恋人
アレキサンド王国。
宝石などの鉱物が名産の、自然豊かな国。
その国には、大変仲の良い国王夫妻と、四人の子供たちがおりました。
その長女、第一王女イリヤはとりわけ美しく、賢く、そして、その国の公爵に恋をしておりましたーーーー。
「はっ!?」
うんうんと聞いていたら途中からとんでもない言葉が飛んできて、まなじりを吊り上げて隣を見上げる。
横では黒髪に、ほとんど黒に見える群青色の瞳を持った男が、ニヤニヤしながら遠くを見ている。
「あれ、違いました?」
「そんなの子どもたちの前で言える訳ないじゃない!」
「えー、言ってくれないんですか。ショックだなぁ」
「もっと真面目に考えてよ!」
きゃんきゃんと責め立てても、彼には全然響かない。
「もういい。貴方に聞いた私が悪かったわ」
「そりゃそうですよ。遊ばれるのは分かってたでしょう」
くつくつと笑った横顔が悔しいくらい爽やかで、腹が立ったので手元にあったペンをひっくり返して、それで彼の背中を叩いてやった。
「痛った……!!」
「ペン先をひっくり返してあげただけ感謝しなさいよ」
つんとそっぽをむいて、また手元の本に目を落とす。このアレキサンド王国の歴史書である。
第一王女のイリヤは、うんざりするほど見てきた本だ。
「ごめんごめん。遊びすぎたな」
笑いながら頭を撫でられる。その仕草がまた優しくて、狡くて妙に腹が立つ。
しかも彼の言っていることも嘘ではない。
イリヤはもう十年以上もこのウィスター・アズライト公爵に片想いをしていて、それがなんやかんやで叶ったばかり。
「……だめだ、こんなことやったことないわよ〜」
しばらく本と格闘していたが、音を上げる。
「休憩しましょうか」
そう言ったウィスターが立ち上がって、背伸びをした。背が高い彼が立ち上がると、座ったイリヤはずいぶんと見上げる格好になる。
「一気に暖かくなったわね」
風が吹いたので目を閉じる。春が来ていた。
風が体に当たっても身をすくめなくてもいい。どこか陽射しも柔らかく、ちょうど日向ぼっこ日和の真っ昼間。
イリヤとウィスターは王宮の近く、王立公園の高台に来て、敷物の上に座っていた。
王宮からは馬車で五分ほど。
「馬車の練習がてら」とウィスターに誘われて来たけれど、実はここに来たのはもう一つ目的があった。
イリヤは来週、ここで王都の子供たちに、アレキサンドの歴史書を読み聞かせるという公務ができた。来月に控えた建国記念日の前に、子どもたちにこの国のことを知ってもらおうという趣旨だ。
その下見も兼ねているのだが、どの部分をどう読み聞かせるのかは決まっていない。そのため、二人で座るや否やイリヤは本を取り出してブツブツと物語を考え始めたのである。
ウィスターも一緒に考えてよ。
先ほどは、何かの参考になると思ってそう聞いたのだが、結局何の参考にもならなかった。
「そんな考えなくても、その本を読んであげればいいんでしょう。依頼した園長さんもそのつもりでは」
「だってこの本、すっっごく難しいのよ!私も何回泣かされたか分からないわ。どうせなら少しでも分かりやすいほうがいいじゃない」
「…そういうところは本当にえらいですね。ですが少し休みますよ。馬車に乗る体力も残しておいて。まだ緊張するでしょう」
ウィスターが目配せをすると、少し離れたところにある馬車から侍女のマーヤが紅茶をもってやってきた。
そっと敷物の上に置かれたお皿の上には、ドライフルーツが乗ったカラフルなクッキー。
「…ありがとうマーヤ。いただきます」
ティーカップを受け取ると、マーヤはにこにこと頷いてまた下がる。ウィスターも同じようにカップを持って、またイリヤの隣に腰を下ろす。
王宮の廊下で(なぜあんなことを廊下でやっていたのか、誰も通らなくて良かった)想いが叶って、キスをしたのはほんの数日前。
その後、ウィスターが国王と話したかどうかは分からない。イリヤからも何となく気まずくて、聞けていなかった。
ただ二人で敷物の上に座っているだけだ。
前より少し距離は近いだろうか。それすらも気のせいかもしれない。
そもそも、勢い余って国王の説得などと言ってしまったが、ウィスターは結婚のつもりなどなかったかもしれない。
立場がほしい。
そう言った彼の真意は、分かったつもりだったけれど、改めて冷静になると難しかった。
「………ねぇ」
「ん?」
口を開くと、ウィスターが遠くを見たまま返事をした。
「私たち、今、どういう関係なの…?」
その疑問には、ウィスターがこちらを見るのが分かった。
「関係?」
「うん」
「………関係?」
「ほら、恋人とか婚約者とか……友人とか、色々あるでしょう」
「私は友人にキスはしません」
キッパリと可能性の一つを否定されて、頬が赤くなるのが分かる。
「何を不安になってるんですか」
「……ウィスター、どういうつもりだったのかなって。もしかして、父上に話なんてするつもりなかった?」
「理解度が後退してませんか?」
「だって…!」
「結婚するには陛下に話はしなきゃならないでしょう」
「ウィスターは、それで、よかった?」
「待って待って何の話」
ウィスターが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「………つい父上に許可なんて言ってしまったけど、あの時は流れでそう解釈したんだけど、ウィスターにそのつもりがなかったらどうしようって思って」
「………」
「今までウィスター、結婚の話全部断ってたみたいだし、でも恋人はたくさんいたでしょ。だから、結婚じゃなくて恋人って意味で言ってのかもしれないと…思って」
「あぁ、なるほど」
笑われたりするかと思ったが、ウィスターは意外にもイリヤの疑問に納得したようだった。そのまま遠くを見て、黙りこくってしまう。
「……………」
「……………」
沈黙が流れる。
風の音と、どこかで鳴く鳥の声。穏やかな時間。
ウィスターの気持ちを疑っているわけではない。でも無理をさせてないかどこか不安で、それを吹き飛ばしてほしかった。
「ここはアレキサンド王国。宝石などの鉱物が名産の、自然豊かな国です」
しばらく経って、ウィスターが口を開いた。
さっきふざけて言っていた、子供たちに読み聞かせる物語の最初のところ。
「その国には、大変仲の良い国王夫妻と、四人の子供たちがおりました。その長女、第一王女イリヤは美しく、賢く、その国の公爵に愛されて、幸せな生活を送っていましたーーーー」
弾かれたように顔を上げてウィスターを見る。
さっきとは少し変わった文章。でもそれは、イリヤが欲しかった答え。
「……さっきのに答えると、婚約者ではないですね。陛下にはまだ許しをもらっておりません。正確に言うと、反対はされております。でも、大丈夫ですよ」
少し強い風が吹いて、イリヤのはちみつ色の髪の毛がサッと広がった。
「じゃあ恋人かと言われると…。まぁそういうことになるかもしれませんが。でも、今までの元恋人たちとあなたは全く別物ですよ」
「本当?」
「本当です」
じっとウィスターの顔を見る。
照れてる様子も何もなく、余裕のある、いつものどこか飄々とした顔をしていた。些細なことで不安になったり、疑ってみたり、そんな波のように揺れるくすぐったい気持ちはイリヤしか持っていなさそうだ。
またぽんぽんと頭を撫でられて、少し髪を弄ばれる。甘いような、少し距離があるような絶妙な雰囲気。
でも、恋人と言ってくれた。結婚の話も国王にしてくれた。優しく触れるその指と合わせて考えたら、答えは歴然だった。
「…私も、あなたとずっといたい」
そう呟いた声は思ったより小さかった。風にかき消されてしまいそうなその声に、同じく小さい声で「私もですよ」と返事が返ってくる。
なんとなく照れくさくて、しばらく沈黙が降りた。
「そういえばご相談なんですけど、俺だって殿下と話したい時があるわけですよ」
そのウィスターの言葉に、意外な面持ちで彼の顔を見る。
「……そんな時あるの?」
「そりゃありますよ。殿下と話すのは楽しいし、癒されます。たまに疲れますが」
「一言多いわよ」
「本当のことですから。……だから話したい時は、夜テラスの下に行ってもいいですか」
「テラス?」
「そう、前話したでしょう。あそこ」
国外へ嫁ぐようにと国王に言われ落ち込んだ時に、ウィスターに会った自室のテラス。随分昔のことのようで、それでも一年も経っていない。
「俺は話したい時にあそこに行って、音を出します。音が聞こえて、気が向いたら出て来てください」
「音ってどんな?」
「まぁ………なんか投げます」
「そんな適当な!」
「気がついて、気が向いたらでいいですから」
「気が向いたらでいいの?」
「そりゃあ、殿下にも誰にも会いたくないときはあるでしょう」
「………ウィスターなら、いいもん」
小さく呟くと、ウィスターは微笑んだ。
「しばらく出てこなかったら湯浴みしてるか、いない時もあるかもしれないし、帰ってね」
「それはもちろん。殿下も何かあれば、執務室にでも来ていいですから」
「いいの?忙しいんでしょ」
「どうせあなたは毎日入り浸るようなお方ではないでしょう。いないときもあるでしょうが、それはお互い様です」
そう言いながらウィスターはさらさらと、イリヤの耳にかかる髪の毛を払ってみたり、また耳にかけてみたり、弄び続けている。
恋人って、こんな感じなのかな。
妙に慣れているウィスターにもやもやしない訳ではないが、それでもくすぐったい。会いたいって、言っていいんだ。
髪に触れる指がやけに色っぽい。
イリヤは誤魔化すように、また本を手に取った。




