喧嘩
二回目の打ち合わせは、イリヤの髪飾りを買った店の店主が、アズライト公爵邸に訪れて行う予定になっていた。
イリヤとウィスターの婚礼衣装と装飾品、それから結婚指輪。
これらは仕立ててもらうのに時間がかかるものなので、一番最初の打ち合わせになっている。
イリヤが公爵邸に到着したときは、ウィスターは外出中で不在だったため、ハロルドが出迎えてくれる。
「客間にご準備はしておりますので、どうぞ」
「ええ」
そうして案内された客間は、二日前に来たときと何も変わっていない。
強いて言えば、テーブルの上に散らばる書類が少し増えたような気がする。
誰もいない客間に案内されて、イリヤは先日来た時と同じ場所に腰掛けた。
「申し訳ございません。旦那様もまもなくお帰りになると思うのですが…」
「いえ、私が早かったのかも。大丈夫よ」
ハロルドが頭を下げて、紅茶のカップを置いて退室した。客間がしん、と静まり返る。
外からはうっすらと雨の音がする。ウィスターがいないのに、公爵邸は妙に落ち着く。
王宮は常に人の目がある。イリヤは慣れているが、自室以外は大抵近くに人の気配を感じる生活だった。
公爵邸は遠慮なく一人にされるので、それもあって落ち着くのだろう。
「……あれ、これ」
何気なくテーブルの上に散らばる書類を眺めていると、そのうちの一枚が目に留まった。
数字が書いてあり、何気なく手に取って眺める。
結婚準備の見積もりのようだった。
衣装、花代、装飾費、料理、警備、家具など分野別に必要なものが書いてあり、その横にそれぞれざっくりとした金額が走り書きしてある。
締めてーーー
「高っ!!!!」
思わず大きな声が出て、自分でも驚いて慌てて辺りを見回す。もちろん誰もいない客間からは何の返事も返ってこない。
え、まってまって、一桁おかしくない?
と改めて最初から最後まで見るが、やはり計算はあっている。
イリヤも王女だ、こんなものは見慣れている。
しかしそれは、王宮の公式行事であったり、公務であったり、イリヤの個人的なものではなかった。
自分のためにこんな大金が動くというのは、なんと恐ろしい。
そうして悩んでいると、客間の扉がノックされて、ガチャリと開く。振り返ると、ウィスターが扉を開けてこちらを覗き込んでいた。
「殿下、すみませんお待たせしました。店主もちょうどお見えですので、部屋を変えていいですか」
「え、ええ。おかえりなさい」
立ち上がって書類を置き、部屋を出たが、先ほど見た数字が頭にはこびりついていた。
もう一つの客間に移動して、店主に挨拶をする。
店主は上機嫌だった。
なんでも、先日買った髪飾りが王都や貴族の間でちょっとした流行になっているらしい。
確かに、建国祭では色々とドレスに合わせて付け替えて楽しんでいた。そのおかげで店はちょっとした繁盛店となっているようだ。
雑談をして、さて、と店主が取り出したのは指輪だった。色々な素材とデザインのものを持ってきており、見せてもらう。
「これはサンプルですので、他にご希望のイメージがあればまた合うものをお探しいたしますよ」
「……すごい、綺麗ね」
指輪と一口にいっても、素材の色や光沢、太さ、意匠で全然印象が違う。
どんなのがいいんだろう、とちらっと隣に座ったウィスターの顔を窺うと、それに気づいたウィスターがイリヤと目を合わせた。
「私はこだわりがありませんが、殿下が何個か見繕っていただいたらそこから選ぶくらいはできますよ」
意外にも、全部イリヤにお任せという雰囲気でもなさそうだ。あまり興味があるようにも思えないが、その回答には少しだけ嬉しくなってしまう。
二人でつけるものは、やっぱり二人で選びたい。
「……あの、相談なんですが」
「はい、なんでしょう」
イリヤは店主に向き直った。実は結婚指輪だけは、少し思い描いてるものがあった。
ウィスターからもらった婚約指輪を見ているうちに、やりたくなったことがある。
「……婚約指輪と重ね付けをしたいのですが、どんなものがいいと思いますか?」
「…そうですか!」
店主の顔がぱっと明るくなった。
深くて綺麗な青色の石が嵌めてある指輪は、今もイリヤの薬指にお行儀よく収まっている。
「それでしたら、まず素材は合わせてこちらなど…」
店主が熱心に説明を始める。
隣では、ふっとウィスターが笑う気配がした。
指輪は素材や意匠をある程度そろえた方がいいとい話になり、店主が改めてサンプルを持ってくることになった。
イリヤとウィスターが試しに指につけてみたところを見て、店主は閃いたところがあったらしい。
「あのっ……!!申し訳ございません、改めて婚約指輪に合わせた私お勧めのものを厳選してお持ちしてもよいでしょうか…!」と、懇願するように言われ、また次回ということになった。
次はドレスである。
ドレスについては、散々試着と検討を重ねたものがある。改めて説明されなくても大方分かっていたので、イリヤから切り出した。
「あの…ご存知とは思いますが、私は一度婚約が破談になっております。けどその際に、ウェディングドレスはアレキサンドで仕立てておりまして」
「おや、そうでございましたか」
店主が言って、取り出した冊子を一旦膝の上に置いた。
王妃が大騒ぎして、騎士団に見せながら仕立てたウェディングドレスは、事件のあとも王宮で保管してある。
さすがにその件は一部の人間しか知らない話で、店主もやや驚いたようだった。
「はい、ドレスは王宮で保管しています。なので、それを使用するというのは……お店にはご迷惑ですか」
その言葉に、店主は目を見開いた。
なかなかない話であることは分かるが、まだ一度も着ていない。捨てるというのもしのびない豪華なドレスが脳裏によぎる。
「私どもは構いませんので、そうされるのであればそれでもいいのですが……」
いつもは柔らかいながらはっきりと話す店主の声は、尻すぼみになった。何かを気にするようにイリヤの隣へと目をやって、どこか困惑したような表情になる。
「……まだあったんですか、あれ」
ウィスターが発した声は低かった。何も悪いことはしていないはずなのに、鳥肌がたつように背筋がぞくりとする。
「あれって何よ。無傷で持って帰ってきたんだから」
「だめに決まってるでしょう」
「何で?お店がいいって言うなら」
言いかけた言葉は、じろりと睨まれて塞がれた。
さっきまで何だかんだ笑ったりしていたウィスターの顔はどこか冷ややかで、見下ろされると口をつぐむしかなかった。
「…だめとは言いませんよ、この人。けれど予定には入ってたんですから、それをこちらの都合で翻すのは失礼でしょう」
「だから確認したのに」
「心の中じゃだめだって思ってますよ」
「い、いえまだ準備もしておりませんし、お二人がいいのであれば私どもは本当に構いませ…」
「だめ、ですよね?」
ウィスターの言葉には圧があった。
にっこりと笑って店主に微笑んでいるのに、醸し出す空気は刺々しく感じる。
少し早口になりながら顔の前で手を振っていた店主が、ウィスターの言葉にぴたりと固まった。
「そうかもしれませんね…」
「それに第一王女が使いまわしてどうするんですか。どこかからか話が漏れたらそれこそ陛下の顔にも、あなたにも泥が塗られます」
「でも知ってるのは騎士団の人たちくらいじゃない。どうせ覚えてないでしょう」
「覚えてる人は覚えてますよ」
ウィスターが腕を組んで、背もたれに体を預けた。
何だか怒っていることは分かる。
興味ないくせに。お金だってかかるのに。本当に分かってるのかしら。
「…何だかごめんなさい」
黙ってしまったウィスターの代わりに店主に謝ると、固まっていた店主がようやく体の力を抜いたのが分かる。
「お気になさらないでください。こちらこそ申し訳ございません、配慮が足りず」
「配慮が足りないのはこの人ですよ」
かちん。
悪気があったわけでもないのに、何でこんなに機嫌が悪いんだろう。
ウィスターは物にこだわるタイプではない。一度も着ていないドレス、少し直して着るくらい気にしなさそうなのに、今日は頑なだった。
それからはイリヤもウィスターもお互いに話すことはなくなった。
店主には申し訳なかったが、途中から気を取り直したようで普通通りの接客に戻っている。
そんな気まずい空気のまま、初回の打ち合わせは終了した。




