石とハンカチ
「ウィスター様って、あんな感じなのですね」
その日の夜、マーヤがイリヤの髪の毛を丁寧に梳かしながら呟いた。イリヤはといえば夜の日課で、ソファーに座り大量に届いている手紙に目を通していた。
「あんな感じ?」
「はい!私もお嬢様に仕えてかなり長いですが、ウィスター様は雰囲気変わられましたね」
ふふふ、と笑ったマーヤと一緒に微笑んだ。確かに一年前の彼とは全く違う甘さが、今はある。
「……あの事件の時も、ウィスター様は必死でした。お嬢様を助けようと、どこか我を忘れていらっしゃっていたような」
「そうなの?それはちょっと見たかったわね」
「これからはアレキサンドもイベント続きですね。お嬢様の誕生日に、建国記念日にお祭りに、しばらくは賑やかになりますわ。ウィスター様と楽しめるといいですね」
「………建国記念日で思い出したわ」
イリヤは眉間にしわをよせて頭を抱えた。
ウィスターに誘われて王立公園に行ったものの、結局何を読み聞かせるかは決まらないまま帰って来てしまった。
「大丈夫ですよ。いざとなればそのまま読み聞かせればいいんですから」
「そうなんだけど…。やっぱりやるからには、子供たちも楽しく学んでほしいじゃない」
「……ウィスター様は、きっとお嬢様のそういうところが心底好きなんでしょうね〜」
「そうかしら?さすがマーヤ、恋愛小説の知識で何でも分かるのね」
お任せください、と自信満々にマーヤが胸を張った。
「お嬢様、私は見てたから分かります。前に言ったこと、覚えていらっしゃいますか?」
「前に言ったこと?」
「そう」
マーヤが髪を梳かしていた手を止めた。それに釣られて振り返ると、マーヤはウインクをする。
「男性は、好きな相手のことを無意識に見て、触りたくなってしまう生き物って言ったでしょ?」
「…ウィスターって、私のこと見てる?」
「見てます見てます!正確にはずっと見つめているというより、常に視界で追いかけてるというか、気にかけているといった感じですけれど。触れられるのはお嬢様も分かるでしょう?」
「うん……」
「………どうしました?何かありましたか?」
返事には何となく体温が乗らなかったので、心配したマーヤが顔を覗き込んできた。
イリヤはあまり思い出したくない、昨年のフェルディナからの帰り、オパール領での出来事が頭をよぎる。
海の見えるベンチに座って、全然触れられなかった手、合わなかった視線。
それに一人で失望して、ウィスターに辛く当たってしまった日。今だったらまた違う雰囲気になるだろうか。
そのあとのケイト嬢とウィスターのことも含めて、イリヤにはあの日の出来事はなかなか思い出すのが億劫な記憶になっていた。
そのあとすぐレオンとの婚約が決まったので、一時期は忘れていた。けれど、どうしても慣れているウィスターに対して、自分はあまりにも不慣れで、不器用で、不安になりすぎる。
それにはあの日の出来事も、大いに関係している気がした。
「もっと自信持てたらいいんだけど…」
「私から見ると、ウィスター様はお嬢様のこと、好きでたまらないように見えますよ」
「今はそうかも」
「……心変わりされると、お思いですか?」
マーヤはどこか意外そうだった。
「だって、ずっと好きだったのは私だけで、それがあの誘拐事件をきっかけに急にあんな風に優しくなって。一時の気の迷いかもしれないし」
「それはないと思いますけど…。お嬢様、あれこれ悩むより、ウィスター様に全部ぶつけなさいな。昔ならともかく、今のウィスター様は優しく受け止めてくださるでしょう?」
「嫌よ、それこそ面倒な恋人だと思われちゃう」
「隠してもいいことはないですわ。面倒な恋人でいいんですよ、それがありのままのお嬢様ですわ」
無理しても続かないものですわよ。
そう言ったマーヤはどこか意味深だったが、イリヤの心には刺さった。
*
そう心のもやもやをマーヤに吐き出したが、イリヤはすぐそれどころではなくなった。子どもたちへの読み聞かせの日は、あっという間に迫って来ていた。
イリヤは悩んだ挙句、紙芝居を作ることにしていた。歴史書の挿絵を少し分かりやすくして、大きく描く。裏には物語を、なるべく分かりやすく自分用の台本として書いた。
そんなことをしていたら、準備はここ毎日、夜中までかかっていた。
「うーーっ……」
一息ついて、背伸びをする。
読み聞かせの日は三日後に迫っていた。
マーヤもとっくに下がっている、一人の自室。暗闇に蝋燭が灯っている。
春の気候とはいえ、夜になると少し冷える。イリヤは近くに置いてあったストールを肩にかけた。
カツン。
その時、窓の外から音がした。
小さな小さなその音に、はっと思い出す。
慌てて駆け寄って窓を開けた。部屋の中より冷たい風が頬を撫でるが、寒いと感じる余裕はない。
テラスには何かが落ちていて、拾い上げる。春の訪れを告げる小さな黄色い花に、ハンカチがくくりつけてあった。
ハンカチをほどくと、中から小さな石がぽろりと手の中に落ちてくる。
これが投げられたんだ、と理解した。
石をただ投げたら、もしかしたらイリヤに当たったり、窓に傷をつけたりするかもしれないからハンカチにくるんで。それだけじゃ味気ないから、花もつけて。
なんてウィスターらしい、小さい優しさ。
テラスの端まで駆け寄ると、真下にはウィスターが立っていた。
部屋は2階、それでも少し距離がある。その距離がもどかしいけれど、顔を見ると心が浮き足だった。
「ウィスター!」
「こんばんは、殿下」
ウィスターにだけ聞こえるように、やや小声で喋りかける。右手をあげてみせるウィスターに、手の中の花とハンカチを見せて、笑いかける。
「すごい、考えたわね」
「音分かりましたか」
「ええ、聞こえたわ。ハンカチ返すわね!」
ハンカチをひらひら落とそうと手をテラスから差し出すと、ウィスターは首を振った。
「いりません。殿下が持っててください」
「え……でも」
「ハンカチなんて山程ありますから。使い差しで悪いですけど」
ウィスターのハンカチ。
小さな花。
何でもない、プレゼントともいえない。高価な宝石でも、大きな花束でもない。それでも胸がきゅっとなって、イリヤはこの二つを抱きしめた。
ただ石を投げればよかったのに。これでイリヤを喜ばせるウィスターにはやっぱり敵わない。
「うん…」
「夜ふかししてますね。灯りが漏れてたからびっくりしました」
そんな胸の内は気づかないウィスターは、少し咎めるような口調だった。時刻はもう深夜、確かに褒められる時間帯ではない。
「読み聞かせの準備してたの。ここ数日こんな感じ」
「へぇ、えらいですね。でもあまり無理はしないでくださいよ。当日風邪をひいて欠席なんてことになったら、一生笑いますよ」
「笑うって…もう」
心配しながらも言い草はやっぱりウィスターだった。頬を膨らませながらも、どうしても笑みがこぼれる。
「ウィスターも遅いのね」
「ちょっとここ数日色々と出かけてたもので。今から執務室に寄って、帰ります」
「えっ、今から?ついてく!」
「ダメです」
そっちの方がゆっくり話せるし、といいことを思いついた気がして提案したのだが、ウィスターは小難しい顔をして速攻で否定した。
「えー、いいじゃない。王宮の中よ?」
「そんな格好でうろうろするなんてダメです」
「ちゃんと別の着てくから!」
「大体誰かに見られたらどうするんですか」
「それは任せてよ。どこに警備兵がいるかなんて、私よく分かるもの」
「胸を張ってそんなこと言われても…」
しまったなぁ、と独りごちてウィスターが頭を掻いた。
いつもの覇気はあまりない。数日出かけていたということで、疲れが溜まっていそうだ。
「もし見られてもたまたま会ったってことにすればいいでしょ。誰も疑わないわよ。ね、執務室まで一緒に行くだけ!」
何やら元気がないウィスターをいいことに、強引に話を進める。
実を言うと、夜中の王宮を歩くなんてほとんどしたことがない。気分転換したい気持ちと、好奇心がうずうずと湧いてくる。
「じゃあ玄関でちょっと待ってて、迎えに行くわね!」
そう一方的に言って、身を翻して部屋に一度戻った。
「ちょ………」
と制止するウィスターの声が下から聞こえたが、聞こえてないふりをした。行ってさえしまえば、ウィスターも無理に追い返すことはしないだろう。
なんだか不良少女になった気分だ。ドキドキしながら、簡単に一人で着替えられるワンピースに着替えた。




