックした。
聞くと、昨夜不気味な贈り物が届いてすっかり落ち込んでいるらしい。
以前イリヤから手紙を見せられて、ウィスターも間者を送って心当たりを調べてみたが、成果は特に得られなかった。少なくともウィスターが親しかった人物には、怪しい動きは見られない。
その間も手紙は届いてたというから、期待はするなと言ったものの本当に何にもならなかった。
「はい」
「失礼します」
中から聞こえた彼女の返事は、元気も張りもなかった。
扉を開けると、イリヤはベッドの上に腰掛けて窓の外を眺めていた。ウィスターの声に気づいて振り返ったその顔は生気がない。
こんな顔をさせたいのではなかった。
少なくとも前回の婚約の時にはこういう事件は起きなかったというから、自分のせいだという気持ちが頭をもたげる。
「…大丈夫ですか」
「うん。どうしたの?」
「見にきました、例のもの」
「マーヤに聞いた?」
「ええ」
イリヤがゆっくりとベッドから立ち上がって、机の上に置いてあった黒い箱と、何通かの手紙を選んでウィスターに渡してくる。いつの間にか数が随分と増えている。
努めて冷静に、まずは手紙を開いた。
暴言が書いてあるものと、白紙のものと。
内容は実にくだらなかった。色目を使って公爵を寝取ったとか、色仕掛けが上手だとか、どれも見当違いではあるがそれでも確実に品格を落とそうとしている言葉が羅列してある。
怒りは抑えて、続いて黒い箱に手をかけた。
手折られた真っ赤な薔薇が一輪。
視線をイリヤに向けると、彼女は怯えた顔つきでその箱の中身をじっと見ていた。いつもは目まぐるしく感情と共に変わるその瞳も唇も、今はじっと固くなってウィスターの手元の箱を見つめている。
「……気味が悪い」
やがてそう吐き捨てたイリヤが目線を外して、またベッドの方へ戻って腰掛けた。
こんなものを毎日のように受け取っていたら気味が悪いのは当たり前だろう。しかも今まで、国民から敬愛されてきた王女だ。
「こんな金のかかる嫌がらせ、特に薔薇は一級品だ。確実に相手は貴族の誰かでしょう」
「なんでこんなこと」
「これは私の持論でもありますが、きっとどこかであなたの反応を見て楽しんでいます」
ウィスターは箱に蓋をして、イリヤの隣に腰掛けた。今日は一日ここで過ごしていたのだろう、シーツも乱れたままになっているがイリヤが気にする様子はない。
そして、隣に腰掛けたことで何故ここにイリヤがいるのかが分かってしまった。
ベッドの上からだと、家具の位置的にちょうど机の上が見えないのだ。それに気づいてしまったら、もう駄目だった。
片足をベッドに上げるようにイリヤを正面に捉えて、抱きかかえる。細い身体がいつものように腕の中におさまった。長くてふわりとしたはちみつ色の髪を撫でながら、静かな声で囁いた。
「あなたが怯えるのをどこかで知って、エスカレートしているんです」
「でも、そんなのどうやって」
「例えば外出するときの表情だったりとか、そもそも外出が減ったとか、貴族なら情報を得る手段はいくらでもあります」
「……」
「姫様はよく頑張っていますよ」
やがてイリヤの手が背中に回された。ウィスターの首元に顔を埋めて、小さな声で呟く。
「…ウィスター、ぎゅってして」
「……」
その可愛い望みを叶えるように、彼女を抱いた腕に力をこめる。
細い身体が壊れないように慎重に、でも彼女が安心できるほど強く。
「もっと」
苦しそうにしながらもそうねだられて、言われるまま更に力を込めた。
こうして甘える婚約者にお願いされて断れるはずもなく。
彼女には痛いだろうほどの力で、それでも加減しながらしばらく抱き潰していると、イリヤが苦しそうに微笑む気配がした。
「力つよい」
「…当たり前でしょう」
力を緩めて、またゆっくりと髪の毛を撫でてやる。
俺がどうにかする、なんて台詞が言えればどんなに良かったか。貴族全員の検閲でもすれば分かるかもしれないが、反感が増長することは目に見えている。
ただ耐えてもらうしか、しかもそれもいつまでかなんて分からない。
「文句があるなら俺に言えって、今度陛下に勅命でも出してもらいましょうか」
「何それ、怒られるわよ」
ようやく声を出して笑った彼女に何故か自分が安心して、でも何故か腹が立って、その怒りをかき消すようにただ彼女の背中を撫で続けた。




