病み上がり
「お嬢様〜」
マーヤの声でうっすら目を開けると、マーヤがこちらを覗き込んでいた。
「お客様ですよ」
客?こんなときに。
半分寝ぼけたまま小さく欠伸をする。すっかり体力が落ちてしまって、昼間も寝ないともたなくなってしまった。
まだ全快とは言えず、夜になると微熱になることもあるが、ようやく起き上がれるようになってきた。
外が眩しくてあまり目が見えない。
寝起きの身体のだるさに抗えずぼんやりと目を擦っていると、ベッドの縁に誰かが腰かけて、沈んだ。
「すみません、寝てるところ」
「…………!!!」
低くて耳に心地いい声。急に現実に引っ張り戻されて、イリヤは反射的に体を固くした。
ようやくはっきりとした視界で改めて見上げると、ウィスターがベッドの縁に腰かけて、イリヤを見下ろしていた。
「ウィスター…!?」
ようやく出るようになった声は、まだ少し掠れる。そんなところが恥ずかしくて、イリヤはシーツを顔の半分まで持ち上げた。
「な、なんで」
「お見舞いです」
何でもないことのように言われて、何も返せずにいるとウィスターはそのまま会話を続けてくれた。
「なかなかきつかったようですね」
「うん…すごくひさしぶりに熱だして」
「診療所でも出てましたよ」
「え?あぁ、そうかそれもあったわね」
山から降りた後、感染もあって高熱が出たことを思い出す。風邪をひいたのは数年ぶりな気がしていたが、あれはまだ半年前だ。
「お加減はいかがですか、お姫様」
そう優しく言ったウィスターの声は、甘やかすように低かった。
ようやく許可が降りて、昨日湯浴みできていてよかった。ベッドのシーツは頻繁に変えられているとはいて、部屋が臭くないだろうか。そんな心配だけが頭を掠める。
「……まぁまぁ。大分よくなった」
「ちゃんと食べてます?」
「食欲も少し戻ってきた、かな」
「そうですか。あなたが来ないと聞いて料理長が落ち込んでいました。また食べに来てやってください」
「……うん」
あの日。
喧嘩したあの日、本当は二人でまたご飯食べたかったの。
そこまで素直に言えないけれど、またと言われると心が解ける。花をもらったことで、拒絶はされていないのかなと思えていた。
けれどウィスターを怒らせてしまったのが最後の心残りとして居座っていて、イリヤは口を開いた。
「ごめんなさい、ウィスター」
「……」
あんなに謝ってやらないんだからと肩肘張っていたのに、するりと口から謝罪が滑り落ちた。
ウィスターが少し驚いたように、寝たままのイリヤを見下ろす。
「……あなたがなぜあんなに怒ったのか、結局分からなかったけど。でも、ドレスは新しく仕立ててもらうから」
ウィスターの返事はない。じっと目が合った。
結局、彼のその声と甘さに負けるのは、イリヤだ。
「あのドレス、気に入ってたんですか」
ウィスターの声は、この距離だから聞き取れるくらいの大きさだった。
痛いんだよ、と言ったブラッドの言葉がよぎる。
「そういうわけじゃないわよ」
「じゃあ、急にあんなことを言い出したのは何故ですか」
「…高いじゃない、ドレス」
「えっ」
ウィスターが驚いたように身をのけ反らせた。
「…そんな理由?」
「だって、見ちゃったんだもん。ドレスの予算」
何だかものすごく細かいことを言っている気がして、寝返りをうってウィスターの反対側を向いた。
「一応あるのにまた仕立ててもらうの、何だか我儘な気がして」
「…あぁ、あの金額ですか。あれは何もアズライト側が全部出すわけではありませんよ」
「分かってるけど!」
「そんなところを気にするなんて、姫様は意外とケチですね」
「ケチ!?」
思わず目を怒らせて、一瞬だけ振り返る。ウィスターは揶揄うわけでもない、大真面目な顔をしていた。
抗議の意味を込めて手をシーツから抜き出してウィスターの腕を叩くと、ウィスターが声を上げて笑った。その空気に安心してしまう自分も憎らしい。
「自分で言うのも何ですが、アズライト家はなかなかの資産家ですよ。それに王女の婚姻衣装。あれでも控えめだと思いますが」
「分かってるけど!贅沢したいわけでもないし。一緒にいられればそれで」
「……」
久しぶりにこんなに人と長く話したので、少し咳き込んでしまう。
シーツにくるまって咳をしていると、ウィスターの手が背中を撫でた。温かい手は、シーツ越しでもちょっとどきどきする。
「……あのドレスは、とても綺麗でしたよ。けどこれは俺の我儘です。もう一回仕立ててください。今度は、俺の隣に立つことを想像して」
そのまま弄ぶように、イリヤのゆるやかに流した髪をウィスターが撫でる気配が続いた。
引っ張って、絡めて、手櫛を通す。
背を向けていてよかった。今まともにウィスターの顔を見れる自信はない。
「分かった」
「はい。俺もあんな言い方して、すみません」
「本当よ」
「……俺に相談もせず勝手に店主に言ったあなたもどうかと思いますけどね。言ったでしょう、不安なことがあれば俺にそれはとらせてと」
返事の代わりにこくりと頷く。
ブラッドの言うような、他の男のために作ったドレスが嫌なんて言うウィスターはやっぱり想像できない。できないけれど、ちょっとそれも信じていいような気がする。
「じゃ、俺はもう帰りますね」
「……もう帰るの」
ウィスターが立ち上がった気配に、振り返って彼の顔を見上げる。
なんせ喧嘩して二週間は会えなかったのだ。あっさり帰ると言われてしまうと寂しい。
「そんな顔してもダメです。病み上がりでしょう、ゆっくり休んでください」
「…はぁい」
渋々少し体勢を整えて、ベッドの中の居心地がいい位置を探す。髪の毛を頭で踏まないように、枕の向こう側に軽く流した。
ウィスターがその様子を見て、「髪が長いのも大変ですね」と苦笑いしている。
「元気になったら待ってますから。早速色々と遅れていますし」
「存じております。ごめんなさいね」
「では、また」
「……またね」
ベッドの中から手を振ると、ウィスターが片手を上げてまた笑う。
そのまま部屋から出ていく彼の背中を見送った。




