ブラッド
何なのよ、何であんなに怒られなきゃいけないのよ。
そう怒っていたのは当日限りだった。
その日、店主は何事もなかったかのようにイリヤとウィスターに衣装のデザインについて説明し、生地のサンプルを置いて帰った。
イリヤとしても不機嫌なウィスターに付き合わせてしまって申し訳ない気持ちはあるが、店主はやはりプロだった。
イリヤにとってはウィスターが怒ったところで怖くも何ともない。
何せ自分の方が身分が上なのだ、怖いと感じたことは今までなかった。
しかし店主はそうもいかないだろう。ウィスターの圧に負けて「そうかもしれませんね…」と絞り出した店主は何も悪くないと分かっている。
悪いのはウィスターだ。
店主が帰ったあと、二人は無言だった。
生地はもらったけど、見る気にもならない。
ウィスターも同じなようで、客間のソファーに肘をついて無言でどこか遠くを見ていた。
何に怒っているのかは分からない。今更レオンのことで妬くとも思えないし、今までも散々期待させられて落とされた経験がある。
ドレスを再利用するのは、王女としての自覚が足りないとか?
店主をせっかく呼んだのに面目が潰れた?
先にウィスターに話さず、勝手に店主に提案したから?
どれもありそうだけれど、そこまで怒る理由はやっぱり分からない。
イリヤから話しかけるのも負けた気がして、かくして客間は冷戦場へと突入した。
どちらも話さない。
話しかけたら負けな気がする。
そんな沈黙が続いてーー、沈黙を破ったのは、扉をノックする音だった。
「失礼いたします。お疲れ様でございました。お茶でもお代わりしましょうか」
入ってきたのは公爵邸の執事、ハロルドだった。
できる執事というのはタイミングが合うものだ。
ここらが潮時だろう、イリヤは立ち上がった。このままここにいても、何か状況が好転する気もしない。
「いえ、私も用があるので帰るわね」
「そうでございますか。馬車を回しましょう」
挨拶をしないというのも失礼になるだろうか。
立ち上がってウィスターを見ても、目も合わなかった。
「……じゃ」
「気をつけて」
不機嫌なウィスターからは、かろうじて返事があったようなものだった。
見送りにも来ないウィスターを置いて、客間を出る。
外は雨が降りしきっていた。ハロルドが傘を差して見送ってくれる。
「こちら頼まれておりました、ざっくりとした結婚準備の見積もりになります。大変恐縮ですが、マーヤさんにお渡しいただけますか」
そうして受け取ったのは、来た時に置いてあった金額のずらりと並んでいた書類だった。
イリヤに渡す用で置いてあったのだろう。
直接届ける手段はいくらでもあるのに、イリヤに渡すということは、渡したイリヤにも知っておくように、という裏の意味がある。
やっぱり私、間違ってないと思う。
そう思って、公爵邸を後にした。
寝るまではイリヤも怒っていられた。
暗くなって、ベッドに入って。外の雨の音を聞いていると、今度は別の感情に襲われた。
直前まで、二人で指輪を選んで楽しかった。
この間も一緒に夕食を食べて、ゆっくりして、楽しかった。
「おいで」と言うウィスターも、二人になったらちょっと距離が近いウィスターも、頭を撫でてくれるウィスターも、全部好き。
その日だって、また夕食に誘ってくれるかも、なんて思っていた。
喋らないほど怒ったウィスターは初めて見た。自分が怒らせた。
サイドテーブルにはハンカチが積んである。
そういえばウィスターは、テラスの下には来なくなった。
しばらく雨は続くだろう。
悲しくなんかない、怒っている。それでも涙が出た。
*
翌日は、急にブラッドが王宮にやってきた。
ウィスターと診療所に出かけた時に、肩の傷に塗る新しい薬をもらった。
「その薬がなくなる頃に王宮に行っていいか?」と言っていたが、まさか本当に来るとは思わなかった。
マーヤは今結婚準備で何かと出かけたり忙しくしている。
別の侍女を部屋の隅に控えさせて、肩の傷をみてもらうことになった。
「しかし王宮の中ってすごいな、広いし豪華。こんな部屋に住んでる姫さんをうちの汚い診療所に泊めちゃって本当申し訳ないわ」
「何言ってるのよ、感謝してるってば」
相変わらずブラッドは動作が雑だが、ひょいひょいと慣れた手つきでイリヤの髪を避けて傷を見た。
「ん〜〜〜〜っ……!」
「マーヤ…侍女に塗ってもらってるんだけど、毎日見てるから効果は分からないって言ってたわ」
「微妙、いや本当に微妙だなぁ。ちょいと薄くなってるけど、薬のせいか姫さんの治癒力のせいか、微妙なとこ」
ブラッドが言いながら、持ってきた書類に何か書き込んでいる。
傷の大きさなんかも測っているようだ。
「そういえば、婚約したんだって?おめでとう」
「………ありがとう」
書きながら何気なく口にしたブラッドに、昨日のことを思い出して返事がつかえてしまう。
勘のいいブラッドが見逃すはずがなかった。
「え?何姫さん元気ないね。喧嘩でもした?」
「……」
「え、喧嘩中!?」
「喧嘩、なのかな」
楽しかった喧嘩する前までを思い出すと、また涙が出そうになる。
必死に堪えながら、笑顔を浮かべようとする。顔を見られないのをいいことに、瞬きを繰り返した。
「なんだ、今婚約したばっかりで仲良い時期じゃねぇの?」
「そうだったんだけど」
ブラッドがじっとイリヤの方を見つめている気配がする。やがて、すっとずらしていたワンピースの肩の部分を戻された。
「何だ何だ。俺でよければ聞いてやるぜ、命の恩人の兄ちゃんがな」
ブラッドはどこまでも雑だが、明るい。
その明るさに救われて、イリヤはブラッドに背を向けたまま、昨日の一部始終を話した。イリヤのことをよく知っているわけでもない、ウィスターのこともほとんど知らないだろう。
そんなブラッドだから、何か分かるかもしれないと思った。
思い出しつつ、ゆっくりと話すイリヤの言葉を、ブラッドは黙って聞いていた。
いつもの診察のように、前を向いたままのイリヤ、その背中を見たままのブラッド。表情を見られないのがちょうどいい距離感。
「…だから、なんで怒ってるのか分からなくて」
「なーるほどなぁ」
話し終わると、ブラッドは訳知り顔で頷いていた。
「大体言い方も悪いのよ、なんなのよ『この人』って。あぁなんか思い出すと腹たってきたわ」
「はは、泣くより怒った方が健康的だからいいんじゃね?まぁでも姫さんの気持ちは分かるよ。自分なりに色々考えてたのに、そんな責められ方したら腹たつよなぁ」
「そうよね!?私悪くないわよね!」
「でも俺は公爵様に一票」
思わずブラッドを振り返る。ブラッドは頭の後ろで腕を組んでにやっと笑っていた。
「なんで!?」
「いやぁ、そりゃ他の男と着るために作ったウェディングドレスなんて、嫌だろ」
「違う違う、ウィスターのこと分かってない。ウィスターはそんな嫉妬とか、俺のために新しくしろなんて人じゃないもの。しかもそんな理由だったら普通に言いそう」
「まぁ俺は公爵様のことよく知らないけどさ、俺だったら言えないなぁ」
「…なんで?」
ブラッドが立ち上がって、窓の外を見た。外は曇り空で少し暗いけれど、王宮からは見晴らしがよく王都が見える。
「着たなら分かるわよ。でも一回も着てないし、誰にも見られてないし、デザインはまぁ気に入ってるし。レオン王子と作ったものでもないし」
「だからこそ、言えないだろそんなちっちゃいこと」
「ちっちゃい?」
「分かるよ、理屈はな。まだ着てないし、勿体ない。それは姫さんが、綺麗に前の婚約者さんのことを忘れてるから言えることだろ。公爵様はどっかで引っかかってるんだよ」
「…そうは見えないけど」
「妬いてるとかそういう大層な話じゃなくて、姫さんほど完全に忘れ去れてないんだよ。だからそのドレスを見ると思い出す。ちょっと痛いんだよ、多分」
「痛い…?」
「そそ。公爵様は見てんだろ、そのドレス。他の男がチラつくものなんて、よりによって結婚式で着てほしくないよ。でも年下のさ、可愛い婚約者にそんなダサいこと言えないだろ。『そのドレスは俺が前の男を思い出すから、別のを着てくれ』なんてさ。俺なら言えないね。でも、何でそんなこと言うんだって怒る気持ちはちょっと分かる」
「ウィスター、そんなこと思うかしら」
「男ってのはかっこつけたいんだよ。公爵様も今頃後悔してるって。でも謝りたくても、ドレスはやっぱりそれでいいなんて言えないからさ、意地になってんだって」
ブラッドの台詞に首を傾げた。
ちっちゃい、ダサい、痛い、後悔。ブラッドの軽い言葉を抜きにしても、ウィスターがそう思っている絵面は全く想像できなかった。
「だから姫さんがさ、『やっぱりちゃんと仕立ててもらう』って言えば仲直りできるんじゃない?一旦金は気にすんなよ、どうせ金は持ってんだろうし」
そこまで言ったブラッドが笑った。
「しかし王女様と公爵様でも、そんな普通の喧嘩するんだなー」
「……当たり前でしょ。人間だもの」
「ま、そりゃそうか」
「じゃあ、今度会った時、それ言ってみる」
ブラッドの言葉はすごい。
『やっぱりちゃんと仕立ててもらう』という言葉は謝ってない。改まって謝る気にはなれなかったけど、それなら言えそうな気がしてきた。
「おう、がんばれ。あと肩の傷、乾燥させないようにな。実験台みたいにして悪かったな、助かったよ」
「ううん、こっちこそありがとう」
次にイリヤが公爵邸に行くのは、二日後の予定だ。
まだ怒ってるかな、ウィスターも少し冷静になっただろうか。
あまり時間を空けると余計こじれそうな気もして、次にあったらちゃんと言おうと、そう思っていた。




