探検
夜中の王宮は当然のように暗い。
窓があるところだけが月明かりで穏やかに白く照らされている廊下を、イリヤは小走りで王宮の入り口に向かっていた。
着替えたワンピースに、しっかりした大判のストールを肩にかけている。
正面の入口は、夜中は施錠されて兵士が何人も立っている。
もちろんウィスターなら入れてもらえるだろうが、そもそも普段使いはされない入口だ。
イリヤは裏の少し小さな別の入口へと向かった。
イリヤや他の王族、使用人などがよく使う、少しこじんまりとした入口。
もちろんここにも兵士は一人立っているので、イリヤは兵士から死角となる場所にこっそり隠れた。
いつもと同じ王宮なのに、暗いというだけでドキドキする。
やがて、入口の方から話し声が聞こえた。
何やら兵士とウィスターが談笑してる声。しばらく話したあと、ウィスターがやや早足で執務室の方へ歩いていく。
イリヤは兵士にバレないように、こっそりウィスターに続いた。なんだか悪いことをしているようで、背徳感に心臓が早い。
そこにウィスターが加わると、もはや早鐘だった。
足音を潜めてウィスターについていくと、しばらくしてウィスターが振り返った。入口からは少し距離があき、もう兵士に声は聞こえないだろう。
「本当に来たんですか」
やや呆れ声で、眉をひそめている。
「来るわよ。だって楽しそうじゃない」
「全く殿下は言うこと聞かないですね」
「いつも聞いてるじゃない。たまによ、たまに」
「もう…暗いから転けないでくださいよ」
そう言ってウィスターが歩調を落として歩き始めたので、そっと横に並ぶ。
執務室は王宮の5階だ。
ここからはしばらく距離があるし、階段を登らなければならない。イリヤにとってはちょっとした探検だった。
「数日出かけてたって、どこに行ってたの?」
「えーまぁ、色々と」
「そう」
こう言う時は行き先は言わないだろうなぁ、と諦めて口を閉じる。
静かで暗い王宮に、二人の足音だけが静かに響く。
「でも疲れてるならわざわざ寄らなくてもよかったんじゃない?」
「え、俺疲れてるように見えます?」
「ええ、そう見えるわよ」
「正解。疲れてはいますけどね。だからちょっと寄って書類を持ち帰ろうと思って。明日は私邸で仕事します」
「そっか…じゃあ明日は会えないのね」
別にそんな予定もつもりもなかったが、ウィスターの言葉にぽろっと本音が出た。やや先を歩いていたウィスターが振り返る。
「……何か用事でもありましたか」
「う、ううん、ごめんなさい今のなし!明日は来ないってことかぁと思ったらつい!」
「ちょっ、しーーっ!」
焦ってやや大きい声が出てしまい、ウィスターが人差し指を口に当てた。
危ない、とイリヤも自分の口を抑える。
特に何でもないこのやりとりが、やけに楽しい。
「用事があったわけじゃないから、大丈夫。今日会えたし」
小さい声で言い直すと、ウィスターも小さい声でぷはっと吹き出した。
「ならよかった」
手が伸びて来て、やや乱暴に髪をくしゃりと撫でられた。なんでもないようにまた先を歩き出すウィスターに、また小走りで追いつく。
「読み聞かせは決まりましたか」
「うん、今紙芝居作ってるの」
「作ってる?すごい、手が込んでますね」
さすがに驚いたのか、ウィスターが目を丸くした。
「挿絵が大きい方が分かりやすいし、私は私で内容を事前に決めておけるしちょうどいいかなって」
「考えましたね」
「ふふ、えらいでしょ?」
「うんえらいえらい」
「適当じゃない!」
全く心のこもっていない褒め言葉に、イリヤは頬を膨らませた。
「当日は見物に行きますから、ちゃんと成功したら褒めて差し上げますよ」
「え………見に来るの?」
「はい。面白そうなんで」
「やだぁ緊張するじゃない…」
これは大変なことになった、と内心頭を抱える。見られるとなると緊張してしまう。当日の前には練習が必要かな?とまた予定が増える。
「殿下なら大丈夫ですよ。度胸も経験もついたでしょう」
「子どもって予測不能なこと言い出すから…怖いわよ」
「あぁ、それは本当にそうですね」
ウィスターが神妙な顔で頷いた。
「ちょっと顔を見ようと思ったら、わざわざ着替えてついてくると言い出す。全く予測不能です」
「………誰の話かしら?」
「さぁ」
そう言いながらくつくつと笑うウィスターをこっそり仰ぎ見た。
(やっぱり、ウィスターにとっては私はまだ子どもなのかな。こんな、夜の王宮にワクワクするなんて)
片想いじゃなくなっても、感情の浮き沈みは変わらない。
相手が自分を好きだということが分かっても、相手の想いに保証などない。一つ一つの言動が気になってしまう。
マーヤが何と言おうと、私の方が絶対好きよね。
そんな気持ちは心にしまって、ウィスターの後に続いた。
*
執務室の前に到着すると、ウィスターはどこからか鍵束を取り出した。慣れた様子でそのうちの一つを手に取り、執務室の鍵を開ける。
キィ…という音がして、執務室の扉が開いた。
狭くもないけど広くもない、本や書類があちらこちらに収まったウィスターの執務室にイリヤが来るのは、なんだか久しぶりだった。
イリヤはウィスターの机の上はあまり見ないように、手前の応接セットのソファーに腰掛けた。
ちょうど月明かりがよく入る執務室は明るいが、ウィスターが蝋燭に火をつける。
「うわ…なんか増えてるし。なんだコレ」
机の上にある書類を手に取って、ウィスターが独り言を呟きはじめた。
邪魔しないように、静かにしながらきょろきょろと見回す。特に何も話さないけれど、沈黙すらも心地いい。
「……ちょっと、時間かかるかも。殿下は部屋に戻ってていいですよ」
「ううん、ここにいる」
首を振って答えると、ウィスターがやれやれといったようにため息をついた。そのまま椅子に座って、書類に目を通し始める。
「んーーっ」
忘れていたが、イリヤも最近書いたり読んだりばかりしていたので、身体が痛い。ソファーに座ったまま背伸びをすると、肩のあたりから異音が聞こえた。
静かな部屋に、ポキリ、という音がやけに響く。
それを聞いたウィスターが、思わずといった様子で吹き出した。
「殿下もお疲れのようで」
「やだ、聞こえた?」
「はい」
笑いを噛み殺しながらウィスターが手元の書類にサラサラとサインをしている。
イリヤの座るソファーからは少し離れているけれど、お互いの音や気配が感じられる距離感も心地よかった。
何となく、仕事中のウィスターを邪魔しない方がいいような気がして、黙ってただ彼を見る。
しばらく時が経って、ウィスターが唐突に沈黙を破った。
「殿下はここに来るといつも静かになりますね」
「え、だって、邪魔しちゃ悪いじゃない。集中してるでしょ?」
「殿下を静かにさせたい時はここに連れてくればいいんですね」
「…うるさくて悪ぅございました」
唇を尖らせた。ウィスターはニヤニヤとしながら、書類にサラサラとサインをしている。
「そういう気遣いを全くしない方もいますからね。勝手にやってきて、一方的に喋って、何ならこの書類をジロジロ見られたりします」
「見られたくない書類なら片付けときなさいよ」
その言葉は思いの外ウィスターのツボにはまったらしい。ぷはっ、と吹き出した彼がしばらく声をあげて笑った。
「………まぁ、それはそうですね。くくっ」
「何よ、そんなに面白いこと言ってないんだけど」
「ええ、ちょっと思い出して。よし、とりあえずこんなものか」
最後の言葉は自分に向けた独り言だった。何かに集中すると、ぶつぶつと自分に向けて話してしまう気持ちはよく分かる。
書類をまとめて、鞄を開けたウィスターがその中から一冊の本を取り出した。
「あぁ、そういえばこれ。今日もらったものなんですが」
「なに?」
そう言って近寄ってきたウィスターが、その本を差し出しながら隣に座った。イリヤが受け取ると、随分古びた本の表紙には『占い』の文字がうっすらと見える。
「占い?」
「占い本と言って、他国のものらしいんですが。目を閉じて、悩みだったり願望だったりを心で唱えて、本をめくって、直観でページを指差すそうです。回答や指針をくれるとかなんとか」
「へぇ…おもしろそう」
「やってみてくださいよ」
隣に座ったウィスターがゆっくりと足を組んで、背もたれに体重を預けた。前まではこの部屋で隣に座られたことなどなく、いつも斜め前の別の椅子だった気がする。さっきまで離れていた息遣いが近くなって、距離がくすぐったい。
「悩みか願い事、ね…」
今の悩みは、読み聞かせを成功させたいけど自信がない。でもそれは占うほどのことでもないような気がする。
ウィスターの気持ちはいつからだった?これからも好きでいてくれる?私はまだ子ども?そんな悩みもあるけれど、本に聞くのは何だか違う気がして却下。
(……でも、ずっと一緒にいたい)
最終的に本に問うのは願望になった。
目を閉じて、本をめくる。パラパラという音が部屋に響いた。しばらくめくって、本の終わり近くのページで手を止める。
目を開いて、そのページを見る。
そこには大きく、『信じて、行動せよ』と書いてあった。
「……」
ウィスターが興味深そうにページを覗き込んできて、二人で同じページを読む。
『これからも辛いことはある。あなたの悩みや願いは叶うでしょう。しかし、行動しないと手には入りません。まずは、動くのです』
「……ありきたりだな」
ジロジロと読んだウィスターが、情緒のかけらもない感想を述べた。他にも運勢やら、運気を上げる色やらが書かれている。
「動けってさ、お姫様」
「………うん」
「本に何を聞いたんですか?」
「え、秘密よ」
本をパタンと閉じてウィスターに差し出した。
「ウィスターもやってみてよ」
「いや、俺は本当に興味ないんでいいです。よければ差し上げます、貰い物ですが」
「え、いいの?珍しい本だと思うけど…」
「俺が持ってても一生使いませんし」
そう言って、またソファーに深く腰かけて天井を見たウィスターは、本当に興味がなさそうだった。
マーヤなど、こういうものは好きかもしれない。イリヤも興味がないといえば嘘になる。
「……じゃあ、もらう。ありがとう」
「いえいえ」
また沈黙。しばらく静かになった。
けれど居心地は悪くない。無理して話す雰囲気でもない。ウィスターも黙って天井を見上げて、首を伸ばしていた。
どれほどそうしていただろうか。
「じゃ、帰りますか」
「…もう帰るの?」
ウィスターが立ち上がって、背伸びをした。ウィスターからもパキン、と疲労の音が聞こえる。イリヤも思わず吹き出した。
「お揃いじゃない」
「さすがにゆっくりしましたよ。はい、姫様もお部屋に帰りますよ。夜更かしは美容の大敵でしょう」
「…はぁい」
カバンを持ったウィスターに続いて、渋々立ち上がる。夜中の探検は終わりのようだ。
本を抱えたまま、ウィスターの後について執務室の扉の方へ向かう。途中でウィスターが思い出したようにイリヤを振り返った。
「……ありがとうございました」
その唐突なお礼に首をひねる。どちらかというと、礼を言われるより邪魔をした覚えしかない。
「……何が?」
「内緒です」
「何それ、気になるじゃない!」
「分かんないならいいです」
そう言ってウィスターが執務室の扉を開ける。
イリヤの部屋は2階。ウィスターを入口近くまで送ろうと思ったが、2階で断固として帰されて、イリヤは手を振って自室に戻った。




