初めての夕食
差し出された腕に掴まって、公爵邸の上階から順番に案内してもらう。
「姫様は前回うちに来たのはいつ頃ですっけ」
「お父様の弔問の時に。でもこんなに奥の方まで入るのは…それこそ子どもの頃じゃないかしら」
「じゃあ迷子にはなりますね」
「さすがにならないわよ!」
そんな話をしながらゆっくりと公爵邸を見て回る。
途中すれ違う使用人たちは、控えめながら笑顔で挨拶をしてくれた。
公爵邸は六階建てで、上二階は主に使用人たちが使用するフロアのようだ。マーヤの部屋も準備されるという。
その下は空き部屋が多かった。
「今は俺一人ですからね。無駄に広いです」
「大家族だったのかしら」
「大家族というより、縁戚で住んでた頃もあったようですね。今はもうバラバラですが」
「そういえば、ウィスターの弟は元気?」
「元気ですよ。もうすっかり地方に居着いてますが、また挨拶に来させます」
ウィスターには二歳下の弟が一人いることを思い出す。
ウィスターと似た顔だが、もう少し身体が大きく力が強そうな体格だった。
彼は地方の騎士団に入っている。イリヤも最近は全く姿を見かけないが、ウィスターの口ぶりから、自由にやっているのだろう。
「三階のこの辺りは俺の執務関係で、客人の出入りも多いです」
「今日は?」
「今日は空けさせてます」
「三階まではほとんど私関係ないじゃない」
そこでウィスターがおかしそうに笑った。
「ははっ…、そうでしょうけど、知っておいた方がいいでしょう」
「…そっか」
そこからまた階段を降りる。どのフロアも綺麗に清掃されていたが、一番人の行き来があって、生活感が漂っているのは一階と二階のようだった。
「ここは執務室にしています」
「うわすごい、散らかってるわね」
「これでも綺麗な方です」
執務室は王宮のそれよりも大分広かった。両脇の壁にはびっしりと本が並び、奥の大きな机には書類が山積みである。
これで綺麗な方とは、汚い時を見てみたい気もする。
「ここは書斎」
「執務室と書斎は使い分けてるの?」
「本読む時が多いですね。仕事はしたくないけど座りたい時とかは使います」
「へえ…」
書斎にも大量の本が置いてあった。執務室よりはかなり片付いていて、居心地も良さそうな部屋である。
この頃になると、ウィスターの日常が知れることもあり、緊張よりも楽しくなってきていた。
「今俺が使ってる寝室です」
「え、中見ていいの?」
「今更ですか。別に困るもんもないですし、どうぞ」
ごく自然に連れて行かれたので一瞬躊躇したが、ウィスターは特に気にしていないようだった。
さすがに寝室は綺麗だった。イリヤの知らないウィスターの匂いがする。
五感が、ここは男の暮らしている部屋だと伝えてきていた。
「こっちが主寝室です」
「……ええと、さっきの寝室との違いは」
「さっきの部屋は、俺が子どもの頃から使ってた部屋を、面倒だからそのまま使ってるだけです」
「ウィスターのご両親が前使ってた部屋ってこと?」
「そうなりますね」
その中はがらんとしていて、何もなかった。家具も一切撤去されている。
「じゃあここが私の部屋ってこと?」
「……寝起きする部屋って感じですかね」
少し躊躇ったように言ったウィスターが、背後を指差した。
「部屋ならいくらでも余ってますし、好きな部屋を過ごしやすいようにしていいですよ」
「え、いいの!?」
「あなたも自分の部屋はいるでしょう」
それはかなり心躍る提案だった。イリヤも王宮に自室を持っているが、それこそ子どもの時からずっと同じ部屋だ。
新しく好きな部屋を選んで、暮らしやすいように整える。要はイリヤの書斎がもらえるということだ。
そう考えると、結構荷物も持って来れるのかもしれない。
それから一階に降りて、厨房や食堂、厩舎、居間、水周りなどを見て回る。
厨房では料理長が挨拶に来た。イリヤの好物や苦手なものを聞いてくる。
夕食の準備が進んでいるのだろう、香ばしい香りが漂っていた。
料理人は職人気質な人間が多いが、公爵邸の料理長は話しやすそうな、人懐っこい顔をしていた。
「旦那様、本日のお食事はどうされますか」
そう聞かれて、ウィスターが少し止まったあと、イリヤを見下ろした。
「……食べてく?」
「えっ?」
それは思わぬ提案だった。
少し緊張するけれど、せっかく見せてもらったウィスターの普段の生活に、もう一歩踏み込んでみたい気持ちが勝った。
「……いいの?」
「はい、是非!実はちょっとご準備しておりましたので」
「あの、今日は侍女も連れてきてて」
「大丈夫ですよ、ご準備できますので」
料理長が嬉しそうに目尻を下げた。
横ではウィスターが、王宮に連絡する手配を整えてくれている。公爵邸の食事は純粋に楽しみだ。
「じゃ、客間に戻りましょう」
「うん。ありがとう、料理長。楽しみにしてる」
そう言って笑って、ウィスターの腕に引かれるまま歩き出す。
ほっとしたように料理長がひらひらと手を振った。
客間に戻ってしばらく。
「あの書斎の本って私も読んでいい?」だの「家具はどのくらい持ってきていい?」だの、ウィスターを質問責めにしていたら、やがて夕食に呼ばれた。
食堂に入り、迷いなく奥の席に座るウィスターの左手に、イリヤの分のカトラリーとナプキンが用意されている。
大きなテーブルの角を挟むような形で、広い食堂の中にしては距離が近かった。
そうして出てきた夕食は、王宮で食べているものと遜色ない。むしろ少し豪華である。
「…ウィスター、あんまり食べないのね」
「そうですか?まぁ、夜は酒メインのことが多いですね」
「へえ、意外と飲むのね」
「割と」
ウィスターが口をつけたのは、前菜を少しと、メインの肉だけだった。
それをゆっくりと口に運びながら、ほとんどはワインでお腹を満たすようだ。
それがいつものことなのか、他の料理は運ばれてこない。
料理はどれも味付けが王宮とは少し違う。それでも美味しくいただきながら、イリヤも少しずつワインを飲む。
ウィスターはイリヤの食事風景を珍しそうに見ていた。
「それじゃ料理長も作り甲斐がないでしょう」
「だから誘ったんですよ、姫様が食べてやってください」
「すっごく美味しいのに!」
「知ってますよ。あんまり食べると太りますよ」
「え」
確かにこの豪華な料理を毎食食べると、太ってしまうかもしれない。
スープを口にしたまま固まったイリヤを、ウィスターが揶揄うように笑った。
「女主人として、料理長を喜ばせてやってくださいね」
「りょ、量は調整してもらおうかな…」
王宮とは違う料理に、少し味が違う気がするワイン。きっとここの主人の、ウィスター好みの味。
給仕が部屋に控えていることもなく、本当に二人の食事だった。
食べ終わったタイミングでベルを鳴らせばやってくる。じっと見張られている感覚がなくて、ゆっくりとした雰囲気だ。
「働いている人たちもみんないい人ね。気が合いそう」
「すみません、子どもっぽい使用人が多くて」
「どういう意味よ!?」
もう褒めないんだから、とそっぽを向くと、またウィスターがおかしそうに笑った。
イリヤがスープを飲み終わったタイミングで、ウィスターがベルを鳴らした。
外に控えていた給仕が、ケーキの乗った皿を持って入ってくる。
そこで、ワイングラスを持ったウィスターが椅子から立ち上がった。
「グラス持ってこっち来て」
「え?」
ぽかんとしていると、片手でまた手招きをされて、イリヤもグラスを持って後に続く。
食堂の奥まったところに、窓の方を向いたソファーとテーブルが設置されていた。
給仕が慣れた手つきでその上に、ケーキと紅茶のカップをカチャリと置く。
ウィスターがソファーに深く腰掛けたので、イリヤは困惑しつつその隣に座った。ワイングラスを置くと、その奥の窓からは星が見えた。
公爵邸は見晴らしがいい。イリヤの自室のテラスほどではないけれど、王都の灯りがうっすらと見える。
「……なんで移動するの?」
「ん?あっちはさっさと片付けたほうが楽だろ」
そう言われて振り返ると、先ほどまで座っていた食事用の大きなテーブルは食器を下げられ、拭きあげられていた。
「食後ゆっくりしたいのと、早く片付けたいのとでこうなってる」
「な、なるほど、合理的」
すごく納得してしまって、頷いた。何だかウィスターの家らしいシステムだ。
確かに王宮の食卓では、家族全員がいなくなるまで給仕は片付けるのをじっと待っている。
「ね、星結構見えるのね」
「方角的なもんかな。星座分かるの?」
「ここからじゃそこまでは分からないわよ」
物珍しい景色を見ながら、目の前のケーキを少し掬って食べると、上品な甘さが口に広がった。
「ん〜〜、美味しい!」
「…俺のも食べていいよ」
「嫌よ、自分で食べなさいよ」
「美味しく食べる人が食べたほうがいいだろ」
「あなたのために用意されたんだから、あなたが食べなさい」
何でそんなとこ厳しいんだよ、と笑ってウィスターが雑にケーキをすくった。半分ほどが口に一気に消える。
「もっと味わったらいいじゃない、美味しいのに!」
「うるさいなぁ、もう」
「失礼致します、旦那様。また何かございましたらお呼びください」
美味しいものを味わわないのは勿体無い。きゃんきゃんと言っていると、いきなり背後から声をかけられて心臓が跳ねた。
執事ハロルドが、お手本のような礼をして立っている。驚いた様子もないウィスターが「ああ」と短い返事をすると、ハロルドは食堂を出て行った。
「…ずっといるわけじゃないのね」
「王宮と違いますからね」
使用人たちの動きや暗黙の了解が全然違うものだ。
そうしてハロルドの背中を見送っていると、そっと肩にウィスターの腕が回された。そのまま引き寄せられる。
「ちょっと慣れた?」
「……うん」
見上げて頷くと、それに満足そうに微笑んだウィスターがイリヤの髪に顔を埋めた。
イリヤもワインのせいか、知らない所にいるせいか、恥ずかしさはあまりない。
なんとなく手を伸ばすと、足を広げて座っているウィスターの足に触れた。そのまま遊ぶように膝をそっと撫でる。
「何で膝?」
「ちょうどいい所にあったから…」
「酔っ払いめ」
ウィスターの右手が伸びてきて、親指が頬を撫でた。。
屈みこまれるような格好で、そのまま唇が重なった。
少し離れて、またキス。何度かそれを繰り返して、最後はやっぱり頭にキスをされてウィスターの顔が離れて行った。
どうよ、慣れたでしょう。
そう胸を張るのはあまりにも情緒がない気がして、イリヤはウィスターにもたれかかって、窓の向こうの暗い空を見上げた。
「またおいで」
「うん」
大きくて温かい手でゆっくりと髪を撫でられて、心地いい。
ものすごく気分が良かった。何とはなしにウィスターの膝をさすりながら、イリヤは星を見た。
*
翌日、夜。
「おかえりなさいませ」
「先に食事にする」
「承知いたしました」
出迎えたハロルドにいつものように返事をして、外したネクタイを渡す。
そのまま真っ直ぐと食堂に向かって、扉を開けた。大きなテーブルの奥がウィスターの定位置だ。
「……」
無言で歩き、自分の椅子に座り込んだ。
すかさず給仕が手拭きとワイン、つまめるものを持ってくる。いつもの味、いつもの風景。
そのまま軽い食事が始まった。
帰ってまず食事にするときは、酒を飲むことにしている。何も言わなくとも、いつもの流れで食べるもの、必要なものが目の前に並ぶ。
前菜と少量のメインを軽く食べる。
自邸での夕食を軽く済ませるのは習慣だ。だらだらとつまみながら、ふと左側の席に目をやった。
昨日そこに座っていた彼女は、出てくる料理を目を輝かせて楽しんでいた。
フォークを持った左手の薬指には、先日贈ったアズライトの指輪。
酒はあまり飲まないのに、ワインもグラス半分ほど空けていただろうか。それでいい気分になれるのだから、実に楽でいい。
自分の食べるものだけではなく、ウィスターの食事も興味を持って食べろだの説教をしてくる。
それは賑やかで、少しうるさい。
今はその席は静かで、もちろんテーブルにも何も並んでいない。
自分の発する食器の音だけが大きく響く。
ウィスターは隣の椅子を見ながら、グラスを傾けた
やがて軽食を終え、いつものようにソファへ移動する。
目の前に置かれるのは紅茶だけ。昨日はケーキもあったが、第一王女が来るとあって料理長も張り切っていたのだろう。
どかりとソファの中央に腰を落ち着けて、ふと気づいた。
昨日は、イリヤのために半歩奥に詰めて座った。
別になんのことはない、いつもの習慣で中央に座りそうになったのを、あえて詰めた。
黙って左隣を見下ろした。
ケーキはあなたが食べろだの、口やかましい王女様。今日は何も考えず中央に座ったため、申し訳程度にしか空いていないソファの席を見て、ウィスターはグラスを勢いよく煽った。
「……参ったな」
その呟きは誰にも聞こえない。




