幕間 実る時
建国祭二日目、祝宴も終わりかけており、ウィスターはどさりとシガールームの奥に腰掛けた。
後からも続々と男性陣が入ってきて、思い思いの席に着く。
煙の匂いが染み付いた部屋は、一気に低い話し声や笑い声で満ちる。
ゆっくりと足を組むと、いつの間にか椅子の背後に立っていた従者が煙草を差し出してきた。
それを受け取って口にくわえると、流れるような手つきで火をつけられる。
空気を吸い込むと、先端に火が灯った。
ため息と一緒に煙を吐くと、視界が白く曇る。
程よい暗さのシガールームを眺めながら、聞こえてくる会話にじっと耳を傾けた。
どうやら今日の話題の中心はマルガレッテ王女のようだ。
積極的に会話とワインを楽しみ、次から次へとダンスへ誘う彼女を好印象に受け取った者と、王族にしてはいささか近すぎて威厳がないと言う者と。胸が大きいだとか、そんな下世話なことを言う者も。
呆れて会話には加わらず、ただ椅子に身体を預けてその様子を見渡していた。
全くくだらない。
目の前に置かれた食後酒を一気に飲み干す。
くだらないなりに、ごくたまに有益な情報も得られるので、付き合いは怠らないようにしている。
輪から少し外れたまま煙草を吹かしていると、やがて一人の男が近付いてきた。
「よろしいですかな」
「……これはこれは、トルマリン侯爵。ご苦労様でした」
爵位としては自分の方が上なのだが、北の方の大貴族、トルマリン侯爵。国王の政敵でもあり、先日何度か押しかけて会談を行った相手でもあり、ちょっと面倒くさい相手でもある。
ウィスターは瞬時に丁重な言葉遣いを引っ張り出した。
先ほどの祝宴で、真面目な顔をして話し込んでいたイリヤの姿を思い出す。
「……王女殿下がずいぶんお世話になったようで」
「アズライト公爵に礼を言われる筋合いはございません」
隣に座ったトルマリン侯爵も、胸ポケットから煙草を取り出した。ピシャリとしたその言い方に苦笑いを浮かべる。
「公爵の仰っていた意味が分かりましたよ。確かにあれは、アレキサンドの益になる人材かもしれません」
「そうでしょう」
「いつになったらご結婚なさるのかと思っておりました。女性を見る目だけはあったらしい」
意外なことを言われて、ウィスターは眉を上げて隣に座る、白髪混じりの男をちらりと見る。
最初に結婚の話を持ちかけたのもトルマリン侯爵だったが、ただでさえ王権を好ましいとは思っていない男だ。
「……光栄ですが、一体殿下と何を話されていたんですか」
今度は侯爵が意外そうな顔でこちらを見る。
「そのあと楽しげに踊っていらっしゃったではないですか。ご本人に聞かなかったのですか」
「聞きましたが、はぐらかして教えてくれませんでしたよ」
「ははっ。アズライト公爵をそのように扱う女性も、殿下だけでしょうな」
肯定の代わりに、新たに目の前に置かれた食後酒を無言で飲み干した。
本気で聞き出そうと思えばいくらでも手はある。
事実今までの女性たちに対しては、本当に知りたければ、如何様にも口を開かせる手段はあった。
だが、イリヤにそんな手段を使う気はさらさら起きない。私的なことならまだしも、政治的な話はなおさら。
トルマリン侯爵と真剣に話していた彼女の瞳と、その後間近で見下ろした楽しげな表情を思い浮かべた。
本人が満足しているのなら、それ以上掘り下げるつもりもない。
「聞くことしかできないと言い切っておられましたな」
「ほう」
「国民や貴族の声に耳を傾けたいと。それだけかと煽ってみましたが、それしかできないとハッキリ仰ってました」
王女を煽った?
ウィスターは心の中で笑みをこぼした。
どうせ煽られたことにも気づいていないんだろう、あのお嬢様。侯爵が彼女を試すように話したことは想像に難くない。
「聞くことしかできないのは無力です。それだけでは何も解決しない」
侯爵がそこで言葉を切って、煙を吐き出した。
ウィスターの目の前にはまた食後酒のおかわりが置かれている。小さなグラスに揺れる赤い果実酒が、どこかあのドレスの色と被って見えた。
「……陛下もアズライト公爵も、隙が無さすぎます。ああいう、何もできない王女が中央に一人くらいいても、ちょうどいいのではないですか」
「今日は珍しく褒めてくださいますね」
「なに、私も気分がいい時がありますから」
そう言ったトルマリン侯爵は本当に機嫌が良さそうだった。
ウィスターが先日一人で会った時など不機嫌そうな眉間の皺を隠しもしなかったのに、ずいぶんと違う。
「しかし、あなたならもっと与しやすくて、言うことを聞かせられる、程よく出世につながる女性がいくらでも選べるのではありませんか。わざわざ殿下でなくても」
「……そのつもりだったんですがね」
深くは口にせず、自嘲したような笑みを浮かべた。
実際、そのつもりだった。
そんなウィスターを一瞥した侯爵は、特に追及することはなく「まぁ、色々あったんでしょう」とその話を畳んだ。
「勘違いしないでいただきたい。私は、アレキサンド王家に追従する人間ではありません。権力の集中はいつか争いの火種を生むこともあります。公爵がいくら不要でも、あなたの子や孫が同じ考えとも限らない」
「……」
「王女の血筋と公爵家が交われば、いつか王位を狙う強欲な子孫が出てきてもおかしくない。だからこそ我が国の王家と公爵家は、距離は近いけれど血筋は遠いまま、という関係を貫いてきたのでしょう」
「後世まで有効な誓約を交わすべき、ということでしょうか」
「さすが話が早くていらっしゃる。その通りです」
トルマリン侯爵が煙草を咥えたまま立ち上がった。
「陛下には、明日帰る前に私の方からも提言しておきましょう。アズライト公爵、これはあなたに対する貸しですよ」
「……助かります」
「それから、殿下を連れて、またトルマリン領にお越しください。妻もお話ししたいようでしたので」
「あの人はあちこち出かけるのが好きですからね。もちろん伺いますよ」
「くれぐれも公爵一人のところに閉じ込めておくようなことは」
「そんなことしませんよ」
トルマリン侯爵はまだ何か言いたそうだったが、最後は言葉を飲み込んで礼をした。
「…では、私はそろそろ」
座ったまま片手を上げると、苦々しそうな顔をしながらも侯爵が踵を返した。
ウィスターはまた大きく煙を吸い込んで、吐き出す。
煙草の苦味と食後酒の甘さが舌の上で混ざった。
この結婚で一番に国王が気にしていたのは、トルマリン侯爵だった。実際話してみて、一番反感を持たれた印象がある。
それ以外の貴族はあまり興味もなかったようで、何度か話すことでほぼ納得を得られている。
シガールームの中央に目を戻すと、男たちが相変わらずマルガレッテ王女の話に興じている。
イリヤとマルガレッテ王女、妻にしたらどちらが楽しいか、など。
実にくだらない。
ウィスターが立ち上がると、従者が灰皿を差し出してくる。それにぎゅっと煙草を押し付けて火を消した。
そのまま盛り上がっている輪の方へ近づく。
「だからさ、妻として楽しめるのはやっぱりイーーー」
中心で熱心に話している男の肩に、どさりと腕を置いて肩を組んだ。
どうやらかなり酔っている。辺境の地の次男坊だ。
途中まで名前を言いかけた彼は、突然やってきたウィスターに明らかに怯えた顔をして固まった。
「アズライト公爵っ…!!」
「諸君、ずいぶん楽しそうで何より。だがあまり品位を落とすような会話をしてくれるなよ」
一気に場の空気が凍りつくのが分かったが、知ったことではない。
やや強く肩を叩くと、まるでおもちゃのようにこくこくこくと彼が首を縦に振った。
それを確認して、輪から離れる。
今日は特に収穫もなさそうだ。公爵がいつまでも一人で奥に座っていても興醒めだろう。
「閣下、お帰りですか」
「ああ」
そのままシガールームに背中を向けて、後にした。
男たちの凍った視線がひたすら背中に刺さってくるのが面白かった。
*
建国祭も終わり、残務が落ち着いた頃。久しぶりにテラスの下に足が向いた。
理由は分かっている。
いつものように適当に拾った小石をハンカチで包んで、花壇から適当に花を一本拝借する。
「なんか投げます」と言ったものの、石だけ投げるにはあまりに味気ないと思いこのスタイルにしてみたが、イリヤは思った以上に喜んでくれているようだった。
今日は黄色か、予想が外れたなんて占いのように利用されている。
ハンカチも、投げた時点で自分の所有権を放棄したつもりなので、そのままあげていた。
けど自分が何回来たか、数えなくても後から分かる。
それが彼女の安心として積み上がればいいと思う気持ちも間違いなくある。
音に気づいて出てきたイリヤは、今日は髪をまとめて片方に下ろしていた。
結局、石を投げてイリヤが出てこなかった日は一日もなかった。
「こんばんは」
「こんばんは。今日は桃色ね」
「当たりましたか」
「ううん、赤かと思った」
何の生産性もない、くだらない会話。
だがこれが妙に落ち着く自分が確かにいる。
花壇に腰を下ろして、ぼんやりと上を見上げる。
笑って、花火の話なんかしている。会話の内容なんてどうでも良かった。ただ、自分を見てぽつぽつと話す彼女を見るのは好きな時間だった。
そして、苦手な時間でもある。
幼い頃から可愛がっていて、距離感など意識したこともなかった。
それが今やテラスの上と下、泣いても笑っても触れることのできない位置にいる。
しかし、きっとこれが最後になるだろう。
昼間、国王に言われた台詞を思い出す。
ーー結婚を認める。
ーーー条件がある。アズライト家は、今後王位継承権を得ることは認めない。お前はそれでいいのか。
ーーそれから、この条件はイリヤには知らせるな。
いいもなにも、元より王位継承権など興味もない。そんな立場にいない。
アズライトというのは、宝石として価値が高いものではない。しかし初代が、それを選んだ。
近くにいるからこそ、アレキサンドライトを引き立たせるために、高級な石でなくていい、脆い石でいいと言った初代。
そんな条件でいいのかと、ウィスターにとっては呆気ない。
ーー明日屋上の上で、花火のために家族が集まる。この条件を飲めるなら、お前も来い。
「ウィスターも見に来たら?」
そう問いかけたイリヤの顔は純粋で、眩しかった。
「…明日は来ないつもりだったんですがね…」
「面白くない男ね」
そう言って唇を尖らせるイリヤは、下から見てもあどけなかった。
ごめん姫様。今約束するわけにはいかないんだ。
自分が明日訪れるということは、国王も姫様も知らない方がいい。
何より、驚いた顔が見たいから。
そう思って、花火が上がる湖の方向を見る。
もうテラスの下に来ることは、きっとないだろう。婚約したら、堂々と会えるし部屋にも入ることになる。
ずいぶんここで長く過ごした気もするし、あっという間だった気もする。
手ぶらでは格好がつかないし、指輪がいるか。そう考えて、馴染みの店主の顔が浮かんだ。
極端な安物でなくても、それなりの指輪だったらなんとか明日調達できるか。先日連れて行ったことで、あの店主なら大抵察しているだろう。
なかったら……他に懇意にしてる店もあるにはあるが、用意があるかどうかは分からない。
そう考え抜いていたところで、雨が落ちてきた。
ずいぶん黙ってしまった気がするが、イリヤは不貞腐れるでもなく、ただウィスターのことをじっと見ていた。
「…雨が降ってきましたね。そろそろ入ってください」
そう声をかけて立ち上がる。
最後のテラスの下の夜は静かに終わってしまった。どちらかが帰る訳でもなく、雨に中断された格好だが、ちょうどいい。雨が降らなければ、いつまでもそこに居座っていたような気がしていた。




