悪意
「また届いてる…」
机の上に置かれた手紙の中から、一つを手に取った。差出人の名前がない真っ白な封筒。
前回届いたものは机の引き出しにしまってある。
一通だけならそういうこともあるかと思えたが、二通目というのは不気味さが増す。
逡巡したあと、イリヤはゆっくりとその封筒を開けた。
目の覆いたくなる暴言。
中の紙に書かれていたのは婚約したイリヤへの罵りの言葉だった。
婚約破棄したばかりでまた婚約だなんて図々しい、どんな手管で誘惑したんだ、王女なんだから我儘言ってないで国を出ていけ
要約するとそんな、下品なんて言葉すらも丁寧に感じるほどの罵詈雑言が並んだ紙に目を通して、イリヤはまた封筒に戻した。相変わらず差出人は分からない。
しかしイリヤに対する敵意を剥き出しにしていることから考えると、失恋した女性からのものだろう。
引き出しから前回の封筒を取り出して見比べると、全く同じ封筒を使用していることが分かる。きっと同一人物からのものだ。
どうしようか悩んだ挙句、マーヤに二通とも渡すことにした。
「……お嬢様」
さすがのマーヤも動揺の色を隠せない様子で、申し訳ない気持ちになる。
「一通だけかと思って様子を見ていたんだけど、この二通目はさすがに」
「もちろんです。警備は増やしましょう。しばらくは続くかもしれませんね」
「相手が分からない以上どうしようもないわね」
「差出人がないものはお嬢様に渡さず、私の方で保管しましょうか」
その申し出は有難い。甘えたい気もしたが、首を振ってその考えを払った。
「ううん、今まで通り全部回して。もしここからどんどんエスカレートしたときに、それを私が知らないというのが一番怖いわ」
「分かりました。ウィスター様には?」
「…今度会った時に相談してみる」
「それがよろしいですね。お願いいたします」
いつもはにこにこと微笑んでいることが多いマーヤの顔は、固く引きつっている。
「大丈夫よ!今までもこういうことが全くなかったわけでもないし、無視していたら向こうも落ち着くと思うし」
「そうかもしれませんが、用心に越したことはありませんから」
人からの悪意というものは恐ろしい。誰かから敵意が向けられていると思うだけで、自分を見る視線が全て敵意と疑わなければならなくなる。
しゃんとしてろ、というウィスターの言葉が脳裏によぎった。
*
「ーーなるほど」
数日後、公爵邸で会ったウィスターに手紙を見せると、まるで役に立たない虫を見るような目でウィスターが中を一瞥した。
何度も通ううちに、公爵邸にはすっかり慣れた。最初は客間だったのものが居間で話すようになり、今は落ち着くという理由で書斎で二人になることが増えた。
その日も書斎で、ゆったりとした椅子に腰掛けたウィスターはゆっくりとした動作で封筒に手紙を戻し、イリヤに返してきた。
「ウィスターのところにはこういうの届かない?」
「ないですね。もちろん祝福ばかりではないですが、こういうあからさまなのは全く」
「この封筒とか文字とか、見覚えは?」
「……文字に関しては全く。封筒はよくある市販のものでしょう。誰でも手に入れられるものなので、ここから辿るのは難しいかと」
「やっぱりそうよね」
「だからですね。ここ最近、王宮の警備が厳しいと思いました」
「何もないとは思うけど、念には念をってマーヤが」
「……大丈夫?」
その問いかけと瞳は、イリヤを案じているものだった。ウィスターを安心させるように、イリヤはこくりと頷いて笑ってみせた。
「大丈夫よ、たまにあるから、嫌がらせ」
「そんな軽い調子でたまにあると言われても」
ため息をついたウィスターが、斜め向こうを見て何か考えるような仕草をした。
「…ちょっと俺の方でも探ってはみますが、期待はしないでください」
「心当たりでもあるの?」
「それほどのものではないですが、まぁ探るだけ」
「何よ。あなたの昔の恋人の可能性がある?」
揶揄うように笑みを浮かべると、ウィスターもイリヤをじろりと睨んで完璧な笑みで返した。
「可能性はありますね」
「うわ腹立つわね!なんでそんなのに私が巻き込まれなくちゃいけないのよ!」
「うそうそ」
まなじりを吊り上げると、ウィスターが吹き出しながら手を伸ばしてイリヤの頭をポンと撫でた。
書斎用の椅子は一人掛けだ。向こうにソファーがあるけれど、ウィスターが書き物をしていたのでその隣に立っている。
イリヤは膨れながらウィスターを見下ろした。
過去に恋人がいたことは知ってる。それはどうしようもないし、今更なかったことになんてできない。
けれど不公平だ。
イリヤはずっと片想いだったし、きっとウィスターの元にはこんな手紙は届かない。
そして仮にイリヤのことが好きな男性がいたとしても、ウィスターの元にこんな嫌がらせはできないだろう。
噛み返されると分かっていて、猛獣の口の前に手を差し出すことはできない。
これはイリヤの甘さが招いたことでもあったし、それは十分に理解していた。
「大丈夫?」
イリヤを案ずるように見上げるウィスターの顔からふいと目を逸らす。
「大丈夫よ。このくらいでへこたれてられないわ。しゃんとしてろ、でしょ」
「…よく覚えてましたね。えらいえらい」
「やめてよ子どもじゃないんだから」
「でも、何かあったらすぐ私にも言ってくださいね。婚姻の儀の警備計画も少し見直した方がいいかもしれませんね」
一瞬甘い雰囲気になったかと思ったが、ウィスターは机の上の書類に再び目を落としてしまった。
自分だけが期待してしまったようで恥ずかしくなり、イリヤは憤然と元々座っていた書斎のソファに戻って腰掛けた。




